映像:東北砕石工場時代の宮沢賢治、石川啄木より年下だが何故か同じ影が視える。
宮澤賢治は筆者にとって詩人であった。学生時代感銘を受けたのが詩集「春と修羅」
に収められた一篇。日本女子大学校在籍の妹とし子の臨終を詠んだ哀しく切ない詩。
高村光太郎の妻智恵子も又、日本女子大学校卒。此の縁なのか光太郎は花巻に隠棲。
~永訣の朝~:宮澤賢治(春と修羅より) この詩は声を出して読むべし
けふのうちに
とほくへいってしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
うすあかくいっさう陰惨〔いんさん〕な雲から
みぞれはびちょびちょふってくる
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
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ああとし子
死ぬといふいまごろになって
わたくしをいっしゃうあかるくするために
こんなさっぱりした雪のひとわんを
おまへはわたくしにたのんだのだ
ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
わたくしもまっすぐにすすんでいくから
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
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この雪はどこをえらばうにも
あんまりどこもまっしろなのだ
あんなおそろしいみだれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ
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おまへがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが天上のアイスクリームになって
おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに
わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ
解説:「あめゆじゅとてちてけんじゃ」とは病の床で妹が賢治にみぞれ雪を望んだ
方言、雪のように純白で淡い妹を思った詩、学生の私は感涙したものだった。
参照#宮沢賢治(銀河の詩人)探訪紀行