孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

カンボジア  狂気の記憶・・・トゥール・スレンより

2008-01-07 17:59:10 | 身辺雑記・その他

(トゥール・スレン展示写真より 2008年1月撮影)

トゥール・スレンを訪れた日は雲が少し厚めの日でした。
もともと高校を利用した建物ですから、外観は全く威圧するようなものはありません。
ポルポト時代に“反革命分子”とみなされた人々を収容するために使用されたトゥール・スレン(正式名称 Security Office 21通称“S21”)。
建物内部の元教室は尋問(正確には拷問)のための部屋、独房、雑居房など何種類かの部屋に改造されています。

この施設が稼動したのが76年6月、ポルポトがプノンペンを追われるのが79年1月、この間の約2年半の期間に約2万人が収容され、生還者はわずか6名とも8名とも言われています。
女性・子供を含む殆ど全員が拷問により反革命やベトナムとの関係を認めさせられ、“仲間”の名前を自白させられ、そしてキリングフィールドに送られていきました。

ポルポト政権下では大人は革命の精神を体得できないと信用されていませんでしたので、兵士も医師も子供が勤めるという“不思議な”世界でしたが、ここS21でも子供達が獄吏をつとめていました。
英語を口にしたため“反革命的インテリ分子”としてS21に送られ、奇跡的に生還した元高校英語教師が助かった理由は、子供の獄吏達にイソップ物語や動物の話を語ってあげていたためだそうです。
全員殺害の命令にもかかわらず、この“物語名人”を殺すことを子供獄吏たちは惜しみ、命を永らえることができたとか。【ポルポト〈革命〉史 山田寛著】

S21の所長が現在カンボジア特別法廷に送られているドッチでした。
彼はポルポト政権崩壊後行方知れずとなっていましたが、99年発見されたときは、クリスチャンの洗礼をうけ、タイ国境近い森の中で国際援助を受ける難民救済活動に従事していたそうです。
「私の罪は、あの頃神でなく共産主義に仕えたことだった。殺戮の過去を大変後悔している。」
そう語るドッチは、責任転嫁に終始しているクメール・ルージュ幹部のなかでは唯一自分の責任を認めている人物です。

しかし、彼が犯した過ちはあまりにも大きなものでした。
現在のトゥール・スレンには、拷問道具・その使用例を示した絵などのほかに、ドッチの指揮下で拷問を受け殺害されたおびただしい数の元囚人達の顔写真が部屋一杯に展示されています。

その中で大きく引き伸ばされた1枚の写真に足が止まりました。
ひざに乳飲み子をかかえた女性です。(冒頭写真)
背筋を伸ばし正面を見つめるその姿は、自らとわが子に襲い掛かる不条理のなかで、絶望を見つめているかのように思えます。
写真を眺めてしばらくして、女性の目元を伝うものがあるのに気づきました。
涙でしょうか。
後頭部には奇妙な装置があてがわれています。
この椅子と一体になったこの装置が何かよくわかりませんが、おそらく説明を聞いて楽しくなるようなしろものではないでしょう。
(ウィキペディアによると、この女性は外務副大臣の妻であったチャン・キム・スルンだそうです。)

この施設は80年から一般公開されましたが、当時は日曜日になると1000人を越える現地の人々がつめかけ、行方知れずとなった家族の顔を、展示されている顔写真に捜し求めていたそうです。
ポルポトを追いやったヘン・サムリン政権はクメール・ルージュによる犠牲者を300万人と称しています。
他の機関の報告では120万人から170万人といった数字があげられています。
いずれにせよ、人口800万人たらずの社会で起こった虐殺として想像を絶する数字であることに変わりなく、現存しているカンボジアの人々はその家族に数人の犠牲者を抱えています。

プノンペン郊外の遺跡観光のガイドを頼んだ29歳の日本語ガイドの青年も兄二人がこの時代に死んだと語っていました。
1人は戦いで、1人は食べるものがなく餓死のように。
またご両親は“強制集団結婚”によって夫婦となりましたが、ポルポト後に離婚されたそうです。
そうしたケースは多いとか。

今、トゥール・スレンを訪れ感じる違和感がひとつあります。
それはここを訪れるのは外国人観光客ばかりで、現地の人々が全くみられないことです。
展示物の説明も、上映されるビデオも英語で、施設側も現地の人々を念頭に置いてないようです。

施設の周囲は一般民家ですが、その1軒のベランダ(それほど小奇麗なものではありませんが)から1人の現地男性が、施設に集まる大勢の欧米人を中心とする観光客を見下ろしていました。
“一体どういう気持ちで、自分を含めた外国人がこの忌まわしい施設を見学する光景を眺めているのだろうか・・・”そんな疑問にかられてカメラをその男性に向けたのですが、それに気づいた男性は“邪魔しちまったかな?悪かったな・・・”とでも言うようなバツの悪そうな笑いを浮かべて部屋に隠れてしまいました。

幅1mほどの独房から、鉄格子ごしに外を望みます。
当時、この部屋に収容された人々が見たのはどんな景色だったでしょうか。


(トゥール・スレンの独房 2008年1月撮影)

詳しくはhttp://4travel.jp/traveler/azianokaze/album/10209621/をご覧ください。


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