城南宮の枝垂れ梅、椿の山を過ぎると、それまでの季節の花の華やぎと一変して、平安の庭の雅な世界に誘われる。
「曲水の宴遣り水」 ここまで来てはっと気がついた。
毎年テレビの画像で春と秋に、平安時代の装束を身に纏った人たちが、この遣り水の縁にすわり、杯が流れてくる間に和歌を詠む、そんな光景をただうっとりと眺めていた私だった。
その曲水の宴の場所が、ここ城南宮の神苑、平安の庭であったのだ。
平安時代の庭に次いで、室町、桃山時代の庭が神苑に策定されていた。
寺院を訪れることが多く、その縁側や廊下に長く座って庭の鑑賞をするのが好きであるが、その場にいるだけで、癒され和み、安らぎを与えてくれるといった精神的で、主観的な鑑賞の仕方しかしない。
だから時代により庭の特徴など、パンフレットを見ながら、理解しながらもすぐ忘れてしまう。
最近は忘れることも気にならなくて、感動することのほうが多く、いつも新鮮な感じで対象を眺めている。
沢山撮った写真なので、分類をしてはみたが、間違いがあるかもしれない。
城南宮の枝垂れ梅は、本当に綺麗だった。その綺麗な印象とともに、三つの時代の整然とした庭を鑑賞する機会を得たことはありがたかった。