2022年8月7日 6時00分 宝物を虫干しして状態を確認する八剱神社の関係者ら
諏訪市小和田の八剱神社は6日、同神社で所蔵している宝物の虫干しを行った。
同神社の総代33人が宝物庫から約200点を丁寧に取り出し、斎館大広間に陳列。台帳と1点ずつ照らし合わせて状態を確認し、改めて神社の歴史に触れた。
宝物の虫干しは、毎年この時期に実施。大広間には諏訪湖の御神渡りを記録した「御渡帳」や古文書のほか、武将から寄進された刀剣類、甲冑、種子島銃なども並んだ。
お舟祭りの行列の先頭に飾られたとの記録がある木像の「相撲人形」や徳川家康の六男で、諏訪で没した松平忠輝公ゆかりの刀掛けなど貴重な品もあった。
総代らは白手袋をはめ、貴重な品々を壊さないように、丁寧な作業を続けた。大久保一大総代(72)は「貴重な品々に接して、総代としての責任を感じる」と緊張気味。
宮坂清宮司は「氏神の歴史に触れる機会は少ない。総代の皆さんに歴史を感じるとともに、神社への親しみも感じてほしい」と話していた。
2016年01月01日 |本ブログ「 身辺あれこれ」に掲載
八剱神社(クリック)は阿智胡地亭の本貫の地の産土神(うぶすなかみ)です。つまり一族が先祖代々 暮らしてきた小和田地区の氏神さまです。
八剱神社は諏訪大社の摂社ですが、今年は諏訪大社は7年に一度の御柱祭の年に当たります。
八剣神社は諏訪市小和田(こわた)にあります。諏訪が豊臣軍に占領されていたとき、秀吉の命を受けて配下の武将「日根野高吉」が
諏訪湖の中にあった「高島」という島に城を築きました。その城が高島城です。八剣神社は高島の島内にあった島民の氏神ですが、
島民が高島から現在の小和田の地に移された時、神社もともに移設されました。 この立ち退きのとき、島民は日根野氏と巧みな交渉を行い、
諏訪湖全域の漁業権と、新たに広大な農地を獲得しました。我が家の先祖はこの半農半漁の島民の一人だと聞きます。八剣神社はまた、
古来より諏訪大社の摂社(筆頭子社)で、諏訪湖の冬の自然現象“御神渡”を検定し、諏訪大社に出来を報告する役割を担ってきました。
小和田に移った住民は、移住以来、藩主(日根野氏が他に移ったあと、諏訪氏が戻り、明治のはじめまで諏訪氏が殿様だった)の支配を受けず、
行政は住民の自治によって行われました。諏訪湖から湧く温泉を引いた共同浴場で、裸の住人たちが侃々諤々論議を戦わせ、祭の拠出金や
揉め事など自分たちで全てを決めていったそうです。
私も小学生のころ、夏休みに諏訪に行ったとき、まだ使われていた大きな共同風呂にイトコたちと入った楽しい思い出があります。
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