阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

横浜の神奈川近代文学館の帰りに亀戸で途中下車して「文殊の春菊そば」を・・

2024年08月16日 | 食べる飲む

と勇んで店に入り 食券販売機で「春菊そば」を探したが どう見まわしても見つからない。ふと目を上げると手書きの字で「春菊売り切れ」の札が貼ってあった。

 横浜で何も食べずに午後三時半になって、亀戸の文殊の「春菊そば」を楽しみにしてきたのにとがっかりした。やはり「春菊そば」はこの店の人気一番のアイテムらしい。

止む無く かき揚げとゲソ天を頼んだ。 まあ蕎麦と出汁がいいからこの店は何を食べても裏切らないと思いながらもやはり残念だった(笑)。

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ウクライナ戦争の行方は?日本を「狡猾な国」と見るロシアの真意【佐藤優】「池上彰がいま話を聞きたい30人」(2024年4月1日)

2024年08月16日 | SNS・既存メディアからの引用記事
ウクライナ戦争の行方は?日本を「狡猾な国」と見るロシアの真意【佐藤優】「池上彰がいま話を聞きたい30人」(2024年4月1日)
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08月15日に目に留まったSNS・メディアの記事

2024年08月16日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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東日本大震災が起こった翌年の [ 2012年07月16日(月)の阿智胡地亭の非日乗ブログ ] 再掲載

2024年08月16日 | 東日本大震災ブログ
2012年07月16日(月)
 
大熊町の花屋さん 蜂須賀礼子国会事故調査委員インタビュー
 
国会事故調委員 蜂須賀礼子さんインタビュー
河北新報  2012年07月16日月曜日
国会事故調の報告書を提出後、記者会見する蜂須賀さん=5日、東京・参院議員会館

東京電力福島第1原発事故で、国会が設置した事故調査委員会の委員を務めた福島県大熊町商工会会長の蜂須賀礼子さん(60)が河北新報社の取材に応じ、
 
5日公表された報告書に込めた思いなどを語った。

「被災者の一人として、地元の思いを伝えようと努めた」と振り返り、「これからが始まりだ」と調査結果を地元に生かすために尽力する覚悟を示した。
(聞き手は報道部・末永智弘)

 -昨年12月に委員に選ばれ、最初の活動は第1原発など現地の視察だった。

<現地視察訴え>

 「原発事故で避難している人の苦しみを世間に訴えたい、との考えがあって委員を引き受けた。黒川清委員長が最初に何をすると聞いてきたので、
 
『現場を見ていただきたい』と言った。10日後の現地入りが決まった。このとき、委員の皆さんは私たちの声を聞いてくれると感じた」

 「現地入りして人けのない古里を見ているうちに、大熊町民をはじめ、避難している人の声を届けるのが私の役目と認識した。
 
避難者の心の叫びや原発立地地域で暮らしてきた者にしか分からないことを、委員に伝えるよう努めた」

 -報告書をまとめる際に気をつけたことは
 
「避難者の目線で作成することを心掛けた。避難者のための報告書でなければ意味がない。分かりやすい表現にすることにも気を配った」

 -調査中の思いは。

<国・東電に失望>

 「原子力行政の実態が分かるにつれ、怒りとショックを感じた。もう少し努力してくれれば、もう少し安全を確保してくれれば…。
 
事故を起こしてもなお、誠意ある答弁をしない東電幹部や経済産業省、政治家には失望した」

 「東電とは長年付き合ってきたので、スパッと切ることはできない。どこかで本当のことを言ってくれるのではないか、と期待していた。
 
でも、無表情で淡々と答える態度にがっかりした」

 -報告書を今後にどう生かす。

 「国会事故調の制度上、今後の対応は国会に委ねられた。国民の代表である国会議員が、被災者のために動いてくれるように声を上げ続ける」

 「私にとって、これからが始まりだ。調査で得た知識を大熊町や双葉郡、福島県の役に立てたい。報告書冒頭に書かれているように、事故はまだ終わってないのだから」

 はちすか・れいこ 福島県大熊町生まれ。同県浪江高卒。大熊町で花屋を営んでいた。2008年から大熊町商工会会長。会津若松市の仮設住宅で避難生活を送る。

 
 
オスプレイの導入効果 米軍内の異論論文 5年前
 
オスプレイ導入「最良でない」 海兵隊将校ら07年に論文で指摘
2012年7月15日 琉球新報

 垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの導入をめぐり、米軍内からも異論が出ている。海軍大学院大学(カリフォルニア州)に在籍していた海兵隊将校らが
 
2007年に「傾斜式回転翼(ティルトローター)かヘリコプターか」という論文を発表。

オスプレイと英海軍などが使用するヘリコプターのEH101との性能や費用対効果などを詳細に比較し、オスプレイの航続能力などを疑問視し「総合的に判断し、
海兵隊が必要とする中規模輸送機として最良の選択ではない」と結論付けていた。

 論文は海兵隊のストーザー、空軍のザモラ、海軍のデイ氏の3人の少佐の共著。経営学修士(MBA)の評価法を用いて「先入観を排除して」オスプレイ導入が最善の選択か、
 
分析することが目的としている。

 日本政府はオスプレイ配備について「(CH46ヘリと比べ)速度は2倍、搭載量は3倍、行動半径は4倍と高性能。抑止力が高まる」(玄葉光一郎外相)とし、
 
脅威が高まっているとする中国や北朝鮮への抑止力を高めるとの認識を示している。

 防衛省も同機の行動半径が尖閣諸島や台湾、中国まで達する図を作成。オスプレイが沖縄から近隣諸国に直接飛行するかのような印象を与えている。

 だが、米軍幹部は論文でオスプレイのスピードを評価したものの、行動半径については「ヘリによる作戦はほとんど基地の直近で行われる」と指摘し、
 
オスプレイの特長とされる長い行動半径を最低値で評価。さらに、オスプレイが飛行中に機体に付着する氷を取り除く除氷装置の不具合で過去に緊急着陸したことを挙げ
 
「危険を避けるためオスプレイは長い行動範囲の航続力は活用せず、強襲揚陸艦で運ばれている」と指摘し、航続力が十分に活用されず、通常のヘリ同様、
強襲揚陸艦に頼っていることを明らかにした。

 幹部はオスプレイとEH101の機動力、生還能力、保全性、取得費などをMBA独自の評価法を用いて比較。スピードでオスプレイが勝るとしたものの
 
「それで得られる効果はわずか」と指摘。

兵員や貨物の搭載能力に類似性があるEH101は、英国やカナダ、イタリア軍などで運用されており、米大統領専用ヘリ「マリーン・ワン」に選ばれた
 
(現在は予算高騰で計画中止)ことを挙げ、「スピードは信頼性や保全性に相殺される。オスプレイは最良の選択ではない」と結論付けた。
 
 
 
無用の被曝をさせた責任をはっきりして再発防止を
 

“無用の被ばくは避けられた”
7月15日 18時44分 NHKニュース

放射性物質の広がりを予測するシステム「SPEEDI(すぴーでぃー)」について、政府の事故調査・検証委員会は、近くまとめる最終報告で、

東京電力福島第一原子力発電所の事故で避難に生かされていれば、住民の無用な被ばくを避けられたとする見解を盛り込むことが分かりました。

一方、国会の事故調査委員会は、「精度に限界があり避難の根拠にできない」としていて見解が別れています。

福島第一原発の事故で、政府は、SPEEDIの予測の前提となる放射性物質の放出源の情報が地震の影響で得られず、事故発生の当日から仮のデータで予測していましたが、

その結果を、当時、公表しませんでした。

この問題について、政府の事故調査・検証委員会は、文部科学省が予測していた結果や住民がどのように避難したかを検証し、今月23日にまとめる最終報告に盛り込むことにしています。

それによりますと、去年3月15日午後の予測結果では、放射性物質は西や北西など陸側の方向に拡散していくとなっていましたが、

原発近くの南相馬市や浪江町では、当時、住民が放射性物質が広がる方向に避難していました。

一方、3月16日の明け方からは風が海向きに変化し、放射性物質は海側に拡散すると予測されていました。

このため政府の事故調査・検証委員会は、SPEEDIが避難に生かされ、住民が15日には屋内にとどまり16日になってから避難していれば、

無用な被ばくを避けられたとする見解をまとめています。

一方、国会の事故調査委員会は今月上旬にまとめた報告で、「SPEEDIは、予測に用いる気象情報の精度に限界があり、
 
避難の根拠にできるほど正確性を持つものではない」という見解を示しています

SPEEDIを巡っては、避難にどう活用するかを、9月までに発足する国の「原子力規制委員会」が検討することになっていますが、
 
2つの委員会で見解が分かれたことは、今後の議論に影響を与えそうです。

浪江町長“悔しい思いと残念な思いが交錯”

浪江町の馬場有町長は「SPEEDIの利用が不適切だったという指摘は、私たちが主張してきたことと同じで、非常に残念なことだ。
 
町民は無用な被ばくをしなくても済んだわけなので、非常に悔しい思いと残念な思いが交錯している。

結果をすぐに関係機関や避難自治体に伝えるシステムが必要で、政府に法的な整備を望む」と話しています。

“読み取る力、われわれにも求められている”

災害時の情報提供に詳しい、東京女子大学の広瀬弘忠名誉教授は「地震のような大きな災害の時には、そもそも確かな情報が得られることはない。
 
原発事故の教訓として、不確かな情報の中から、何がどう使えるかを読み取る力が、防災担当者だけでなく、われわれ国民にも求められていると思う」と話しています。

 
 
意見聴収会の9人の一人に東北電力社員 今後も20%から25%必要と堂々の意見開示
 

政府原発意見聴取会に東北電力社員
7月15日 22時16分 NHKニュース

 原発に依存する割合をどこまで減らすのかなどについて、政府が市民の意見を聞く聴取会が仙台市で開かれましたが、

意見を表明した9人の中に東北電力の社員が選ばれていたことから、会場から反発の声があがり、細野原発事故担当大臣は、来月、

福島市で行われる聴取会の運営方法を見直す考えを示しました。

聴取会は、14日、初めてさいたま市で開かれたのに続き、15日は東北で初めてとなる仙台市で開かれ、希望者の中から抽選で選ばれた9人が意見を発表する形式で進められました。

この中では、原発ゼロを目指すとする人や、原発の比率を15%程度に減らすとする人、それに今後も原発を新設して20%から25%程度に維持するとする人から意見が述べられました。

しかし、20%から25%程度にするとした意見を述べた人が東北電力の社員であることが分かり、会場から反発の声があがりました。

これについて、出席した細野原発事故担当大臣は「全くランダムな抽選なので仕方がないが、福島では県民のみなさんの声を出していただける工夫が必要ではないか」と述べ、

来月、福島市で行われる聴取会の運営方法を見直す考えを示しました。
 

 
 
仙台聴収会 原発推進団体の幹部も9人の一人に抽選で?
 

仙台聴取会 騒然 発言者に東北電と原発推進団体幹部
2012年7月16日 07時11分 東京新聞

 政府は十五日、将来の原発比率について国民の意見を聴く二回目の意見聴取会を仙台市で開いた。抽選で選ばれた九人の発言者の中に、

東北電力や原発推進団体の幹部二人が含まれ、「原発が不可欠」など従来通りの主張を展開し、会場から批判の声が上がった。

 聴取会は、政府が提示した二〇三〇年時点の原発比率(1)0%(2)15%(3)20~25%の三案に対し、抽選で選ばれた各三人が意見を述べる形式。

この日は進行側の手違いで、0%案四人、15%案二人、20~25%案三人だった。

 このうち、原発の新増設を前提とする20~25%案に対し、東北電力の岡信慎一執行役員(企画部長)は「会社の考え方をまとめて話したい」と切り出し、

電力の安定供給などを理由に、原発は必要と自社の主張を述べた。

 また、原子力推進を目的に企業や商工団体などで組織する東北エネルギー懇談会の関口哲雄専務理事(元東北電力執行役員待遇)は

「政府の案は再生可能エネルギーを大きく見積もりすぎだ」と、原発の積極的な活用を訴えた。

 広く国民の意見を聴くはずの会が一転、原発推進団体の会と化し、参加者からは「被災者をばかにしているのか」など非難の声が上がった。

司会者が「お静かに」を連発するが、会場の怒りは収まらず、一時中断した。

 会場にいた仙台市の男性会社員(35)は「推進の考えでも、一般の人の意見を聞きたかった」と憤っていた。

 事務局によると、聴取会には百七十五人の参加応募があり、抽選で百三十人を選んだ。うち意見表明を希望したのが九十三人で、0%案が六十六人、15%案が十四人、

20~25%案が十三人。

 これほど差があるのに、バランスを取ろうとするため、0%を支持した人はいずれも宮城県の人だったのに対し、15%と20~25%案は東北電力関係者二人のほか、

東京都の会社員二人、神奈川県の会社員一人と、いびつな発言構成となった。

 岡信、関口両氏は取材に対し、会社や組織からの依頼で応募したことを否定した。

 政府代表として出席した細野豪志原発事故担当相は「抽選で選ぶので仕方ない。福島で開催するときは一般の県民の声が聞けるよう選び方を考えたい」と話した。

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小説『火垂るの墓』  著者 野坂昭如さんの あとがき

2024年08月15日 | 音楽・絵画・映画・文芸
 
君たちの生まれる前、戦争があった。
 
たくさんの人が死んだ。
 
そして、日本は、もう二度と戦争をしないと決めた。
 
だが今、戦争を迎え入れつつある。いつ戦争に巻き込まれてもおかしくない状態なのだ。
 
君たちはこれをどう考える。
 
君たちの周りには食べ物が溢れている。
 
けれど、そのほとんどが、輸入の産物。
 
戦争が起きれば、食べ物は入ってこなくなる。
 
そうなれば、たちまち日本国中、餓死して当然。
 
ぼくが子供の頃、この国は農業が盛んだった。
 
身近に、作る人の努力を感じることができた。
.
物を食べる時、作った人や、その収穫物に感謝する気持ちがあったし、大地の恩、水、天の恵みを有難く思っていた。
 
「いただきます」という言葉には、そういった気持ち、すべてが込められていた。
 
食べ物を大事にしてください。
 
戦争中、そして戦後、餓えて死ぬ人を何人も見た。
 
戦争は嫌だ。戦争は決してしてはいけない。
 
君たちに同じ思いをさせたくいない。
 
君たちが大人になる頃、戦争を経験したぼくたちはもういないだろう。
 
この本を読んで、戦争を考えて下さい。
 
戦争について、語りあって下さい。語り合うことが大事です。
 
そして、ここに書かれなかった戦争の真実を、君たちの力で自分のものにしてください。
 
* 野坂昭如『火垂るの墓』 あとがきより
 
「火垂るの墓を歩く会」に参加しました。その1
「火垂るの墓を歩く会」に参加しました。その2
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79年前、運命の夏  『文藝春秋が見た戦争と日本人』より

2024年08月15日 | SNS・既存メディアからの引用記事

いずれも画像をクリックすると本文のサイトに飛びます。

『日本のいちばん長い日』、『聖断』などのノンフィクションを記してきた半藤一利さん(1930~2021)の原点が、

自らが体験した1945(昭和20)年の東京大空襲であった。

 東京大空襲は、1945年3月10日の陸軍記念日(日露戦争時の奉天会戦に勝利した日)、下町が狙われ、死者は10万人を超えた。

あの晩も警戒警報が鳴ったにもかかわらず……

 いま考えると、私が初めて歴史と正面から向き合ったのがその時でした。

つまり、昭和史“探偵”の原点がそこにある。昭和20年3月10日――。まずはその前の晩のことからお話ししましょう。

 9日の夜、東京に警戒警報が鳴ったのは、午後10時半頃でした。この警戒警報というものにすでに慣れっこになってしまっていましたから

この日もさほど驚かなかった。

 軍需工場じゃなければ爆弾は落とされない、さすがにあの頃はもうそんなことを考える人は誰一人いませんでしたが、

逆に言えば、どこにいようが当たってしまえばもうそれまで、と覚悟を決めていたようなところもあったんですね。

ですから、あの晩も警戒警報が鳴ったにもかかわらず、おやじと2人、呑気に寝ていたんですよ。

東京で米軍のB29による空襲が始まったのは、前年の昭和19年11月24日のことです。

11月1日からB29が東京上空に飛来して、警戒警報が発令されることはしばしばありましたが、それはせいぜい一機か二機、偵察に飛んで来るだけで、

いわゆる空襲ではありませんでした。

 しかも空襲が始まったといっても、最初のうちは中島飛行機があった武蔵野地区が標的でしたので、

私が住んでいた向島(むこうじま)(現、東京都墨田区)あたりはB29はただ素通りして行くだけ。

 それも攻撃は昼間と決まっていましたから、澄みきって青々とした冬空を、B29の編隊がキラキラ輝きながら、飛行機雲をひっぱって飛んで行く姿がきれいでしてね。

向島あたりではみんな物見高くて、空襲だといってもまるで他人事のように見物しているような有りさまだったんです。なんとものんびりしたものでした。

 私が勤労動員で働いていた工場でも、B29が来ると、作業を停止して防空壕に退避するんですが、誰も中に入りゃしない。

自分の身に降りかかってこない間は、映画なんか観ているよりよっぽど面白い。坂口安吾さんが書いたように「世紀の見せ物」ですからねえ(笑)

‥‥・以下本文へ続く

文藝春秋が見た戦争と日本人』より抜粋して引用する。(初出:『くりま』2009年9月号「半藤少年がくぐり抜けた戦争と空襲」)

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宮内庁:四ケ国共同宣言を受諾する「玉音放送」の原盤を初公表 音声も公開

2024年08月15日 | SNS・既存メディアからの引用記事

宮内庁:玉音放送の原盤を初公表 音声も公開

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08月14日に目に留まったSNS・メディアの記事

2024年08月15日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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東日本大震災が起こった翌年の [ 2012年07月15日(日)の阿智胡地亭の非日乗ブログ ] 再掲載

2024年08月15日 | 東日本大震災ブログ
2012年07月15日(日)
 
電力小売り、新規業者参入可能に いままでは電力会社独占。
 
経産省委、家庭向け電力自由化へ 発送電分離の推進明記 
2012年7月13日 21時57分 東京新聞(共同通信)

 電力改革に関する経済産業省の専門委員会は13日、電力小売りを全面自由化する基本方針を決め、大手10社が独占している家庭向け市場への新規参入を容認した。

必要経費を電気料金に上乗せできる「総括原価方式」や料金の認可制も競争の進展に応じて撤廃。電力会社から送配電部門を切り離して中立性を高める「発送電分離」の実施に向け2案を明記した。

 一般の家庭でも契約する電力会社を自由に選べるようにして業界の競争や料金引き下げを促す狙い。

コストの高い離島やへき地で料金が高騰しないよう全国の利用者に負担金を求め全国サービスを提供する電力会社などを支援する制度も盛り込んだ。
 
博報堂が請負う「エネルギー・環境政策に関する意見聴取会」
 
 
原発比率 議論深まらず さいたまで初の聴取会
2012年7月15日 東京新聞朝刊

政府が初めて開いた新たなエネルギー・環境政策に関する意見聴取会=14日午後、さいたま市で(河口貞史撮影)

将来の原発比率はどれくらいがいいのか、政府のエネルギー・環境会議が国民の意見を聴く会が十四日スタートした。初回はさいたま市で開かれ、抽選で選ばれた九人が、政府が提示した二〇三〇年時点の原発比率(1)0%(2)15%(3)20~25%の三案に関して意見を述べた。

「国民的議論を深める」ことが目的とされるが、政府側との意見交換もなく、各自が言い分を主張しただけで終わり、議論は深まらないまま終わった。 

 意見聴取会は、この後、仙台、名古屋、札幌、大阪、富山などに会場を移し、来月四日まで続く。初回のこの日は、さいたま新都心合同庁舎の講堂に、事前に登録した約百七十人が集まった。入り口は、空港の手荷物検査場並みの警戒ぶりだった。

 発言者九人の選び方について政府は、登録時に意見概要を添えて申し込んだ発言希望者から「コンピューターによる抽選で選んだ」とし、それ以上の詳しい説明はしなかった。九人はそれぞれが八分以内で考えを述べた。

 青森県むつ市出身で埼玉県川口市の会社員田村久美子さん(48)が「人類は核を制御できない。ふるさとを奪わないで」と原発0%案を支持すると、会場からは大きな拍手が上がった。一方、電気の安定供給を重視する声も少なからずあり、同市の元エンジニア松田平生(ひらお)さん(66)のように「原発50%のシナリオがあってもよい」と訴える意見もあった。

 九人の意見が出そろった後、もう一度補足的に意見を言う機会もあったが、持ち時間はわずか一人二分間。発言者の間で意見を交わすこともなく、持論を繰り返して終わった。

 その後、エネ環会議副議長として出席していた枝野幸男経済産業相が「異なる意見を同時に聴けたことは想像以上に意味があった」とあいさつした。

 発言の機会がなかった傍聴者の女性が、枝野氏に向かって大声で運営方法に対する不満を述べると、司会者は構わず閉会させようとした。会場は騒然となりかけ、枝野氏は「ご意見は真摯(しんし)に受け止めます」と引き取り、第一回の意見聴取会は終わった。

 運営を請け負っているのは大手広告代理店の博報堂で、発注者の経産省資源エネルギー庁は契約額を明らかにしていない。

◆パブコメで政府動かせ 意見公募への参加広がる

 政府が「国民的議論」を踏まえて決めるとしている将来の原発比率について、誰でも意見を出せる手段が、政府の意見公募(パブリックコメント=パブコメ)だ。市民の間に「たくさんの意見が集まれば、政府も無視できない」と、その活用を訴える動きが広がっている。

 インターネットの交流サイト・フェイスブックに開設された「原発ゼロの未来をつくる。国民的議論の場 NO NUKES」のページは「デモもいい、今ならパブコメがもっといい」と意見送付を呼び掛ける。一週間で延べ六万人以上がアクセスし、これをきっかけに「パブコメを送った」というサイト内の書き込みも多い。

 立ち上げたのは、環境政策が専門の大学教員や映像作家ら四人。ページでは、政府が示した三つの選択肢のみではバランスを欠くことや、国民の意見をどう政策に反映させるのか政府が明示していないなどの問題点も指摘している。

 「形だけの国民参加にしてはいけない。まず問題を知り、自分の意見を形成して届け、結果も見てほしい。それが政治を変える力になる」。開設者の一人で東邦大の朝倉暁生准教授はそう強調する。

 脱原発を掲げる他のグループもネットなどでパブコメの活用を盛んに呼び掛けている。十六日に東京・渋谷の代々木公園で開かれる「さようなら原発10万人集会」でも、参加者に送付用紙が配られる予定だ。

 政府は当初今月末だった募集締め切りを、八月十二日に延長した。「主にホームページ(HP)経由で、少なくはない数が寄せられている」と担当者。パブコメはエネルギー・環境会議のHPでの入力か、ファクス、郵送の三方法で出せる。

☆太字は管理人。

相変わらず官庁は広告代理店を使って聴取会をやっていると知った。

全国ヒアリングの集会運営は、もう何十年も電通と博報堂のおいしい独占ビジネスになっている。

両社は発注者である官庁の希望通りの運営をやって、不確かな情報だが一回当たり3千万円ほどの契約金額を受け取る。その原資は全て民の税金だ。しかも金額は水面下の2社の談合で決まる。

 本社東京の大手新聞社やテレビ会社は、自社の生命線である企業広告を押さえている電通と博報堂に頭が上がらない。

電通と博報堂などは、政官財学に新聞テレビの情報産業を加えた体制複合体の重要な一角を占めているが、彼らの実態が大手新聞の記事になることはほとんどない。

この記事で博報堂の名前を出すのは、記者クラブに入れてもらえない東京新聞くらいのものだろう。

電通 Wikipedia
一部引用・・

社員に政財界・芸能界等の有力者子弟が多い。就職活動の場では、コネ通と揶揄されることがある。

2005年(平成17年)、公正取引委員会が調査を開始し、調査報告書において電通の広告業界における寡占化の進行の事実を指摘した上で「公平性、透明性の確保が必要」と結論づけた。
 
エネ環意見聴取会のあり様についての報道
 
 
「国民の声聴く気ない」エネ環意見聴取会 議論進め方 批判次々
2012年7月15日 東京新聞朝刊

意見聴取会の会場入り口でボディーチェックを受ける参加者=14日午後、さいたま市で

これが政府が言う「国民的議論」の場なのか-。将来の原発比率を決めるため、十四日にさいたま市で始まった政府のエネルギー・環境会議の意見聴取会は、抽選で選ばれた九人以外の発言は認めず、政府への質疑もないまま二時間足らずで閉会した。

「政府は国民の声を聴く気がない」。事前登録した約百七十人の参加者からは、議論のあり方に厳しい批判が相次いだ。(鷲野史彦、小野沢健太)

 「傍聴の皆さんもご意見をアンケートに記入いただいてお帰りいただければとお願い申し上げます」

 枝野幸男経済産業相が閉会のあいさつを終えると、傍聴していた埼玉県川口市のNPO法人代表、浅羽理恵さん(47)が立ち上がって叫んだ。

 「すいません! 今回の進め方について一つ…」。ところが、発言を始めるとすぐに司会者が遮った。「本日は選ばれた方のみにご意見をいただくことになっております。発言はご遠慮願います」

 打ち切り宣言に「ふざけんな。聴いてやれ」と会場に怒声が響いた。だが、枝野氏は「今回は決めさせていただいた運営方法でやらせていただきたい」とそのまま閉会した。

 「国民的議論というなら、参加者がどの選択肢を支持しているのか公表してほしかったし、会場からも声を拾うべきだ」。原発0%を推す浅羽さんは「運営にすごく疑問を感じた」と語った。

 ほかの参加者からも議論の進め方に疑問の声が相次いだ。東京都台東区の会社員越田史子さん(34)は「原発が必要と思う人は経済性の話をし、脱原発の人は命の話。論点がかみ合っていなかった。意見交換しないと、溝は埋まらない」。

 渋谷区の法科大学院生、幸(さいわい)裕子さん(31)も「国民の声を聴くアリバイ工作という感じ。国民的議論はせめて半年ぐらいは必要」と、八月に決めようとする政府を批判した。

 会場には埼玉県警の警察官のほか、民間の警備員十人以上が配置され、入り口には臨時の金属探知ゲートが据えられた。参加者はポケットの中のライターやペンなど金属製品はすべて出させられ、カバンの中ものぞき込んで徹底的にチェックされた。飛行機のセキュリティーチェック並みの厳重さで、物々しい雰囲気に包まれた。

 品川区の会社役員林彰一さん(51)は「きちんと会場の意見を聴けば、政府の印象も良くなるはずなのに、いい機会を逃している。政府は民衆をすごく怖がっている」と話した。

◇参加方法・日程

 エネルギー・環境会議の意見聴取会への参加希望者は、インターネットで内閣官房国家戦略室のホームページ上にある同会議のフォームから申し込む。意見表明希望の有無、意見の概要などを記して送信する。応募者多数の場合は抽選になる。当選者にはメールなどで連絡がある。問い合わせは受付事務局=電03(3502)3522=へ。

 今後の開催予定は以下の通り。

 ▽十五日・仙台市(受け付け終了)▽十六日・名古屋市(受け付け終了)▽二十二日・札幌市、大阪市▽二十八日・富山市▽二十九日・広島市、那覇市▽八月一日・福島市▽四日・高松市、福岡市
 
警察は規制強化 金曜日の首相官邸前デモ
 
 
脱原発デモ 13日も15万人 警察の規制強化に参加者カンカン
2012年7月14日 ゲンダイネット


逆効果 怒りに火をつけた

 毎週、金曜夜に首相官邸前で行われている「脱原発デモ」は13日も行われ、主催者発表によると15万人が集まった。

 先週よりも参加者の出足は早く、午後5時半には地下鉄国会議事堂前駅の4番出口から官邸に通じる道の歩道は人がぎっしり。一歩も進めない状況だった。

 6時にシュプレヒコールが始まり、参加者は「再稼働 反対」を大合唱。通販で購入した団扇(うちわ)太鼓を鳴らす人、野田首相そっくりのマスクをかぶった人、ほら貝を吹く人と、趣向をこらしたアピールを披露して、デモは午後8時に解散した。

 異常なのは、よほど官邸サイドがデモを嫌っているのか、規制をどんどん強めていることだ。大森から来た60代の男性はこんな不満をもらした。

「先週は車道に人が立ち入ってもいいようになっていたのに、今週はシャットアウトしている。だから、みんな狭い歩道の上で身動きできない状態なんです」

 さいたま市在住の30代OLは今回が3度目の参加。「警察はどんどん厳しくなっている」と言う。

「先週も今夜も参加者は紳士的に行動していた。このデモは規制がなくても安全なんです。狭い歩道に押し込んだほうが何か起きたときに大事故につながるんじゃないですか」

 警察はデモ隊を官邸前に近づかせないために、かなり手前からブロックして、官邸から遠い場所に誘導。参加者を分断していた。
 しかし、いくら規制を強めても、逆効果になるだけだ。

「官邸前のデモは、『アラブの春』のように、フェイスブックなどを通じて、自然発生的に集まったものです。動員されたものじゃない。だから、規制してもなくならない。官邸前でのデモを全面禁止にしても、場所を東電の本社前など、他に移して行われるだけです。規制を強めれば反発を呼ぶだけなのに、首相官邸はまったく分かっていません」(立正大教授・金子勝氏=憲法)

 首相官邸はいつまで国民の声を無視するのか。

拡大!反原発デモ 一歩間違えれば将棋倒し 警察の過剰警備に渦巻く怒り
2012年7月10日 ゲンダイネット

国会議事堂前駅は大混乱

 毎週金曜夜に首相官邸前で行われている反原発デモ。6日には、坂本龍一氏や亀井静香衆院議員なども訪れて、悪天候にもかかわらず15万人(主催者発表)が集まった。その一方で、反発を招いているのが、警察の過剰警備だ。

 6日19時ごろ、丸ノ内線国会議事堂前駅構内は、デモ参加のサラリーマン、学生、家族らでごった返した。原因は警察の駅封鎖だ。機動隊員がいくつかの出口の階段前に立ち、行く手を阻んだ。しびれを切らした参加者が「いい加減にしろ」と怒声を浴びせ、現場は一触即発のムードだった。

「4番出口しか開放されなかったため、構内はデモ参加者であふれていました。誰かが転んだら将棋倒しになるとヒヤヒヤした。やっと外に出られたと思ったら、官邸とはかけ離れた場所に誘導され、シュプレヒコールをあげられないまま帰された人がたくさんいました。官邸前には機動隊の車両が並び、諦めて帰る人も少なくありませんでした」(デモに参加した女性)

 警察はデモ隊を官邸前に近づかせないため、かなり手前からブロック。人々は分断され、官邸から遠い場所に誘導された。警察は封じ込めたつもりかもしれないが、参加者はネット上に怒りをぶちまけている。将棋倒しの懸念もある。過剰警備が、混乱の火種になりかねないのだ。

「私は、ワシントンで25年ほど生活し、数十万~100万人規模のデモを見てきました。日本人は、警察の言うことを聞いて従っている。知り合いのスイス人記者は『日本人はデモをしない国民だと思っていた。今回はインターネットなどの声で一般の市民が動いている点で驚き、評価できる』と話していました。デモは世界的に当たり前の行動なのです。日本人はおとなし過ぎるくらいです」(ジャーナリスト・堀田佳男氏)

 それなのに国民の行動を押さえつけようと必死の警察。逆効果としか思えない。
 
傍聴者は警備対象であると言う公安警察の宣言
 
 
傍聴者情報の提供、説明控えて 警察が要請と保安院
 2012/07/12 20:58 【共同通信】

関西電力大飯原発(福井県)の断層調査をめぐる専門家会議で、経済産業省原子力安全・保安院が傍聴希望者の情報を警察に提供したと市民団体が指摘していることについて、保安院の森山善範原子力災害対策監は12日の記者会見で、警察から詳細な説明を差し控えるよう要請を受けたことを明らかにした。

 警察側は要請理由について、今後の警備活動に支障が出る恐れがあるとしているという。

 提供の有無に関し、森山対策監は「詳細な説明を控える。これが正式な回答だ」と述べ、明確な回答を避けた。

 専門家会議は3日に経産省で開催。
 
 
 
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 神戸市東灘区から 兵庫県の室津を訪ねた      2002年3月     日本あちこち記から  その7 

2024年08月14日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

室津へは10数年ほど前、神戸に戻って暫くして日帰りで行ったことがありますが、今回はガイドブックで見つけた「きむら」という旅館に一泊の予約をしました。

この旅館は竹久夢二や谷崎潤一郎が滞在し創作や執筆をしたと紹介されていましたが、いまは町中から出て高台へ移転しています。

宿の一角に夢二の絵が沢山掛けられていました。

 竹久夢二はここからそう遠くない岡山県の邑久郡の出身です。(このことは大阪勤務の時、仕事で邑久のヤンマー造船所へ行った時に知りました)

室津は江戸時代、参勤交代の西国大名が参勤交代のため瀬戸内海を船で移動するときの船本陣があった自然の良港です。

宿に車をおいて部屋で一休みしました。 部屋からは、港と小さな湾を囲んだ平地にぎっしり立ち並んだ家々と漁船の群れが真下に見えました。

その後、宿のある高台から港までおりて町に入りました。町には昔の本陣と脇本陣だった建物が二つだけ保存され、博物館になっておりよく維持されていました。


江戸時代、北海道、秋田、酒田などと交易をした北回船の胴元達もこの地にいたり、本陣もいくつもあったりで、

室津は近隣では飛びぬけて富裕な土地柄だったため、姫路藩が飛び地として所有、支配していました。

姫路の殿様や上級武士はここの金持ち連中から毎年盆正月に借金しては踏み倒し、その代償として苗字帯刀、駕籠使用の許可などで、

商人のご機嫌を取っていたような説明があり、思わず笑ってしまいました。

ロシア宮廷も清朝も江戸幕藩体制も末期になると人間のやることは皆同じで、経済が商業資本に実質的に、押さえられています。

脇本陣の家は革細工の煙草入れの製造元でもあり、当時から大阪船場に販売の店を持っていたそうです。

今に続く姫路の革産業は歴史があるんやなあと思ったことと、この豊野家の「豊」という字は姫路藩の筆頭家老である「豊田」氏から使用を許され、

名乗ったという説明で、そう言えば、元の勤務先で知っているあの方も姫路西高の出身だったなあとフト頭に浮かびました。

◎江戸時代、参勤交代の西国大名の往来で栄えた頃、「室津千軒」と言われたという町中を歩くと今は全くの漁師町ですが、

立派なお寺やソテツの群生がある岬の丘に結構大きな「賀茂神社」があり、長年旦那衆がいたところだと実感します。


余談ながら加茂、鴨、賀茂と漢字は色々ですが、古代、海洋民族の「KAMO族」が南洋から日本に、次々と数多く漂着し各地の海辺に定住したり、

魚を追い、川を溯って山国へ移動して住みついたりしたため「賀茂川」や「賀茂」という地名は全国各地に数知れません。

また賀茂神社は京都の下賀茂、上賀茂神社のように日本の神社の中でも相当古い神社のようです。

京都の下賀茂神社にお参りした時、その建築物が、高床式で柱と屋根だけのマレーシア、サラワクやフィリピンの家と殆ど同じ形式なのに驚きました。

とても寒い京都の気候から生まれた構造物ではありません。また祭られている神様は当然「水」の神様です。

◎魚中心の夕食を旅館なので部屋に運んで来てくれ、ゆっくりおいしく食べました。

食事の後、ロビーの夢二のコレクションを見て早めに休みました。

何となく外が騒がしいので目が覚め、時計を見ると明け方の5時半でした。窓を開けるとドッドドッドとエンジンを轟かせ漁船が次々と港を出て行くところでした。

真っ暗闇の中をマストに赤と緑のランプをつけ、前だけを照らして同じ間隔を取って出港していきます。小さな漁船が100艘ほども一列縦隊で出て行くのを始めて見ました。

思わず最後の一艘が出て行くまで見てしまいました。朝食の時にいいものを見たと宿の女性に言ったところ、

彼女には毎朝の出来事らしく、なんでそんなものが珍しいのかという顔をされてしまいました。


③港で干物を買って、赤穂御崎を目指しました。カーブの多い海岸線に沿って走っていくと、建造中の大きな自動車専用船が何ばいか見えてきました。

いつしか相生市に入っていました。


船が建造されていたのはIHIの相生造船所でした。本館と思える建物やドックを過ぎると、中国から江戸時代?に移入された「ペーロン船」の競争会場が現れ

赤と金を多用した中国風の記念館があって、テレビでしか見たことがない場所に突然紛れ込みました。

車で移動すると時々こういう思いがけない楽しみがあります。

赤穂御崎でゆっくり海を眺めたあと、山陽自動車道の赤穂ICで高速に乗り、

帰りは2時間ほどで家に帰り着きました。走行距離計は242kmでした。

  2002年3月記。画像は全てネットから蒐集。

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清水ミチコものまねヒット曲メドレー①(約)40変化!

2024年08月14日 | SNS・既存メディアからの引用記事

清水ミチコものまねヒット曲メドレー①(約)40変化!

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08月13日に目に留まったSNS・メディアの記事

2024年08月14日 | SNS・既存メディアからの引用記事

いずれも画像をクリックすると本文全文に飛びます。

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東日本大震災が起こった翌年の [ 2012年07月14日(土)の阿智胡地亭の非日乗ブログ ] 再掲載

2024年08月14日 | 東日本大震災ブログ
2012年07月14日(土)
 
SPEEDI情報が伏せられたために誤った避難と被曝被害
 

政府事故調:文部科学省がSPEEDIを即時公表していたら避難に活用できた
毎日新聞 2012年07月14日 02時43分

 東京電力福島第1原発事故に関する政府の事故調査・検証委員会の最終報告書で、放射性物質の拡散を予測する国の

「緊急時迅速放射能影響予測システム(SPEEDI)」について、

昨年3月15日に結果が公表されていれば、住民避難に活用できたと認定していることが分かった。

また、原子炉内で地震による小規模な配管損傷の可能性は低いと言及する見通しだ。

 報告書は本文編と資料編で計約700ページで、今月23日に公表される。それによると、昨年3月15日に2号機から放射性物質が大量放出し、

北西方向の福島県飯舘村方面に広がったが、SPEEDIの予測結果が出たのと同時に公表されていれば、住民は北西方向に逃げずに済んだと指摘。

その後に実施された放射性物質の線量を把握する文部科学省のモニタリング調査も避難に活用できたのに、公表されなかったのは問題とした。 

地震による小規模の配管損傷の可能性については、「仮に損傷していたら原子炉圧力などの実測値と合わない」と否定的だ。


 
 
福島原発2号機の最大放射能放出の原因わからないまま
 

2号機の最大放出 原因解明できず
7月14日 5時44分 NHKニュース

 東京電力福島第一原子力発電所の事故で、最も多くの放射性物質を放出したとみられる2号機について、政府の事故調査・検証委員会は、近く公表する最終報告で、

放出経路や詳しい原因は現場の調査や時間の制約から特定できなかったと結論づけることが分かりました。


事故調査・検証委員会は、国や東京電力に調査を継続するよう提言する方針です。

福島第一原発の2号機は、事故発生の4日後の去年3月15日に、今回の事故で最も多くの放射性物質を放出したとみられ、その原因を政府が設置した事故調査・検証委員会が、今月23日に公表する最終報告でどう解明するか注目されています。

東京電力は、格納容器が壊れたのは、圧力が急に下がった最大放出当日の15日の午前7時20分ごろとこれまでの解析で仮定しています。

これに対し事故調査・検証委員会は、最終報告で、圧力が14日午後1時半ごろから午後6時ごろにかけて徐々に下がっているため、

最大放出の前日の昼すぎに格納容器が壊れていたとする新たな見解を示すことが分かりました。

事故調査・検証委員会は、東京電力との食い違いが1号機や3号機の解析でもみられることから、

「東京電力の分析は、実際の現象を反映していない可能性が高い」と指摘することにしています。

しかし放出経路や詳しい原因は、現場の調査や時間の制約から特定できなかったと結論づけることにしています。

そのうえで国や東京電力に、壊れた場所を特定し原因を究明するために、調査を継続するよう提言する方針です。

事故調査・検証委員会の結論や提言は、事故から1年4か月がたっても、高い放射線量のために現場の調査さえ十分にできない現実や原因の解明の難しさを改めて浮き彫りにしています。

東京大学大学院の岡本孝司教授は「大量の放射性物質が放出された原因を知ることは、今後の原発の安全対策や、福島第一原発の廃炉に向けて重要な意味を持つ。

しかし2号機では、ロボットによる調査が始まったばかりで、情報が不十分なため原因の推定は難しい。

今後は日本国内だけでなく、世界中の人に来てもらい調査を継続していくことが重要だ」と話しています。
.

 
 
 
経産省の内部メールに見る国会軽視の体質
 

2012年7月13日 岸 博幸 [慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授]

経産省内部メールが指し示す
大臣・事務方の国会軽視と組織の弛み 

私は秘密文書の暴露とかはあまり好きではないのですが、今週月曜に経産省内で出回ったメールの内容があまりにひどいので、

そのほぼ全文を掲載し、何が問題かを考えたいと思います。まずはそのメールをお読みください。


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件名:【お願い】大臣の読み物について

お疲れさまです。いつも大変お世話になっております。
さて、国会中における大臣の読み物のお願いです。

大臣は、本日の予算委員会や参本会議等、全大臣出席であまり大臣への質問がない場合、各局等からいただいた読み物をご覧になっております。
これまでいただいた読み物については、図やカラーのものを除き、ほとんど大臣はお読みになり、現在は電力システム改革専門委員会の議事録をお読みになっています。

つきましては、以下のスペックの読み物を当方までご送付頂きたいというものです。

・原則文章のみの資料(審議会、研究会の報告書、論文、何かのレポート、書籍のコピーが典型例)をお願いします。
・カラフルなものではなく、白黒のものをお願いします。
・パワーポイントで作成した資料、図や写真が多いもの、英語はNGです。

具体的には、以下のようなイメージです。

1.大臣が冒頭や最後に挨拶を行っている審議会等(総合エネ調基本問題委員会、電力システム改革専門委員会、クールジャパン官民有識者会議等)の議事録に加え、同審議会等でご発言されている主立った委員が書いた各種レポートや論文

2.大臣が出席はしていないものの、面白い議論を行っている審議会、研究会の議事録、主立った委員のレポート、論文


ご多忙中恐縮ですが、11日(水)中までに当方まで送付いただけると幸いです。


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メールから読み取れる2つの大きな問題


 これは、大臣秘書官室から大臣官房と各局の主要な課長補佐に送られたメールです。

このメールを読んで、読者の皆様はどのように感じたでしょうか。私は、2つの大きな問題点があると思っています。

 1つは、大臣と事務方の双方の国会軽視の姿勢です。

 国会に出席している大臣はそこでの審議に集中するのが当然の責務です。

まして今は消費税増税法案や原発問題など重要な政策課題が議論されているのですから、仮に質問通告がない場合でも国会での質疑に全神経を集中すべきです。

 それなのに、国会中の内職のための資料を省内から集めるというのは、国会軽視の極みではないでしょうか。

ちなみに、私は小泉政権の間ずっと竹中平蔵大臣の補佐官/秘書官を務めていましたが、当時の竹中大臣は国会審議には常に集中し、内職など決してしませんでした。

政策の勉強が必要なら、当時の竹中大臣がそうしていたように、夜に睡眠時間を削ってやればいいのです。

 もう1つは、経産省の組織としての弛みです。

 このメールのような国会軽視の文書が外部に漏れたらどのような批判を受けることになるか、常識があれば考えるまでもなく分かるはずです

緊張感を持って仕事をしているならば、メールのように不特定多数に漏れるリスクのある手段は使わず、多少の手間はかかっても口頭でやろうと思うはずです。

 それが今回のようにメールというリスクのある安易な手段を使っているというのは、経産省が組織としていかに弛緩し切っているかを如実に示していると言えます。

 そもそも、経産省は原発事故に関して大きな責任を負うべき立場にあり、本来は今後の原子力政策(発電量に占める原発の割合)や発送電分離、電力料金値上げなど、エネルギー政策の様々な重要課題について早く明確な方針を決めるべきなのに、どれも先送りしてばかりです。

 更には、震災復興、TPP、成長戦略など、エネルギー政策以外にも経産省が貢献すべき政策課題が目白押しであるにも拘らず、

これらについては通り一遍の政策対応をしている程度です。それは、今月中に政府が発表予定の“日本再生戦略”の原案からも明らかです。

経産省が真面目に知恵を振り絞ったとはとても思えない、過去の陳腐な政策アイディアの焼き直しばかりですから(この点については来週にでも書こうと思っています)。

 うがった見方をすれば、経産省は敢えて目立たないようにしているのでしょう。何でも官邸や政権を前面に立て、その陰に隠れているのです。

原発事故以降あれだけ世論の批判を浴びたのですから、そうなるのも当然とは言えますが、その作戦が功を奏して、例えば毎週金曜の反原発デモの矛先は官邸に向かうなど

、経産省は目立たなくなっています。

 しかし、それで安心して今回のメールのように経産省の組織が弛緩してしまっているとしたら、それは論外です。

経産省がこのような情けない組織になってしまったのは、経産大臣はもちろんですが、それ以上に官僚のトップである事務次官の責任が大きいと言わざるを得ません。

 野党もマスメディアも世論も、経産省に対してもっともっと厳しい視線を送るべきではないでしょうか。

 そして、元々経産省は政府内になくても良い組織であり、通商/エネルギー/中小企業などの必要な行政を他省庁に移管すれば、経産省自体は解体できるのです。

ですから、次の衆院選後に誕生するであろう新政権は、東電を解体できない経産省を解体することを真剣に検討すべきではないでしょうか。

 
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2408 葉っぱのカーテン。 ムラサキ山芋のツルについた沢山の葉が風に揺れる

2024年08月13日 | 花・草・木・生き物

2408 葉っぱのカーテン ムラサキ山芋の葉が風に揺れる

 ベランダの植木鉢の木々にこの夏は一日三回の水やりが必要だ。それぞれの葉っぱから大量の水分が蒸発しているからだ。

おかげで狭いベランダの温度が一度くらい下がっているのかも(笑)。

奥にオリーブとユーカリとテーブル椰子とワイルドストロベリーの鉢がある。

シマトネリコの鉢も思った以上に大きくなった。トネリコの奥はステレオスペルマム。

錦糸町のダイソーでほんの15cmくらいの高さのステレオスペルマムの小鉢を110円で買ったときは

ここまで大きくなる木だとは想像もしていなかった。

ムラサキ山芋のツルはこの月下美人の鉢に植えた「ムラサキ山芋」から延びている。

ステレオスペルとシマトネリコの間にはガジュマルの鉢が・・

 

 

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【AIで人間は家畜化される】精神科医・熊代亨/日本は自己家畜化先進国か?/「文化的な自己家畜化」とは何か/ネット炎上と自己家畜化【EXTREME SCIENCE】

2024年08月13日 | SNS・既存メディアからの引用記事

【AIで人間は家畜化される】精神科医・熊代亨/日本は自己家畜化先進国か?/「文化的な自己家畜化」とは何か/ネット炎上と自己家畜化【EXTREME SCIENCE】

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