阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

亀戸でいい居酒屋を見つけた。居酒屋「あらばしり」

2018年05月07日 | 食べる飲む
目指した割烹は祝日の夜のせいか人気店の故か満員だったので、昔からの通りをぶらぶら歩いて駅の方に向かった。通りには次々とよさげな店が現れた。ありがたいことに店の前でメニューや値段がチエックできる店が大半だ。やはり亀戸も普通人の街だ。そのうちの一軒にはいることにした。正解だった。飲めない相方にも食べる方で合っていた。

茗荷と鮮魚の梅肉和え

赤魚の西行味噌焼き

自家製燻製の3種盛り

稚鮎の天婦羅

カウンターの中には料理人が二人いて大車輪の働きだった。客は6組ほどの夫婦者とカップル。それに家族連れなどで賑わっていた。
この味を出す割烹風の居酒屋はこのあたりでも人気店のようだった。祝いの日にいい店に出会った。時々また来たいねと言いながら店を出た。


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子供の日のおかきとケーキ

2018年05月07日 | 身辺あれこれ
おかきは5人の子供だけでなく大人も頂きました。みんな大喜びでした。Kさんありがとうございました



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ふぐが水をふくの図    動画

2018年05月07日 | びっくり画像・映像
Puffer Fish releasing water!
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古民家がそのまま『ムムリク絵画館』になりました。   シリーズ・ムムリク絵画館②  初出 2015-09-25

2018年05月06日 | 船橋社中

神戸空港発8:10 仙台空港着9:30 定刻に着いた仙台空港にはヒタヒタと押し寄せて飛行機を流した津波の跡は今は伺えませんでした。
10数年前にはなかったJRの空港連絡線で仙台駅に出ました。連絡線のホーム。

仙台駅で東北本線に乗り換え、松島を過ぎて小牛田駅で下車。一の関行きに乗り換えました。
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小牛田駅から一駅の田尻駅で下車。駅で降りたのは私一人でした。絵画館のオーナー伊藤周太さんが車で出迎えてくれました。
駅は東北新幹線が出来てから無人駅になったようです。

神戸市内の家を出てから宮城県大崎市田尻につくのに5時間10分の行程でした。

目指すお宅の玄関先はこちらの規模の方がはるかに大きいのですが、八ヶ岳の斜面にある母の実家に何となく似ていました。

見慣れたムムリクさんの作品がこのように部屋と建物に馴染んで展示されています。
<ムムリク絵画館のご案内!>









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宮城県大崎市田尻字町の時空でムムリクさんと対話しました。    シリーズ・ムムリク絵画館③ 初出 2015-09-26

2018年05月06日 | 船橋社中


























9月28日追加掲載。













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信州諏訪の酒「真澄」と「真澄の夢殿」を取り寄せてくれた。

2018年05月06日 | 身辺あれこれ

手にするとひやりとした。クール宅急便で取り寄せてくれたようだ。これからの季節に合う冷酒だ。この祝いのプレゼントは本当に嬉しい。
 特に「夢殿」はなかなか手に入らないし自分で購入するには・・(笑)。N家のお二人ありがとう。





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昭和50年代に昼飯を食べに行っていた神田の居酒屋「みますや」で飲んだ。 (記事に追加した部分があるので再掲載)

2018年05月05日 | 食べる飲む
店の前には昼の案内が今も出ていた。40年前と違うのは値段だけだ。👆
着いたのは開店時間の5時少し前、もう5,6人が店の前で開店を待っていた。(以下みますや関連の写真はみますやのサイトから引用したもの)

中に入ると昭和50年に初めて入店したときと全く同じレイアウトだった。





神田駅東口で東京の街中では3年ぶりに飲む町田の従弟と待ち合せた。家を出て28分後にはここに立っていた。





昭和50年代神田美土代町にあった勤務先から13年間毎日のように乗り降りした駅だが、待っている間に見ていると当時と違って乗降客の40%ほどが外国人だ。
 待っているときに携帯が鳴った。新地の紅さんからだった。
「お久し振りです。おかわりありませんか?(*⌒∇⌒*)相変わらず阿智故知してはりますか?」
さっき返信した。「メールどうもです。昨晩は神田の(みますや)と言う居酒屋で飲みました。柳川鍋があったよ。酒も宮坂醸造の真澄がありました。店は明治38年創業の東京で一番古い居酒屋だとか。前に東京勤務のとき会社が近かったのでよく昼飯を食いに行ってました」
この店の牛煮込みは外せない。 この日オーダーした品々。



#6’神田「みます屋」にて '02/06/30作成

1974年(昭和49年)の9月に大阪から東京に転勤になった。勤める事務所は神田美土代町にあった。会社には食堂がないので昼食時は同じ課の人たちについて、彼らが行く店をあちこち覚えていった。その中の一つが「みますや」だった。事務所から5分くらいの場所に店があった。鯖の焼き魚定食や煮魚定食があってちょっと高めだが旨かった。
そして夜は夜でまた「みますや」に行く。今度は居酒屋の「みますや」だ。名物の煮込みは定番だった。先輩に聞くとこの店は明治時代に神田で土木工事が多かった時に、土方に昼飯を出す店としてスタートしたそうだ。「だから味が濃いんだよ。汗をかく連中に合わせた味付けだからね」と先輩が解説してくれた。確かに関西の店より塩辛い品が多かったが、それはそれで慣れていきおいしく食べた。よく通った昭和50年代はそこらにある普通の居酒屋の一つという感じで会社から近いこともあって通った回数は多かった。1987年に13年間の東京神田勤務を終えてまた大阪勤務になって「みますや」とは縁遠くなった。そして大阪から広島勤務になり、そのあと第2の勤務先に移った。

 2002年6月26日、仕事で朝から東京に行った。その夜はいつもの神田のホテルに泊まった。東京出張のおりは、夜は大抵どなたかに一杯お付き合い願っているのだが、明日が外(ほか)ではない日なので、飲んでも早く切り上げようと思い、どなたにも声をかけず一人で居酒屋の「みますや」に行った。「みますや」は一年半ぶりくらいだが店の中が何となく綺麗っぽくなっていた。客は殆どが50歳代の勤め人が2、3人連れで、2人ずれの組でも女性は30代以上に見え、相変わらずチエーンの居酒屋とは客層がかなり違う。入って左側の大きな板卓の3人ずれの客の横に案内された。目の前にはやはり一人客がいたが暫くして帰った。生中を飲んでいると頼んでいたこの店の定番の牛の(にこみ)が来た。すぐ近くの神田美土代町に勤務していた昭和50年代の、週に数回は来ていた頃は、確か一皿350円くらいだった、と思う。

相変わらず独特で、関東風の濃い味付けで旨さは変わっておらず、年数を考えると仕方がないと思いながらも、関西が長くなったせいか、量もしっかりあるのについ(にこみ)が一皿600円かと思ってしまう。定年前に見える横の3人ずれは近くの勤め人たちらしく誰か同僚の噂話に余念がない。関東弁も歯切れのいい江戸っ子弁だと耳に心地よく、いまや東京でも希少価値の方言、江戸っ子弁だなと思いながらBGMとして何となく聞いていた。壁には前にはなかった日本各地の銘酒のあれこれ、田酒、久保田などの名前が張り出され、日本酒だけのメニューが出来ていて驚いた。しかも料理も、前と同じく壁にそれぞれ小さな板に書いて上げてあるが、メニューも板卓においてある。普通の熱燗一合と「きんぴら」を追加で頼み、これで引き上げようと思っていたら一人客が目の前に案内されて座った。三十四、五のさっぱりした感じの男だった。座ってから何となく嬉しそうに店の真っ黒な天井、柱や畳の上がりがまちなどを見廻した。
無言でいるのも気詰まりなので、彼が生中を飲み干し「にこみ」を食べ、またメニューを見て私と同じ熱燗、彼は2合だったがを頼んで暫くして、「この店は初めてですか」と声をかけてみた。外で一人で飲む時、相手を見て目の前の人に声をかけるのだが、迷惑そうなら必ずその一言で止める。自分も喋らないで飲みたい時もあるから。

この日の彼は飲む人間に共通の雰囲気で「いや、今日が初めてなんですよ」と自然体で返してきた。
桂米丸の切符を知り合いからもらったので今日は公休で東京へ出てきてそれを聞き、終ってから前から来てみたかった「みますや」にようやく来れたという横浜の人間だった。
この「みますや」が近頃の居酒屋ブームで雑誌やテレビに取り上げられていることを彼から初めて教えてもらった。明治38年の開業で始めは近くの工事現場の土方相手の店だったことも彼は知っていた。そうか、だから綺麗ぽっくなって前にはなかった新規の客相手のメニューが出来、とっくりがみますやの名前入りになって店員の数も増え、次々年配の客が店の中を覗きながら入ってくるわけがわかったと疑問が晴れた。ただ店の雰囲気が前と変わらないのは有り難く、それも建物が戦前のそのままのせいもあるかも知れない。しかし次の震災ではおそらく即ぺちゃんこではある古い木造の建物だ。この横浜人は母親が京都、父親が栃木という組み合わせで、仕事で各地に行くと居酒屋を楽しむという仁であった。会話は楽しく続き、銚子が沢山並んでしまい翌朝二日酔いで目が覚めた。
今も東京へ行くことがあれば「みますや」を覗いてみたいと思っている。

       
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イチロー選手へMLBがありがとうビデオを公表

2018年05月05日 | SNS・既存メディアからの引用記事


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ガジュマルの若葉が大きくなってきた。

2018年05月05日 | 花・草・木・生き物
月下美人は夏に咲いてくれるだろうか?

朧月とサボテンもそろそろ大きな鉢を買ってきて移植しないと。

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レゴブロックで作られた最大の満開の桜。

2018年05月05日 | SNS・既存メディアからの引用記事

3月28日、レゴブロックでできた世界最大の桜の木が、ギネス世界記録に認定された。桜の木は、チェコにあるレゴ工場で組み立てられ、その後、日本へ輸送された。88万1479個のレゴブロックが使用されている。レゴでつくられた桜の木の高さは4.38m、幅は4.93m、長さは5.42m、重さは3333キロ。
「レゴブロックで作られた最大の桜の木」は名古屋市にあるレゴランドで5月6日まで展示されている。
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最近の朝食と昼食    蕗の薹味噌をトッピングした豆腐!

2018年05月05日 | ある日のランチ
札幌のCKKさんから頂いたフキノトウで作った蕗焼き味噌を乗せた豆腐が旨い。好物のイカナゴも残り少なくなってきた。


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サッカー場に入場禁止になった男が取った手段。

2018年05月05日 | びっくり画像・映像
この重機は運転手もろとも金を出して借りたんだそうだ。
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荒川の河川敷でポピーの花を楽しんだ

2018年05月04日 | 花・草・木・生き物
ポピー畑@荒川の河川敷











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5月の節句飾り

2018年05月04日 | 身辺あれこれ
指の人は女の子。
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人は老いたから遊びをやめるのではなく、遊びをやめたから老いるのである。

2018年05月03日 | SNS・既存メディアからの引用記事

写真をクリックすると本文にリンクします。

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