阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

平和祈念展示資料館@新宿住友ビル33階を訪ねたのは2回目だった。

2019年10月29日 | 東京あちこち

10月の3人会は四国五郎展を見るべく新宿住友ビル33階にある平和祈念展示資料館を訪ねた。

私は平和祈念展示資料館はかなり前に学生時代の弓道部の先輩の、亡くなった五十棲さんと来たことがある。

五十棲さんの父上は関東軍の将校として満州にいたので、父上がわずかに戦後、話された満州の地名を資料館の地図上に見つけて

「ああここにいたのか」とじっくり地図を眺めたあと、館内を丁寧に回られた。 平和祈念展示資料館があることを教えてくれたのも五十棲さんだった。

阿智胡地亭の母方の従兄、信州茅野市のセロリ農家・故丸茂耕一さんは兵隊にとられた後、敗戦でシベリヤに長く抑留され、冬の森林木材伐採の時に丸太を

満載した橇が倒れその下敷きになり足を大怪我をした。

その時応急手当に使われた針金が足から飛び出してきたので舞鶴港に復員したあと再手術が必要だった。

彼は抑留体験を一冊の本にまとめ自費出版された。丸茂さんからシベリヤ抑留の不条理を一度伺ったことがある。

ソ連によって戦後にシベリヤをはじめとしてソ連全土に抑留された日本人は約57万5千人に上りそのうち約5万5千人が死亡したと言われる)

引き揚げ船の船底のありさま

赤塚不二夫、北見けんいち、ちばてつやなど多くの漫画家が満州からの引き揚げ体験をしている。

館を出てから入った思い出横丁の居酒屋は20人ほどの外国人がビールを飲んで大声で楽しんでいた。

ラグビー世界戦の応援者か?

シベリヤ抑留はわずか74年前に日本人が受けた戦争体験の一つ。

昭和20年以前生まれの日本人が16.4%になった今、本人も遺族の家族もほぼこの世から去っていく。

 お近くにお出かけの節は是非一度「平和祈念展示資料館」に足を向けてください。入場無料です。

体験者の一兵士 中澤 理さん が綴った「シベリア抑留者の生活実態」 ⇒ こちら






 


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