きのう朝の大雨(名瀬9時台67mm/h 湿度95%)で林道の観察ドライブは中止。
長浜町では、朝は夕方のように暗く、県道では点灯して走っている車もあるほどだった。気象庁の速報では名瀬以外の奄美各地の観測点では、非常に小さい数字。
きょうは、あかるい日差し。↑
↑ きのう6日11時ごろ写す。東シナ海側 知名瀬沖
林道わきにはキク科のヤマヒヨドリバナが満開。
飛来のアサギマダラも急に増えた。
ヤマヒヨドリバナのにおいをかいだ。
微妙な芳香。人によって感じかたもビミョーかも知れない。
←これを読んで、ヤマヒヨドリバナの「芳香」を確かめに行った。
昭和47年(1972)島尾敏雄の日記(日の移ろい p171)
十一月八日 (きょうにあたる7日の日記はやすみで、よく9日、名瀬は「天気がくずれ、暗い荒れた感じにな」る。「二十七号台風の影響らしい。」)
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”家の門のそばの小菊の群れ花のにおいがとてもきつくなった。花のにおいというより、
けだものか、すえた人肌のようなむっとするにおいになってきた。そのまわりを茶や黒
や白の蝶が群らがり飛んでいて、動きはにぶいのにとてもしつこい。それを見ると胸が
悪くなると妻は言っていた。私もへんに頭が痛くなって吐ぎ気を催した。”
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ここは、名瀬の街の平地だと思うが、「小菊の群れ花」とは何の花だろうか?
「茶や黒や白の蝶」とは? アサギマダラか。
「群らがり飛んでいて、動きはにぶいのにとてもしつこい」
今頃の時期のアサギマダラの様子にている。
現在、長浜町の平地でアサギマダラをみることはほとんどない。
島尾は、小菊の群れ花のにおいも茶や黒や白の蝶もにがてだったらしい。
======余談ですが、
ちなみに大相撲もにがてだったらしい。
昭和48年(1973)島尾敏雄の日記(続 日の移ろい 7月6日 p141 後半)
夕方灸院に行くと、順番待ちの男たちが待合室で相撲を見ていた。
(名古屋場所初日か?)男たちに、島尾がどのような感じをいだいたかは、小説を読んでみてください。この小説は漢字をできるだけ少なくした感じがしてとても読みやすいです)
壮、老年の男たちの描写のあと、
”画面に写し出された力士の表情には、一触即発の緊張もあらわによみ取れ、じっと見ているとなんだかそのどれひとつとして神経症への迷いこみの契機を合まないものはないように思え、脳の組織の微妙な組み合わせの均衡でようやく保たれている底知れぬからくりが、実に危険な脆弱なものに思われてきて、正視していられなくなった。”
島尾はこのころ気鬱に苦しんでいた。