孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

ジンバブエ「止まった国」  来年大統領選挙で7選を目指すムガベ大統領、93歳

2017-07-04 21:39:58 | 難民・移民

(5月3日から南アフリカ・ダーバンで行われた世界経済フォーラムの会議中、“眠っているように見える”ムガベ大統領。ジンバブエ政府は「93歳のロバート・ムガベ大統領が会議中に長い間眠っていることが多くなった」という地元紙の指摘を否定し、「高齢のため光から目を保護しているだけだ」と主張いるそうです。【5月12日 ayola.tv】

41歳年下のグレース夫人はいたって元気です。(大統領は写真左下)それにしても、いつもこの二人のペアルックはユニークと言うか・・・・ 写真は【http://pokkekun.jp/blog-entry-4107.html?sp】より)

体力の衰えは隠せないムガベ大統領 “ムガベなら「死体」で出馬しても勝てる”・・・グレース夫人
最近あまりニュースを目にしないアフリカ南部のジンバブエ。

ムガベ大統領の強引な黒人化政策で経済が崩壊して記録的なハイパーインフレーションを経験、政治的には野党を弾圧し、前々回2008年選挙では暴力で大統領職を奪い取るような強権支配が続いていますが、前回2013年選挙では圧勝しています。

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ムガベ大統領はかつての独立の英雄ですが、33年間に及ぶ統治を続けており、白人支配を打破するための強引な農地・産業の黒人化政策、それに反発する欧米の経済制裁によって、2008年には年間インフレ率が一時2億3千万%以上(非公式には、年率換算で897垓%とか、ほぼ24時間ごとに物価が2倍になる年率6.5×10108%といった、天文学的数字も指摘されています)という驚異的・戦後最悪のハイパーインフレーションを引き起こし、経済は崩壊しました。

ハイパーインフレーションの方は、その後、ジンバブエドルを放棄し、アメリカ・ドルと南アフリカ・ランドを法定通貨とすることで収束しています。

ムガベ大統領が国際的に悪評高いのは、そうした経済失政だけでなく、強権的・暴力的な政治姿勢にもあります。
特に際立ったのは、2008年に行われた前回大統領選挙です。

このときは、第1回投票でムガベ大統領をリードし1位になったツァンギライ氏の支持者への大規模な暴力行為によって、結局ツァンギライ氏は決選投票出馬をあきらめざるを得なくなりました。(1回目投票でツァンギライ氏が本当に50%を超えていなかったのかも疑念がありますが)

この政権を暴力によって奪い取ったことについては当然ながら強い国際的批判もあり、結局ムガベ氏を大統領、ツァンギライ氏を首相とすることで権力分担・連立することで決着しました。
ただ、その後もムガベ大統領側の強引な政権運営は続いています。

こうした政権への固執は、単にムガベ大統領個人の意思だけでなく、周辺の既得権益層の利害がからんでいるのではないかとも推測しますが、こうした“老害”とも言える近年のムガベ大統領の統治については、このブログでもたびたび批判的に取り上げてきました。

しかし、そうした欧米社会を中心とした強い批判にもかかわらず、今回は圧倒的勝利を収めています。【2013年8月6日ブログ“ジンバブエ大統領選挙  欧米から酷評されるムガベ大統領が圧勝”http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20130806より再録】
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熾烈な白人支配の歴史に苦しみ、その残滓が残る中では、白人経営農園を強制収用し、多くの黒人に無償で分け与えるといった黒人化政策は、国民の支持を一定に得ているようでもあります。

1980年以来一貫して権力の座にあるムガベ氏に対し、野党は「時代遅れのリーダー」と退任を要求していますが、与党ジンバブエ・アフリカ民族同盟愛国戦線(ZANU―PF)は昨年、2018年大統領選の候補者としてムガベ氏を指名しています。

****ムガベ大統領が93歳に、続投へ意欲も衰え隠せず ジンバブエ****
世界最高齢の国家指導者、ジンバブエのロバート・ムガベ大統領が21日、93歳の誕生日を迎えた。事前に収録された長時間にわたるテレビのインタビューでは、体力の衰えを感じさせながらも、大統領職を続けると改めて宣言した。
 
首都ハラレで開かれた大統領の誕生日パーティーでは、側近らからケーキやプレゼントが贈られ、支持者や与党ジンバブエ・アフリカ民族同盟愛国戦線(ZANU-PF)の関係者らは国営メディアに多数の祝賀メッセージを寄せた。
 
ムガベ大統領は、事前に収録され20日に放送された1時間におよぶインタビューの中で、次第に疲れた様子を見せ、目はほとんど開けていない状態で、何度も無言になりながら話をした。【2月22日 AFP】
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“目はほとんど開けていない状態で、何度も無言になりながら話をした”・・・・権力への固執は本人の意思以上に、周囲の意向によるものではないでしょうか。

“「彼ら(支持者)は私が選挙に出るよう望んでいる。できないと感じれば伝えるが、今のところそうしない」と述べ、「続投」を宣言し、自身の健康悪化説も一蹴した。”【2月22日 時事】とも。

****国民を脅して7選を目指すムガベ****
40年近くにわたってムガベ大統領の独裁支配が続いてきたジンバブエ。現役指導者として世界最高齢の93歳となったムガベは、来年行われる大統領選にも出馬の意向を固めている。
 
壊滅的な経済危機と深刻な食料不足が続くなか、ソーシヤルメディア上ではムガベ体制を批判する声が広まり、抗議デモも相次いでいる。

危機感を募らせた与党ジンバブエ・アフリカ民族同盟愛国戦線(ZANU-PF)は、脅し文句をちらつかせながら国民の支持固めに躍起になっているようだ。
 
野党陣営によれば、ZANU-PFは各地で行われるムガベ派の集会に参加しなければ死が待ち受けていると有権者を威嚇している。「極度の恐怖と脅迫」のせいで自由かつ公正な選挙が行われない恐れがあるとして、野党はアフリカ連合(AU)に介入を要請しているという。
 
7選を果たした場合、任期満了時にムガベは99歳になるが、陣営は気にも留めないようだ。後継候補と目される妻グレースは、ムガベなら「死体」で出馬しても勝てると豪語している。【7月4日号 Newsweek日本語版】
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“ムガベなら「死体」で出馬しても勝てる”・・・・本来なら“笑える話”ですが、ムガベ大統領なら、そして彼を担ぐ支配層なら、本当に“死体”でも出馬することだってやりかねない、そして暴力・不正で権力を奪い取りかねない・・・と考えると、“笑えない話”でもあります。
 
それにしても、41歳年下の野心的なグレース夫人に棺桶に入るまで(あるいは、棺桶に入ったのちも)働かされているようにも見えて、痛々しい感もあります。実際のところはわかりませんが。

変化への一線を越えられずにいる国
最近のジンバブエの状況について、珍しく記事がありましたので紹介します。

****止まった国ジンバブエ、変化の訪れを待ち望んで****
ジンバブエの取材許可証は貴重だ。現地メディアはほとんど国の統制下にあって、ロバート・ムガベ大統領といえば昔から外国メディア嫌いで知られている。だから、芸術祭を取材するために期限付きの許可が下りるチャンスが到来したときには飛びついた。
 
3か月後、申請が通ったという通知がようやく届き、有効期間1週間の取材パスを手にした。過去20年間、変化への一線を越えられずにいる国を垣間見る絶好のチャンスだ。(中略)
 
取材の中心は、ジンバブエ政府の肝煎りで毎年開催されている「ハラレ国際芸術祭(HIFA)」だった。1999年に始まったこの芸術祭は国の混乱や経済破綻を長年、乗り越えてきたが、昨年は経済危機が深刻化し、ついに中止に追い込まれてしまった。それだけに今年の再開は、反抗精神の表れとみなされていた。

芸術祭の反逆精神は健在だった。ドリンクを片手に大音量の音楽を楽しむ若者たち──パーティーは涼しくなる夜更けまで続いた。

新しい何かの到来を待つ
ジンバブエはかつて英国の植民地だった。ゲリラ闘争のリーダーだったムガベ氏は、1980年のジンバブエ共和国建国以来ずっとこの国を支配してきた。
 
独立まもない頃のジンバブエは、強みの農業を生かしてアフリカ開発の星になるのだという楽観ムードに包まれていた。しかし、ムガベ大統領が率いたのは、組織的な腐敗、他国への国民の流出、不正選挙、資本逃避、反対勢力に対する残虐な弾圧の時代だった。
 
そして現在、93歳となったムガベ氏がいまだ独裁しているこの国の大部分は、変化を待ちながら「止まって」いるように見える。

すぐに政治が良くなるなどという「誤った希望」を持つのはやめて、政権とはできる限り関係のないところで考えたり暮らしたりするようにしているのだと、芸術祭の参加者の多くから聞いた。
 
芸術祭のバーのブースにグラフィックデザイナーだという人がいた。「私たちは何でも取り上げたがる政府に支配されている。とにかく自由に、縛られることなく、自分たちの人生を自分たちがやりたいように生きなくちゃ」と言った。そのバーの名前は「負け組国家」となっていた。
 
昼間の首都ハラレ)を散策すると街のあちこちで市が開かれ、どこもにぎわっていたが、市中心部には廃虚となった巨大なビルがいくつもあった。1980年代の建国直後の楽観ムードと、その後の沈滞を示す痛烈なシンボルだ。

金曜日にはハラレの聖心大聖堂へ行ってみた。聖餐(せいさん)式をやっていた。後方の席に腰かけ、ゴシック・リバイバル建築の高い天井を眺めた。ここはムガベ大統領が通っていた教会だ。だが、悪評高く、高齢で体も弱くなった大統領は最近ここを訪れていない。
 
代わりに地元の教区の人々がいたが、彼らの多くは失業者だ。失業率が驚くほど高いジンバブエでは、希望のなさそうな政治から逃避できるある種の救済を宗教がもたらしてくれるのだろう。

キリスト教福音派の教会はどんどん増えていて、毎週日曜になると、ハラレ市内の方々に集まる大勢の信者を見かける。教会の通路を行き来しながら、携帯電話で神に話しているのだ、と言う牧師が聴衆を集めようとしていた。反ムガベ派の活動家、エバン・マワリレ牧師の教会もある。
 
植民地時代の名残をとどめたホテル「ハラレ・クラブ」にも立ち寄り、誰もいないサロンバーに足を踏み入れた。赤い革張りのいすはぼろぼろで、ほこりのたまった額縁の中には、とうの昔に忘れ去られた白人政治家の正装姿の肖像画があった。
 
気だるい水曜日の朝、治安判事裁判所に行ってみると、第6法廷の被告席に反ムガベ運動の若手リーダーの一人、プロミス・ムクワナンジ氏が座っていた。彼は女性判事の前で木製のパネルに頭をもたれかけ、横では弁護人が証人席の警官に手際よく反対尋問を行っていた。
 
昨年の抗議デモをめぐり迷惑行為を問われた刑事裁判だった。休廷になるとムクワナンジ氏は、力を尽くしてくれた弁護士に大きな笑顔を見せ、昼食をとりに出て行った。私がジンバブエから去った後、彼は無罪となった。
 
ハラレ支局で朝刊各紙を見ていて驚くことの一つは、ムガベ批判が相当大幅に許されていることだろう。「夢想の国に住むムガベ」、「財政危機が暴く無能な政府」といった見出しが思い出される。
 
だが、昨年の反政権デモの勢いは今は収まり、ムガベ大統領は相変わらず誰にも邪魔されずに厳戒態勢の公邸から国を支配している。

週末にはAFPのジンバブエ人の同僚と一緒に車で街を抜け出し、ボローデールの競馬場へ行ってみた。かつて人気のあった娯楽に経済破たんがどんな影響をもたらしたのか、記事にしたかった。
 
ジンバブエの多くの日常風景とたがわず、競馬場もくたびれかけ、幾分みずぼらしくなりながらも、変化が近づいているという希望にすがりつくように、どうにかそこにあり続けていた。

おそらく馬に賭けたのだろう。安ビールをあおりながら人々が声援を送る。まるで固まったまま動かないこの国全体に広がる鬱々とした気分から離れて楽しめる一瞬なのだ。

■変化の訪れは時間の問題
だが、ジンバブエは変わる──たぶんもうすぐ、たぶん急速に。良くなる可能性はあるが、悪くならないという保証はない。
 
野党の政治家たちはAFPの取材に対し、ムガベ氏を大統領の座から追放するために来年の選挙で連携する計画を語った。勝ち目はほとんどないように見えるが、建国以来、首脳が変わったことのないこの国にとって地を揺るがすような事態になるかもしれない。
 
それに、信じがたいことに思えるときもあるが、ムガベ大統領も永遠に生きているわけではない。
 
どんな未来が待ち構えていようとも、報道すべき事柄には事欠かないことになるだろう。【7月4日 AFP】
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“ムガベ批判が相当大幅に許されている”というのは意外でした。政権側の自信の表れでしょうか。
ただ、これまでの“実績”からすると、この寛容さは一旦ことあればかなぐり捨てられ、むき出しの暴力が表に出てきます。

権力を正統性を示す“神輿”として、93歳になっても休むことが許されないムガベ大統領・・・来年の大統領選挙で再び世界の注目が南アフリカの小国に集まります。
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