孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

インドネシア  スハルト元大統領 危ぶまれる病状

2008-01-14 11:55:10 | 国際情勢
インドネシアの元大統領スハルト(86歳)の病状について、一進一退を伝えるニュースが連日入っています。
13日の医師団の発表では「病状はさらに悪化し非常に危険な状態にある。生存の可能性は五分五分だ」とのこと。
同日、シンガポール元首相のリー・クアンユー顧問相(84歳)がスハルト元大統領を見舞いましたが、元大統領は意識がなく、言葉を交わすことはなかったそうです。

在任期間をみると、スハルトは68年から98年の30年間大統領の地位にありました。
一方、リー・クアンユーも59年シンガポール自治政府首相就任、65年のマレーシアからの分離独立後も首相を務め、90年引退するまで30年余りシンガポールをリードしました。
その在任期間の長さも共通しますが、その時期もまたオバーラップしています。

それだけでなく、その政権の基本姿勢も、反対派を強権的に押さえ込みながら権力を集中させ、“効率的に”自国の経済発展を追及するという、いわゆる“開発独裁”という性格があったことでも共通します。
ながくアジアの“強いリーダー”を代表するふたりでした。

スハルトの経歴を、敢えて数行に圧縮すると、親共路線のスカルノ時代におきた左派系軍人のクーデター(65年 9月30日事件 詳細未だ不明)を陸軍司令官として鎮圧。
大規模な“共産主義者狩り”を断行し、翌年権力奪取。
東チモール、アチェの分離独立運動を力で封じ、公務員・軍人と一体となった政権与党ゴルカルを基盤に権力を集中、石油由資源を活用するなどインドネシアの工業化を進展。
アジア通貨危機の経済混乱のなかで、汚職・癒着・縁故主義への不満も高まり98年辞職。
その後訴追をうけるが、高齢・病気を理由に裁判は停止。

インドネシアで最大部数の新聞“コンパス紙”(1月7日)は、社説でスハルト元大統領の功罪について次のように述べています。

「スハルト大統領の時代にインドネシアの経済は発展を続け、ASEAN諸国などから一目置かれる地位を築いた。彼が成し遂げた食料の自給自足を持続することができなかったのは残念だった。欠点もあり、失敗も犯した。汚職・癒着・親族重用(コルプシ、コルシ、ネポティズム=KKN)で、政権の崩壊を招いたばかりか、今も弊害が続いている」
「1998年5月21日に退陣後、元大統領は自ら進んで自宅軟禁のような生活を続けてきた。……罰はもう十分に受けたようだ」

マルク諸島の宗教紛争やアチェ州の分離独立運動が続いていたころ、スハルト元大統領の「冷徹さがたまらない」という再評価する動きが、特に彼の時代を知らない若い世代に芽生えているという報道がなされたこともあるそうです。
(高取茂 http://www.news.janjan.jp/world/0801/0801070574/1.php )

高取氏は、「元大統領はいわば「目的のためには手段を選ばぬ」ことを鉄則としてきた。手続きを重んじる民主主義とは真っ向から対立する。とはいうものの、元大統領が個人として大悪人だったということでもない。ある意味、彼はインドネシアの文化を体現していた。バパ(親父)として絶対的な権力を握り、親父なりの「善政」を施しているつもりだが、反抗する者には容赦ない。32年間続いた「上の者が下の者の面倒をみる」制度が、現在の汚職まみれの社会を作ってきた。それだからこそ、10年前の「改革」の始まりは、スハルト氏個人の罪を断罪しながら、インドネシア人が自らの社会のありようを見直すきっかけになるはずだった。」と論じています。

“民主的”な政治のもとで、利害が衝突、社会が腐敗し、国民が“強いリーダー”を許容する。
その“強いリーダー”のもで権力が集中し、国民の権利が侵害される。
それに対する民主的な抵抗運動が起きる・・・。

アジア各地、世界各地で見られる事象は、この繰り返しのように思えます。
その過程で国民が経験を積み、ある一定のラインへ収束していく・・・ということであればいいのですが。
ときに発散のあげくカタストロフィーに至ることも。

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