いずれも画像クリックで全文に飛びます。
国民のための思いを持てず、国のあるべき姿を考えぬまま総理になった菅氏の1年 - 花田吉隆|論座 - 朝日新聞社の言論サイト https://t.co/aBqmshSyJf
— achikochitei (@achikochitei1) September 8, 2021
政策を担う若手官僚が「霞が関」から逃げていく~人事権で異論を封じた安倍・菅時代 - 木代泰之|論座 - 朝日新聞社の言論サイト https://t.co/o22TutQiM8
— achikochitei (@achikochitei1) September 8, 2021
地元の商店街の店主さんや会社が発行資金スポンサーであるタウン誌。その中でも「銀座百点」は 地域タウン誌の全国の嚆矢であり・・
「編集室からのごあいさつ
「銀座百点」は1955年(昭和30年)に創刊されました。
銀座のかおりをお届けする雑誌として、情報だけでなく、銀座の文化を表現することにポイントを置いて編集しています。
中でも各界の有名人によるエッセイ、座談会は読み応え十分です。
創刊号から久保田万太郎、吉屋信子、源氏鶏太ら著名なメンバーが執筆陣に加わり、その伝統は現在まで受け継がれています。
また、小誌の連載からは向田邦子「父の詫び状」、池波正太郎「銀座日記」、和田誠「銀座界隈ドキドキの日々」などベストセラーがたくさん生まれています。
女性スタッフが銀座じゅうを歩き、アンテナを張り、ない知恵を絞って毎月の企画をたてています。
銀座の街で、ぜひお手にとってお読みください」ネットから引用。
「かまくら春秋」は・・
月刊誌『かまくら春秋』は1970年にかまくら春秋社が創業と同時に創刊したタウン誌である[4][7][2]。随筆や小説を主に掲載し、鎌倉・藤沢・逗子・葉山の湘南一帯にまつわる話題を扱う[4][23]:201[24]:263。1989年に第5回NTTタウン誌大賞3誌の1つに選ばれた[24]:263[4][25][26]。毎月1日の発売で、公称発行部数は3万部[21][10][23]。実売部数は創刊当初は1万2千部、2009年には3万部を超える[27]。判型はB6判[21][7]、ページ数はおよそ100ページ。30代以上から中高年の世代を主な対象読者にしている Wikipediaから部分引用。
毎号送って頂くKさん ありがとうございます。楽しみにじっくり読んでいます。
全文引用・・・一代だけの世襲でも政治家は劣化するからイギリスでは政治家の世襲を法律で禁じてるのに、
日本では安倍晋三や小泉進次郎や河野太郎など、自分は何ひとつ努力せずに親の地盤(選挙区)と看板(知名度)と鞄(カネ)だけで
自動的に国会議員なった「三代世襲バカボンども」がやりたい放題、なんだかな~
一代だけの世襲でも政治家は劣化するからイギリスでは政治家の世襲を法律で禁じてるのに、日本では安倍晋三や小泉進次郎や河野太郎など、自分は何ひとつ努力せずに親の地盤(選挙区)と看板(知名度)と鞄(カネ)だけで自動的に国会議員なった「三代世襲バカボンども」がやりたい放題、なんだかな~。
— きっこ (@kikko_no_blog) September 7, 2021
画像クリックで全文に飛びます。小泉進次郎氏の涙に政治記者が苦言「自分のために泣いている。自らの感謝を語る前に、総理が辞めることを閣僚の一員として国民に謝罪すべき」厳しい指摘も #BLOGOS https://t.co/zRlUzQSmG6
— achikochitei (@achikochitei1) September 8, 2021
いずれも一年12冊 送料込み1000円だ。 月に一度、この三冊が届く。こんなにたっぷり長い日数を楽しめる買い物はほかにない。
20数年前は本屋さんで無料でもらっていたが、時々貰い忘れがあり連載物を見逃すことがあったので もう20年以上払い込みで年に一度送金している。
一部引用・・・
コロナ禍で、明確なエビデンスもなしに「自粛要請」が繰り返される日本。「緊急事態宣言」も、本来あるべき「議論」を経ずに、何となく「空気」を読むように発出され続けている。こうした「議論ができない日本人」を問題視する歴史学者の與那覇潤氏と文芸批評家の浜崎洋介氏の対談を掲載する(この対談は、ジュンク堂書店池袋本店での「與那覇潤書店」の開催を機に、2021年6月11日、「店主」の與那覇氏が浜崎氏を招く形で行なわれた)。
緊急事態宣言に「飽きた」日本人
與那覇 新型コロナウイルスへの対応をめぐって「国論分裂」といってよい状況にあるいま、本日(2021年6月11日)は浜崎洋介さんと「日本人はなぜ議論ができないのか?」「いつからできなくなったのか?」について、じっくり考えたいと思っています。浜崎さんは文芸批評家という「ことば」のプロであると同時に、特に戦後文学に強い「歴史家」でもあるということで、お招きした次第です。
画像クリックで全文に飛びます。
コロナ禍に必要なのは「居酒屋的空間」だ 右も左も異なる意見を潰し合う日本
— achikochitei (@achikochitei1) September 5, 2021
対談 浜崎洋介&與那覇潤 #文春オンライン https://t.co/1ywMMJouyQ
一部引用・・・新型コロナに求められる対応は、1類感染症であるペストやエボラ出血熱と同等、ないしそれ以上だ。感染拡大初期こそコロナは得体のしれない感染症だったが、現在は違う。病原性や死亡率を考えるとペストと同じであるはずがない。 現行では、保健所が感染者の行動調査や入院調整を行うことになっていて、最も必要な医療が提供されるまで1週間もの時間がかかったりする。その結果、自宅療養中に重症化する人が後を絶たず、救急搬送された先の病床が逼迫(ひっぱく)する。重症化を待ってから慌てて対応しているかのように映る。コロナと診断されてすぐに必要な治療を提供できれば重症者と死者を減らすことができる。ーーーーーー
政府は人流抑制やワクチン、そして病床の確保ばかり言う。病床が「最後の砦(とりで)」だとすれば、感染者を診断して即治療をする「最初の砦」の充実を図らねばならない。 これまで1年半もの間、初期治療ができない仕組みを放置してきたコロナ政策は理解ができない。ワクチンを優先的に打った開業医は、感染防御をしてコロナ診療に積極的に関わるべきだ。 医療崩壊とは保健所崩壊である。しかし、保健所の介在なしに開業医が通常医療を提供できる5類に変更すれば、早期治療が可能になり、医療の流れは劇的に良くなる。早急に季節性インフルエンザと同様の扱いに変更し、開業医が最初の砦になるべきだ。今こそ政治家は覚悟を決めて判断してほしい。画像クリックで全文に飛びます。
コロナ直言 季節性インフル並み「5類」にせよ 開業医・長尾和宏氏(産経新聞)#Yahooニュースhttps://t.co/GGO1NizXsj
— achikochitei (@achikochitei1) September 5, 2021
一部引用・・・
人命軽視としか評しようのない政府のコロナ対策
それらの疑心暗鬼を作り出す心理的な背景となっているのは、現在進行している人命軽視としか評しようのない政府のコロナ対策だ。自宅療養、自宅待機という名の医療提供の放棄が横行し、事実上の無政府状態が出現していることへの国民の不安といら立ちが、デルタ株の感染爆発という新しい段階において急速に膨れ上がっている。菅義偉首相は9月3日に辞任を表明したが、それだけで事態が好転するワケではない。
第5波の真っただ中にある東京では、病床の逼迫が深刻化し、自宅療養中の死亡が続出している。入院患者は4000人を超え、自宅療養者はおよそ2万人に上っている(9月1日現在)。
東京都の新型コロナウイルス感染症モニタリング会議における「医療提供体制は深刻な機能不全に陥って」「救える命が救えない事態となる」「自分の身はまず自分で守ることが必要である」という言葉には、「生物としての人間」を維持するために不可欠なロジスティクス(兵站)を軽んじた代償を現場の指揮官や兵士、軍属や民間人に押し付けた戦時中の無責任体制を髣髴(ほうふつ)とさせるものがある。
これはかつて第2次世界大戦で従軍し戦後評論家として活躍した山本七平が語っていたことで、セクショナリズムが国益を食い潰す文化が絡んでいる。しかも今回は、感染爆発に備えるだけの十分な時間があり、人員や病床の確保や、地域医療を含めた支援体制の構築等々オールジャパンで取り組める素地がないわけではなかった。けれども、為政者はパン(=GoToキャンペーン)とサーカス(=東京五輪)ばかりに貴重な資源を費やし、せっかくのチャンスを台無しにした。 画像クリックで全文に飛びます。
コロナ死者を追悼もしない日本に漂う強烈な不信 私たちはなぶり殺し同然にされるのを恐れている | 新型コロナ、長期戦の混沌 - 東洋経済オンライン https://t.co/7zSbWlfs3e #東洋経済オンライン @Toyokeizaiより
— achikochitei (@achikochitei1) September 4, 2021
先日、右奥歯下の義歯が浮いたのを知らずものを食べて義歯を少し噛んでバネを折ってしまい、使えなくなった。
新しく義歯を作ってもらっていたが出来上がったので歯科医院に装着しに行った。
新しい義歯の制作の前に、上の歯列の歯型と下の歯茎の型を丁寧に取って作られたせいか、
以前に比べるとごくわずかな調整作業ですぐにうまく納まり使えるようになって嬉しい驚きだった。
終わって涼しかったので駅を越えて旧中川まで歩き出した。歩行数 4858歩 歩行距離 3.0km
2006年09月14日(木)掲載
今から60数年前のお母さんたちは、こんな記事を読んでいたらしいです。
☆ 戦前・戦中の2大メジャー婦人誌『主婦之友』『婦人倶楽部』は、戦時中もほぼ毎号育児にかんする記事を組んでいた。
空襲下での子育ては当時最も切実な問題で、「空襲下の妊産婦心得」(主婦之友昭和20年1月号)「出産と空襲は待ったなし」(同誌昭和20年4月号)
「赤ちゃんも防空服装」(婦人倶楽部昭和19年10月号)など、湿気が多く底冷えがする防空壕内の生活で子どもをどう守るか、実践的な記事も多い。
乳児の栄養面についても、「代用乳(無乳栄養)の作り方と与へ方」(主婦之友昭和19年10月号)「人工栄養児の大豆粉栄養法」(婦人倶楽部昭和20年3月号)。
「空襲の衝撃のため、出てゐたお乳がぴつたり止まつてしまふといふことも事実あり得ますが、しかしこれも母親の肚のすゑ方一つでよほど違ひます。
必至の空襲を控へて、日頃からちよつとのことで物に動じない心の鍛錬を、戦時の母親は忘れたくないと思ひます」(主婦之友昭和19年10月号)。
「子供を被害から逃れさすことばかりが防空ではありません。戦場に育った子供でなければ経験し得ない、生々しい戦ひの体験を、将来国の強兵として
戦場に立つときの基礎に、立派に活かしてゆかうではありませんか。戦争を恐がらしてはならない、盲目的な平和思想を抱いてはさらにならない。
空襲をも戦時下の精神鍛錬の鉄床(かなとこ)として活用する、この母の心構へこそ、『子供の防空』の根底をなすものであると信じます」(主婦之友昭和19年8月号)
全文引用・・・
日本社会の経済格差を批判し誰もが安心して暮らせる社会の実現を訴え続けた経済評論家の内橋克人さんが1日、急性心筋梗塞のため神奈川県内の病院で亡くなりました。89歳でした。
内橋さんは1932年、神戸市で生まれ、大学を卒業後に地元の神戸新聞社に入社し記者として勤務したあと経済評論家として活動を始めました。
日本の高度経済成長を支えた技術者らを描いた「匠の時代」などの著作を発表するとともに、現場取材に基づいた視点から日本社会や経済の在り方について批評を続けてきました。
そして経済格差を批判し企業などの利益追求を優先するのではなく、誰もが安心して暮らすことができる社会の実現を訴え続けてきました。
NHKの番組にも数多く出演し、2008年度には第60回の放送文化賞に選ばれています。
また、ことし3月に放送された東日本大震災から10年にあたってのNHKの番組にもパネリストとして出演していました。
内橋さんは最近までラジオの仕事などを続けていましたが、家族によりますと先月、体調を崩して神奈川県内の病院に入院し、1日、急性心筋梗塞のため亡くなったということです。
89歳でした。
経済評論家 内橋克人さん死去 日本社会の経済格差を批判 | NHKニュース https://t.co/dWm9tJGw3c
— achikochitei (@achikochitei1) September 3, 2021
内橋克人
内橋 克人(うちはし かつと、1932年7月2日 - 2021年9月1日)は、日本の経済評論家。
兵庫県神戸市生まれ。兵庫県立星陵高等学校、神戸商科大学(現兵庫県立大学)商経学部卒業。神戸新聞記者を経て、1967年よりフリーとなる。
日本の高度経済成長を支えた現場の技術者たちを活写した『匠の時代』で脚光を浴び、一方で『「技術一流国」ニッポンの神話』において技術立国で向かうところ敵なしと言われていた日本経済が大量生産・大量消費を前提とした量産効果に依存しているという弱点を抱えていることを指摘、主流の技術評論家や経済評論家の楽観論を批判した。また、バブル崩壊後もよく唱えられている「改革」が剥き出しの市場原理主義に則っていて社会的費用を弱者に転嫁しかねないと指摘、アメリカ流の聖域なき構造改革に厳しく警鐘を鳴らし、その対抗思潮をいち早く展開した。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
内橋さんの自伝を読んだところだった。この人も戦争で自分の人生が全く変わってしまった人だった。阿智胡地亭の父方の一番上の従兄と同じ生まれ年だが
神戸で米軍の空襲を受けた内橋克人さんの人生は、信州の山の中で育ち 長じて東京の大学の建築を出て、ゼネコンの役員になった従兄の人生とは全く違っている。
尊敬する同時代人がまた一人彼岸へ去った。寂しい。内橋さん!貴方から多くの事を学びました。志を決して曲げなかった真のジャーナリスト内橋克人さん ありがとうございました。