今月10日に、コロンビアの左翼ゲリラ「コロンビア革命軍(FARC)」は元副大統領候補クララ・ロハスさんと、元下院議員コンスエロ・ゴンサレス・デ・ペルドモさんを解放しました。
コロンビアのウリベ大統領は昨年6月初め、FARCの囚人約200人を一方的に釈放し、人質と囚人の「人道的交換」を呼びかけましたが、FARC側は応じませんでした。
同月下旬には人質だったコロンビアの元州議会議員11人が死亡、交渉は暗礁に乗り上げていました。
その後ベネズエラのチャベス大統領が人質約45人の解放に向けて仲介に乗出し、フランス国籍も持つ元大統領候補イングリッド・ベタンクールさんについても、「生きていると確信している」と述べるなど、フランスの関心も高まっていました。
しかし、昨年11月21日にはコロンビアの陸軍総司令官にチャベス大統領が直接接触したことを理由に、ウリベ大統領はチャベス大統領を仲介役からはずしました。
チャベス大統領は「わたしはベネズエラとコロンビアの関係を"冷凍庫”に入れることを世界に宣言する。コロンビア政府の人間は1人も信じられない。全身全霊をかけて平和への道を模索したというのに、(コロンビア政府は)われわれの顔に容赦なくつばを吐きかけた」と関係“凍結”を宣言しました。
一方のウリベ大統領は「あなたの発言や態度からは、あなたはコロンビアの平和に関心がなく、むしろコロンビアがFARC政権の犠牲になることを望んでいると考えられる。われわれはテロリストとの仲介役を必要としているが、テロリズムを正当化しようとしている人間は不要だ」と応戦。
反米左派のベネズエラと親米コロンビアということですが、両大統領は個人的には結構親交があるとも言われ、両者の関係はよくわかりません。
その後、12月18日FARCはベタンクールさんの同僚であるロハスさんなどを解放するとの声明を発表。
その交渉にまたチャベス大統領が出てきました。
当初、ロハスさんとFARCメンバーの間にできた子供も含まれていましたが、その後その子供はすでに解放されていることが判明したりしてゴタゴタしましたが、ようやく冒頭に紹介した結果に結びつきました。
「体を拭くときも洗濯するときも、食事のときも鎖につながれていた。夜には鎖はそれぞれのベッドのそばに置かれた丸太に巻かれた」といった解放された二人の証言が紹介されています。【1月14日 AFP】
「内地山岳部のジャングル内に点在するFARCの秘密キャンプで、他の人質約750人とともに拘束されていた。」
1箇所に750人もいたらすぐに発覚するでしょうから、おそらく総数で750人ということでしょう。
二人は5年から6年拘束されていましたが、随分と長い時間です。
FARCはこの人質をどうするつもりなのか?という素朴な疑問を感じます。
つかまった自分達仲間の交換要員でしょうか?
攻撃を受けた際の“人間の盾”でしょうか?
“ゲリラが軍の部隊と衝突したときには「非常に危険な状態」に直面させられたという。「自分たちが立っている数メートル先で爆弾が爆発する音が聞こえた。ヘリコプターからの機関銃掃射にも遭った」”といいますから、あまり“盾”の役は果たさないかも。
ゲリラに拘束された人質の様子、救出作戦を映画化した作品に「プルーフ・オブ・ライフ」があります。
以前も、南米で巨大産業となっている“誘拐産業”について書いたとき紹介したことがあります。
この映画は実際に11ヶ月FARCの人質だった方(2回にわたり身代金を支払い解放)の日記をベースに、その方の息子さんも製作に参加して作成された映画です。
“私は5カ所のキャンプで人質生活を送ることとなった。窓もなく、どうにか立てるものの動き回れないような狭い小屋に、何日も閉じ込められた。また、2カ月半は鎖に繋がれて暮らしていた。そして来る日も来る日も、結局は何カ月にもわたって、食べ残しを蓄え、暖をとるために焚き火をし、正気を失うまいと努めていた。他の人質が連れて来られたら話し相手ができるだろうにと、いつも空しい希望を抱いていたのだった。”
(http://www5.plala.or.jp/cyao/bits/jt-hargrove1.html)
もちろん映画と現実は多々相違がありますが、上記のような経緯もありますので、人質として暮らすことの雰囲気の多少は伝わる部分があるのではないでしょうか。
その印象は“悲惨”です。
FARCなど左派・右派の武装組織の活動実態、コロンビアにおけるコカ・麻薬産業、ベタンクールさんの現状等々興味が惹かれることは多々ありますが、日本のような国にいると、国内に国家・政府が容易に手が出せないエリアが存在するということ自体が、なかなかピンとこない部分もあります。
コロンビアの実情に関する知識が全くありませので、そのうち関係する本でも読んでみたいと思っています。
チャベス大統領は、FARCなどについて「テロ組織ではなく、正規軍。コロンビアで支配地を持っている」と述べ、テロ団体指定解除を要請したようですが、コロンビアにとっては自国政府の正当性を否定する “とんでもない”発言でしょう。
日本人の“生真面目さ”からすると、この2国がよく隣り合わせでやっていけるものだと不思議にも思えます。
気質の違いでしょうか。
ところで、イランで拘束された中村さんに関する記事を最近あまり目にしません。
すでに3ヶ月が経過しています。
この間、「イラン政府は本当にやる気があるのだろうか?」という思いを感じることもありました。
国内でも国外でも緊張した事態が続き、多くの血が流されるそんな国にあっては、ひとりの旅行者の命にかまっている暇はないのでしょう。
今もパキスタン側に逃げ込んでいると伝えられていますが。
冬場の寒さは厳しいものがあると想像されます。
無事でいてもらいたいものです。
コロンビアのウリベ大統領は昨年6月初め、FARCの囚人約200人を一方的に釈放し、人質と囚人の「人道的交換」を呼びかけましたが、FARC側は応じませんでした。
同月下旬には人質だったコロンビアの元州議会議員11人が死亡、交渉は暗礁に乗り上げていました。
その後ベネズエラのチャベス大統領が人質約45人の解放に向けて仲介に乗出し、フランス国籍も持つ元大統領候補イングリッド・ベタンクールさんについても、「生きていると確信している」と述べるなど、フランスの関心も高まっていました。
しかし、昨年11月21日にはコロンビアの陸軍総司令官にチャベス大統領が直接接触したことを理由に、ウリベ大統領はチャベス大統領を仲介役からはずしました。
チャベス大統領は「わたしはベネズエラとコロンビアの関係を"冷凍庫”に入れることを世界に宣言する。コロンビア政府の人間は1人も信じられない。全身全霊をかけて平和への道を模索したというのに、(コロンビア政府は)われわれの顔に容赦なくつばを吐きかけた」と関係“凍結”を宣言しました。
一方のウリベ大統領は「あなたの発言や態度からは、あなたはコロンビアの平和に関心がなく、むしろコロンビアがFARC政権の犠牲になることを望んでいると考えられる。われわれはテロリストとの仲介役を必要としているが、テロリズムを正当化しようとしている人間は不要だ」と応戦。
反米左派のベネズエラと親米コロンビアということですが、両大統領は個人的には結構親交があるとも言われ、両者の関係はよくわかりません。
その後、12月18日FARCはベタンクールさんの同僚であるロハスさんなどを解放するとの声明を発表。
その交渉にまたチャベス大統領が出てきました。
当初、ロハスさんとFARCメンバーの間にできた子供も含まれていましたが、その後その子供はすでに解放されていることが判明したりしてゴタゴタしましたが、ようやく冒頭に紹介した結果に結びつきました。
「体を拭くときも洗濯するときも、食事のときも鎖につながれていた。夜には鎖はそれぞれのベッドのそばに置かれた丸太に巻かれた」といった解放された二人の証言が紹介されています。【1月14日 AFP】
「内地山岳部のジャングル内に点在するFARCの秘密キャンプで、他の人質約750人とともに拘束されていた。」
1箇所に750人もいたらすぐに発覚するでしょうから、おそらく総数で750人ということでしょう。
二人は5年から6年拘束されていましたが、随分と長い時間です。
FARCはこの人質をどうするつもりなのか?という素朴な疑問を感じます。
つかまった自分達仲間の交換要員でしょうか?
攻撃を受けた際の“人間の盾”でしょうか?
“ゲリラが軍の部隊と衝突したときには「非常に危険な状態」に直面させられたという。「自分たちが立っている数メートル先で爆弾が爆発する音が聞こえた。ヘリコプターからの機関銃掃射にも遭った」”といいますから、あまり“盾”の役は果たさないかも。
ゲリラに拘束された人質の様子、救出作戦を映画化した作品に「プルーフ・オブ・ライフ」があります。
以前も、南米で巨大産業となっている“誘拐産業”について書いたとき紹介したことがあります。
この映画は実際に11ヶ月FARCの人質だった方(2回にわたり身代金を支払い解放)の日記をベースに、その方の息子さんも製作に参加して作成された映画です。
“私は5カ所のキャンプで人質生活を送ることとなった。窓もなく、どうにか立てるものの動き回れないような狭い小屋に、何日も閉じ込められた。また、2カ月半は鎖に繋がれて暮らしていた。そして来る日も来る日も、結局は何カ月にもわたって、食べ残しを蓄え、暖をとるために焚き火をし、正気を失うまいと努めていた。他の人質が連れて来られたら話し相手ができるだろうにと、いつも空しい希望を抱いていたのだった。”
(http://www5.plala.or.jp/cyao/bits/jt-hargrove1.html)
もちろん映画と現実は多々相違がありますが、上記のような経緯もありますので、人質として暮らすことの雰囲気の多少は伝わる部分があるのではないでしょうか。
その印象は“悲惨”です。
FARCなど左派・右派の武装組織の活動実態、コロンビアにおけるコカ・麻薬産業、ベタンクールさんの現状等々興味が惹かれることは多々ありますが、日本のような国にいると、国内に国家・政府が容易に手が出せないエリアが存在するということ自体が、なかなかピンとこない部分もあります。
コロンビアの実情に関する知識が全くありませので、そのうち関係する本でも読んでみたいと思っています。
チャベス大統領は、FARCなどについて「テロ組織ではなく、正規軍。コロンビアで支配地を持っている」と述べ、テロ団体指定解除を要請したようですが、コロンビアにとっては自国政府の正当性を否定する “とんでもない”発言でしょう。
日本人の“生真面目さ”からすると、この2国がよく隣り合わせでやっていけるものだと不思議にも思えます。
気質の違いでしょうか。
ところで、イランで拘束された中村さんに関する記事を最近あまり目にしません。
すでに3ヶ月が経過しています。
この間、「イラン政府は本当にやる気があるのだろうか?」という思いを感じることもありました。
国内でも国外でも緊張した事態が続き、多くの血が流されるそんな国にあっては、ひとりの旅行者の命にかまっている暇はないのでしょう。
今もパキスタン側に逃げ込んでいると伝えられていますが。
冬場の寒さは厳しいものがあると想像されます。
無事でいてもらいたいものです。