カフェテラス

テラスの片隅で一人心に呟くように

長寿国の厄歳

2012年03月25日 | ★ 日々の呟き



満年齢が日常になっているが、神社などの年齢は昔ながらの、数え年の年齢が示されている。
満年齢にしたがって、来年は私も喜寿を迎えるのだと、動作や体調の悪い時など、ふっと歳のせいにしてしまっている。
古稀を迎えたときとは、気持ちのあり方が確かに違っている。
「古稀」の語源は、《杜甫「曲江詩」の「人生七十古来稀」から》数え年70歳のこと。
杜甫の時代には、人の命は短くて70歳まで生きることは、稀に見るめでたいことなのだと、言うのが通常の時代だったのだろう。
世界の長寿国となった今、古稀を迎えた時は、まだまだ元気で、好きなこと、行きたいところなどへ、カメラブラブラ下手なスナップなど撮っている毎日がとても楽しく思えて行動していた。

75歳になった昨年は、心に微妙な変化が起こった。
大好きだった祖母が75歳で他界している。
三人の娘と一人の息子を、夫亡き後(祖父は父が9歳の時他界)教師をしながら、娘たちは女学校を、息子は師範学校を卒業させた、あの時代の女性としては、本当に尊敬できる心の強い人だった。
その祖母が、75歳で、長患いもしないで自分のなすべきことを、全て終えたように、母の短い看病の後静かに旅立った。

そして、城南宮に参拝した時、今年は自分の厄年であることを知った。







久しぶりで花を買った。
膝を痛めてからは、しゃがむ作業が困難なので、花造りはしないことにしていたのに、5鉢のマーガレットを買ってきた。
鉢植えを地植えに移すには、遅い霜が降りない頃になったほうが良いと、店の人が教えてくれたので、まだ軒下においている。

花言葉は「真実の友情」「愛の誠実」。

今年厄年であることを知った日、これから迎える日々を、家族にも友にも、いろんな絆で支えてくれる人にも、偽りなく誠実につながりをもてるようにしたい。
そして毎日が厄年であることを忘れることなく、「厄」であることを認知したら「厄」と共生して、無理な抗いはしないことにしよう。
次の厄年は88歳。
父の歳も、母の歳も、乗り越えていくのかしら。私の定命は・・・神佛のみぞ知る。
それまで、「今日が一番若い日なのだから」と思いながらの一日を過ごせるといいのだろう。
コメント (8)
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