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映像:石川啄木が中学時代、授業を抜け出し遊んだ盛岡城址(岩手公園)に建つ歌碑
【岩手・秋田ツーリング2019 2019年11月09日】
碑文:石川啄木はお城に隣接する盛岡中学校で学び、授業の合間に此処で思索した。
『不来方の お城の草に寝ころびて 空に吸はれし 十五の心』(一握の砂)
解説:授業をサボり、教室を抜け出し古城の草叢に仰向けになり、青春の野望を抱く、
夢多き青年心情が新鮮に発露。不来方とは盛岡の別称。小生の好きな歌の一つ。
石川啄木を辿り、石川節子に至る。妻節子無くして彼の作品は生まれなかっただろう。
貧富の差が激しい時代。歌人(芸術家)の一面と、頑固で我侭、いい加減・身勝手な
男の一面。自分と重なるものがある。誰しも青年期、夢多きもの、他人事に思えない。
参照#①石川啄木へ献身した妻節子の歌碑「この船は・・・石川啄木記念館」
②石川啄木(哀しみの歌人)探訪紀行
献歌:共に26歳、結核で去った啄木の天才と妻節子の献身に、こころより歌を捧ぐ。
『不来方の 苔生す石垣に 刻まれし 啄木が夢は 色褪せず』 (和)