映像:文化学院女学部長時代の撮影と思われるハイカラな与謝野晶子photo(文化学院所蔵)
元文部大臣与謝野馨氏は与謝野晶子の孫で、文化学院(29年閉校)の院長であった。
≪ 平成調査結果:研究&調査&執筆 与謝野晶子(官能と情熱の歌人)2006.4~2018.12 ≫
「 やは肌のあつき血汐・・・」 などの情熱短歌作家、12人の子沢山、源氏物語の現代語訳者。
この作家も筆者の心をときめかせた一人に違いない。そして後に温泉地の先々で彼女の
歌碑と出逢うことになる。温泉地探訪の女性先駆者。その理由は温泉地で開催する歌会。
豊かでなかった晶子は夫鉄幹と歌会を主宰することで趣味(温泉旅行)と実益を兼ねていた。
(下記アンダーラインをクリックすると本ブログの訪問記録参照可)
①「山畑に しら雲ほどの かげろふの 立ちて洞爺の 梅さくら吹く」・・北海道洞爺湖温泉
②「啄木の 草稿岡田 先生の 顔も忘れじ はこだてのこと」・・・・・北海道湯の川温泉
③「深山なる かじかに通う 声もして 岩にひろがる 釜ふちの滝」・・岩手県花巻温泉
④「さみだれの 出羽の谷間の朝市に 傘して売るは おほむね女」・・・山形県温海温泉
⑤「温泉は いみじき瀧の いきほいを 天に示して 逆しまに飛ぶ」・・新潟県瀬波温泉
⑥「草まくら 手枕に似じ 借らざらん 山のいでゆの 丸太のまくら」・・栃木県法師温泉
⑦「榛名山(はるなさん)の一角に 段また段を成して羅馬時代の野外」・・群馬県伊香保温泉
⑧「山代の 泉に遊ぶ たのしさを たとへて云えば 古九谷の青(鉄幹)」・・石川県山代温泉
⑨「松たてる 安宅の砂丘 その中に 清きは 文治三年の関」・・・・・石川県片山津温泉
⑩「川浪が 雨の裾をば 白くする 三朝の橋を 越えてこしかな」・・・鳥取県三朝温泉
⑪「かじか鳴き 夕月映り いくたりが 岩湯にあるも みな高田川」・・・岡山県湯原温泉
⑫「かまくらや みほとけなれど 釈迦牟尼は 美男におわす 夏木立かな」・・・・ 鎌倉大仏
⑬ 「霧島の つばさとすれど 地を捨てぬかな」・・・宮崎県霧島連峰韓国岳登山口白鳥温泉
⑭ 「明礬の湯の きよらなり 帝王の翡翠の床と くらべて想う」・・・・・・鹿児島県硫黄谷温泉
与謝野晶子の足跡は北海道から九州まで主要温泉地に見られる。先に述べた様に地方富裕
層を対象に「歌会」を開催し、その場所が各地の著名温泉地であることが与謝野夫妻の温泉
地での歌碑が多数存在する理由と推察。明治から昭和初期まで温泉地は富裕層の社交場所。
所感:短歌「やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」(乱れ髪)にも
ある通り当時(明治時代)としては驚く官能的な表現や、戦地の弟に寄せた詩文「君
死にたまふことなかれ」は専制国家時代では自由的表現であり、その表現は奔放だ。
五万首とも云われる中、探査した歌碑は少ないが温泉観光地の短歌をしみじみ鑑賞。
余談:与謝野鉄幹は教え子二人と関係するなど明治にあって好色的。晶子は鉄幹に妻子が
ありながら、一時不倫の誹りを受けつつ謂わば略奪婚同様の行動で時代を生き抜く。
その強烈なパワーが全国の温泉地に歌碑が残る原動力となったのだろう。女は強し。