カフェテラス

テラスの片隅で一人心に呟くように

御霊神社のお祭り 二基の神輿のお渡り

2012年10月27日 | ☆ ふるさと・大和

五條市霊安寺町の御霊神社の秋祭りが、今日27日が宵宮で、明日28日は本宮です。明日は雨の心配があるのですが、今日は秋晴れに恵まれ、御霊神社から大川橋を渡ってR24手前のお旅所(恵比寿神社)まで、古式通りの、二基の神輿によるお渡りの行列が行われました。

これは、「風輦(ほうれん)みこし渡御(とぎょ)」といって、40年ぶりに行われた御霊神社の神事でした。   

  

御霊神社は由緒ある神社です。五條市には数多くの御霊神社がありますが、その本宮がこの神社です。

  

ご祭神の井上内親王は聖武天皇の第二皇女で光仁天皇の皇后でしたが、『続日本紀』宝亀三年(七七二)三月癸未と同年十月辛酉の条によると、巫女に天皇を呪詛させたとの罪で皇太子の他戸親王と共に廃され、宇智郡に幽閉、同六年四月二十七日、母子ともに死去したと記されています。しかし親子が同じ日に亡くなる事自体おかしいことであり、この事件は藤原百川の謀略によるものとの噂が当時の世間に流布されました。同七年(七七六)九月と翌年冬に天災地変がしきりに起こり、皇后や皇太子の怨霊と恐れられたため、霊安寺が創立されて両者の霊を弔って建てられたのが、御霊神社です。その後二人には皇后 皇太子の身分も戻され、現在の御山町に、「井上(いがみ)内親王の御陵」があり、厚く葬られています。

  

金具や屋根の上の鳳凰の飾りがある二基の神輿です。左は元禄3年に新調された神輿で、現在は台車で引かれる様にしています。右の木造黒漆喰塗りの神輿はいつ造られたのか不明で、台車はなく担い手によって、担がれてお旅所まで大変な力のいることなので、40年間は、元禄神輿だけだったのですが、今年は担い手を募集して、揃った所で、二基のお渡りが実現したわけです。 

  

境内の外では、子供神輿がスタンバイです。

午前中拝殿で、お祭りの神事が行われていました。

五條恵比寿神社のお旅所までの、お渡りの行列は午後から始まりました。以下写真のみです。

      

        

  

  

  

  

五條病院の前で、神輿行列を待って、目の前を通過するごとにひたすら写していきました。このようなお渡りの行列を、わが町で見たのは初めてです。大抵は住む地区の神輿と子供みこしは、家の前の通りに出てみるくらいでした。今年は、40年ぶりと新聞に出ていましたので、野原町まで出かけましたが、やはり神輿だけでなく行列の人たちの持ち物なども、御霊神社にはこんな古式豊かなものが引き継がれていたのかと、再確認した日でもありました。 

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする