城南宮では、枝垂れ梅とともに、椿祭りも行っていた。
枝垂れ梅を観梅した後、順路に従って神苑を散策した。
大きく育った椿のある山は、この離宮を作ったときの築山であったらしい。
数多くの種類の椿があって、緑の葉の中に赤く点々と咲いている椿には元気印を見るようだった。
「椿」と言う文字は「春に花咲く木」である。四季のある日本にふさわしい命名だ。
中国から渡ってきた漢字ではなく、日本で作られた文字だそうである。
また、葉っぱの厚みと光沢から、古代の日本人は、冬も緑色の椿の葉に 、霊力を感じたらしい。
椿を見ているとそれらのことが全て納得できる。
ほとんど開花した種類の違う椿の花に、まるで見つめられているような感じで、椿の間の散策道をゆっくり歩いた。
椿の木が混み合って太陽の光が差さない地面に、ぽつぽつと転がってきたような、落ち椿が無数にある中に、光の差した一輪が異様なほど輝いているのが印象的だった。
古木なのだろう木の根が地表を這っている。
こちらの落ち椿と、梅の花びらの散り敷いた、緑の苔山には、完全な春の訪れの華やかさを見ることができる。
自然界の輪廻がこの1枚にある。
早い季節の咲き誇った椿が落ち、枝垂れ梅に春のバトンを渡し、枝垂れ梅は細く枝垂れた先までも、せいいっぱいに花を咲かせている。
訪れの遅かった花の季節だけに、この移り変わりが生き生きと私たちにメッセージを送ってくれているようだ。
「安心なさい!。春ですよ。」って。
この日見た椿の山で、私の一番好きだったのは、この沢山の落ち椿が緑の苔に、役目を終えた後の寛ぎに見えたからかもしれない。