印旛沼の里山住人Kさんから久しぶりに旅の便りがありました。
☞「全国旅行支援での旅を計画、行先は離島へという事で壱岐、対馬に決めた。
普通3日間では行かない(行けない)韓国展望所に行きたくて4日間コースを選んだ。
1日目は飛行機、ジェットフェリーで壱岐のホテルに入った時は暗くなっていた。
35名の団体だったが2つの宿に分宿、島には大きな宿は無いようだ。
壱岐には256基の古墳がありこれは長崎県全体の60%、神社は150社もある。
人口2万4千人の小さな島なのに驚きであった。
また深江日原平野は長崎県で 二番目に大きい平野だという、これも驚きだ。
この平野に大陸から稲作が伝わり一支国の王都が広がっていました。一支国は「魏志倭人伝」に記された国の中で
国の場所と王都の位置の両方が特定された国内唯一の遺跡です。
平野の小高い丘から1904年遺跡が発見され、原の辻一支国復元公園として整備されています。
弥生時代の遺跡として登呂、吉野ヶ里とともに「特別史跡」に指定されている。
次は「黒崎砲台跡」へ、口径41Cm、砲身の長さ18m、弾丸の重さ1トンという巨大な砲台があった場所です。
基礎工事と据付工事に6年を要して昭和8年に完成、一度だけ試射されたが実践では使用されていない。
ここと対馬要塞で対馬海峡を守ったが、戦後解体され八幡製鉄所で溶解処理された。
すぐ横に猿岩と呼ばれる大きな岩がある。
海鮮丼の昼食の後12時半にはフェリーで対馬に向けて出港した。
海鮮丼は切り身も大きく、ぶ厚く、新鮮で最高だった。
壱岐の夕食
壱岐の夕食 壱岐牛の陶板焼
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◎ 返信しました。
☞ 一支国は「魏志倭人伝」を習ったときに知りましたが 壱岐島が「魏志倭人伝」記載の倭国のクニの中で
場所と王都の位置の両方が特定された国内唯一の地とは知りませんでした。
また 小さい島なのに 神社が150社もあるとは驚きですね。
日本人にとって神社のそもそもの成り立ちは おそらく日本列島に移住してきた一族や家族がそれぞれの祖先に感謝し敬い、
庇護してもらうという「やしろ」で それは原初的でシンプルな事象だったような気がします。
壱岐対馬の住人は その位置からして 殆どが半島や大陸から移り住んだ連中を先祖にしていると想像されるので、そういう意味で
各地の日本列島人がこれまで持って来た風習の一つの原型かなと推察します。
そして日本人のもう一つの先祖に、フィリピンや台湾経由のポリネシアなどの南方海洋民族も移り住んでいるのは高床式住宅や
海女・海士の存在からわかるのも面白いです。☞こちらclick
最新の人類学の研究などで 日本人のルーツは各地に住む現代日本人の遺伝子のDNA調査で精密に判明してきています。☞こちら。click
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