孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

タイ  タイ深南部の”宗教対立”激化

2008-01-21 13:29:23 | 国際情勢
昨年末に総選挙が行われたタイでは、タクシン前首相を支持する国民の力党が第一党となり、連立工作が続いていましたが、ようやく第二党の民主党以外の6党連立政権で正式合意しました。

新首相については、サマック国民の力党党首は言明を避けています。
選挙終了後の連立工作過程では、「タクシン派」のイメージを薄めて軍部の反発を和らげるため、第三党の国民党のバンハーン氏に首相就任を求めるのが得策との意見も一部にはあったようですが。

いずれにしても、21日から会期が始まる議会で、1週間以内に選出されるとみられています。
その後プミポン国王による承認を経て正式に新首相が誕生します。
これで、タクシン前首相の追放から1年4か月続いた軍事政権がようやく終了して民政に復帰することになります。

そんなタイで最近、九つのお寺を巡るツアーが静かなブームを呼んでいるとか。
もともとタイでは、新年や仏教にちなんだ日に三つのお寺に参って寄進を施す風習があったそうです。
これは、仏、仏の教え、僧侶という宗教上の3大要素に祈りをささげ、功徳を積むという意味があります。

この風習をベースに、タイで最も縁起の良い数字とされる「9」を取り入れたのが“9寺巡りツアー”。
このツアー、政治が混乱に陥った一昨年から急激に申し込み客が増え、昨年は約2万人がツアーに参加。
同業他社も追随し、同種のツアーを行っているそうです。
また、タイでは一昨年から、守護神の像をあしらったお守りも流行しており、クーデターをはさむ政治混乱の長期化は、タイ人に「心の平安」をもたらしてくれる何かを求めさせているように見える・・・とか。【1月20日 毎日】

同記事は“尾を引く政治混乱の中でも社会に大きな動揺がうかがえないのは、多くのタイ人に「信仰」という伝統的なよりどころがあるからなのかもしれない。”と結んでいます。
それはそうでしょうが、ただ、同じタイでもいわゆる“深南部三県(ナラティワート、ヤラー、パッターニ)”はイスラム教徒が多数を占める地域で、以前から分離独立を求める激しい動きがあります。
この地域の“動揺”はこのところ一層厳しいものになっているように見えます。

この地域の問題は昨年6月25日のhttp://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20070625でも取り上げましたが、昨年末から悲惨なニュースを目にします。

昨年11月28日には、マレーシアとの国境に近いタイ南部のナラティワート県で、分離独立を掲げるイスラム過激派によると見られる惨殺事件が相次いで発生。
政府が支援する民兵組織に情報を提供していたイスラム教徒の男性は殺害後、十字架のように置かれた2片の木材に磔に。仏教徒2名は殺害後、首を切断。

1月14日には同じナラティワート県で、イスラム過激派とみられる武装集団が走行中の陸軍車両を襲撃、兵士8人が死亡、4人が重軽傷。
同県では、一般市民を含むテロによる死傷者が今年に入って既に30人以上に上っているそうです。

15日にはヤラー県の中心都市ヤラーの市場で、バイクに仕掛けられた爆発物が爆発、27人が負傷、うち10人は重傷。

こうした事態を受け、タイ政府は18日、「状況はこのところ悪化している。分離主義者がアルカイダから資金を受け取っているのがその原因だ」と、国際テロ組織アルカイダがタイ南部の分離・独立を要求しているイスラム過激派に資金を提供しているとの見解を初めて示しました。
従来、タイ政府はこの問題を国内問題と主張、マレーシアなど近隣国の協力申し入れも保留してきました。

また、タクシン前首相の強権的な施策、掃討作戦がこの対立を過激化させた経緯があり、クーデター後の暫定体制は宥和策に転換しました。
しかし、過激派との対話路線が功を奏さずテロが拡大していることが、今回の“変更”になったようです。

同地域の問題は、単に仏教対イスラム教という宗教対立ではなく、その背後には経済的格差に対する不満、過去の栄光・歴史への憧れ、中東などの外部からの刺激などの要因が存在しています。

一朝一夕に解決する手立てはなく、基本的には経済格差の是正を根気強く続けていくことが重要ですが、隣国のイスラム国マレーシアの協調も不可欠です。
ただ、“アルカイダとのつながり”が“テロ集団掃討作戦強化”ということになるのであれば、弾圧を強化すればするほど住民の抵抗は先鋭化してきた過去の経緯から見て、今後が懸念されます。

新政権が早い段階で“格差是正・融和”に向けた強いメッセージを発信することが望まれます。
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イラク  スンニ派アラブ人と米軍の同盟関係の行方

2008-01-20 13:45:45 | 国際情勢
昨年秋以降、イラクの治安回復が報じられています。
アメリカでは増派を背景にした掃討作戦について、作戦擁護派は“作戦が成功したと喜び、米国独立のときや南北戦争のときの勝利に例えるほどで、Weekly Standard 誌は、ペトレイアス司令官をマン・オブ・ザ・イヤーとして賞賛した。”【1月17日 IPS】という歓迎ぶりだそうです。

そんなイラク関連の記事から。
****ビンラーディン?がイラクの「覚醒評議会」を非難*****
国際テロ組織アル・カーイダ指導者、ウサマ・ビンラーディンとみられる人物の音声による声明が12月29日、イスラム過激派が利用するウェブサイト上に流され、声明は、イラクでイスラム教スンニ派部族や武装組織が「覚醒評議会」を構成し、米軍のアル・カーイダ掃討に協力していることについて、「地獄に落ちる背教行為だ」と激しく非難した。
イラク内務省は29日、アル・カーイダのネットワークを75%破壊したと発表。こうしたアル・カーイダ掃討の成果には、覚醒評議会の貢献が大きいとみられており、今回の「ビンラーディン声明」は、アル・カーイダがイラクで守勢に立っているとの危機感の表れである可能性がある。【12月30日 読売】
***************

もう1件。
****イラクで女性の自爆続く アルカイダ、追いつめられ?******
イラク中部ディヤラ州バクバ近郊で16日、爆発物を身につけた女性が自爆し、中東の衛星テレビ局アルジャジーラによると少なくとも8人が死亡した。
イラクで女性の自爆はまれだったが、今月2日にもバクバで女性が自爆し10人が死亡した。
アルカイダ系過激派の多くは、駐留米軍やスンニ派部族長らの掃討作戦に遭い、中部ディヤラ州などで再編を図っているとされる。米軍は同州で14日に行った掃討作戦で60人を殺害したと発表。追いつめられたアルカイダ側が女性まで投入し始めた可能性がある。【1月16日 朝日】
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いずれも、アルカイダが守勢にたっている状況、その原因としてスンニ派部族長らの米軍協力をあげています。
冒頭のアメリカ国内の記事も、ペトレイアス司令官が“覚醒運動”と同盟関係を結んだ手法を、“「中東全体における」米国の目標に向けての、「戦略的突破口」であった”と評価しています。

一方で、最近イラクから伝えられるテロのニュースで一番多いのが、アルカイダによる“覚醒評議会”への攻撃によるものです。
*****バグダッドで連続自爆テロ、覚醒評議会指導者ら14人死亡****
イラクの首都バグダッド北部のアザミヤ地区で7日、自爆テロが2件続けて発生、ロイター通信によると、イスラム教スンニ派の武装組織「覚醒(かくせい)評議会」の地区リーダーら14人が死亡した。
スンニ派が多い同地区は、かつては武装勢力の拠点とされたが、評議会が駐留米軍に協力したことで、治安が大幅に改善。このため、治安回復に焦る国際テロ組織アル・カーイダ系の武装勢力が事件を引き起こした可能性がある。【1月7日 読売】
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スンニ派アラブ人と米軍の同盟関係は、06年9月、スンニ派が多数を占める西部の小さな州アンバルで局地的な動きとして始まったものですが、その後イラク全土に拡大。
現在、7万3000人が米軍と同盟関係を結んでおり、これらの大半はフセイン政権崩壊後、米軍と戦ったメンバーだそうです。
米軍は現在、協力関係にあるスンニ派イラク人に対し1人当たり約300ドル(約3万4000円)を毎月支給。
契約上では地元地域の自警団的組織に配属されることになっていますが、実際にはアルカイダ系の反政府勢力と戦闘する結果になることが多いようです。【12月27日 AFP】

(部族長レベルで語られる“覚醒評議会”と、“覚醒運動”、住民レベルのCLCs(Concerned Local Citizens)の関係がいまひとつよくわかりません。現在ではシーア派の1万2000人もCLCsに加わっているそうです。)

皮肉ではなく、混迷する社会では“現金支給”の力は相当なものがあるようです。
それだけでなく、昨年5月、武装勢力に射殺された男性の葬儀で自爆攻撃が発生し、ファルージャの地元民27人が犠牲となった事件が運動拡大のきっかけとなったともいわれます。
(畑中美樹 http://www.shinchosha.co.jp/foresight/web_kikaku/index2.html )
なお、昨年からのペトレアス司令官の指示で、米軍の地元への対応姿勢が様変わりしているそうです。
地方文化の尊重、地方のイマーム(イスラム教の導師)との接触、地元民の通訳としての雇用、アラビア語の出来る米兵士・米民間人の活用、イラク女性への質問には米女性兵士をあたらせるなどの対応、米兵のモスク入りを回避といった動きなど。

しかし、このスンニ派武装組織でもある“覚醒評議会”、CLCs、については、今後を危惧する声もあがっています。
上記AFPの記事でも、“米軍に協力するスンニ派組織は「民兵組織」と呼ばれることを拒んでいるが、こうした協力者たちの将来は不透明だ。彼らの将来の役割をイラク政府が明確に示していない上、アルカイダの怒りも買っているからだ。
「収益の分配法などすべての重要問題で指導者間の合意が必要だ。でなければこうしたグループは、治安部隊に吸収されてもされなくても、米軍がいったん撤退を始めれば、戦闘を開始する恐れがある」とイラク専門家は警告する。”と述べています。

同様に今後を危惧した意見。
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米国政府はシーア派が掌握するイラク治安維持軍に、彼らが統合されることを望んでいるが、マリキ政権は、彼らがいずれ政権に銃を向けることにならないか懸念する。
「敵を抱き込むのも短期的には効果的だろうが、公正な政治秩序を構築するという長期目標には、意味がない。これまでに見た以上に悲惨な内戦に、我々はイラクを向けてしまってないだろうか」ダグラス・マグレガー元陸軍大将は警告する。【1月17日 IPS】
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1月12日、イラク連邦議会は長期たなざらしにされていた旧バース党員復職に道をひらく「説明責任と正義法案」をようやく承認しました。
当初アメリカ主導で行われたスンニ派旧バース党員の公職追放は、イラク行政の実務能力を著しく低下させ、また、シーア派とスンニ派の宗派対立の主要原因ともなってきました。
不満を持つスンニ派、旧バース党員の多くはスンニ派武装組織「イラク・イスラム軍」に参加、イラク最強の民族主義組織として台頭しています。(「イラク・イスラム軍」は05年までアルカイダと共同戦線をはっていましたが、その後は敵対し、現在は衝突を繰り返しているそうです。)
こうした事態を打開し、国民融和を進めたいアメリカの方針転換で同法案は提起されましたが、旧バース党に対する不信感の強い、また既得権益を侵害される現政権は消極的な対応をとってきていました。

今回の旧バース党員の復職を可能とする施策を背景に、“覚醒評議会”と政府治安組織の調整や、「イラク・イスラム軍」の抵抗抑制を今後どのように進めていけるかが、イラクの今後を決める重要なポイントになると思われます。

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スリランカ  LTTE壊滅の先に民族融和があるか・・・

2008-01-19 14:20:10 | 国際情勢
スリランカでは16日、政府と少数派タミル人の武装組織「タミル・イーラム解放の虎(LTTE)」の間で02年に結ばれた停戦合意が失効しました。
“停戦合意”とは言っても、06年7月から実質的な内戦状態に入っていたことは12月21日の当ブログでも取り上げたところです。(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20071221

戦況は政府軍に有利に展開しているようで、LTTEは10日、“停戦協定を復活させる準備は整っている”と、交渉を仲介していたノルウェー政府に対し和平への努力を継続するよう求めていました。
一方、政府側は2日の閣議での停戦破棄の決議以降も、「LTTEが武装解除しない限り、対話には応じられない」との姿勢を崩しませんでした。

最大の支援国である日本の政府も平和使節として元国連事務次長の明石康政府代表をスリランカに派遣。
13日から3日間の日程でスリランカ入りしましたが、戦闘で優位に立つスリランカ政府の強硬姿勢は変わらず、16日の失効に至りました。

この間、戦闘は激化しており、北西部マンナール県のLTTE支配地内で5日、LTTE軍情報部トップが政府軍の地雷の爆発により死亡。
8日には、コロンボ近郊でダサナヤケ国家建設相の車両を狙ったとみられるLTTEの仕掛けた路上爆弾が爆発し、同相は搬送先の病院で死亡しました。報復目的のテロだった可能性もあると見られています。

更に、停戦が失効した16日朝には、スリランカ南東部モナラガラ県ブタラ付近で路線バスが爆弾により爆破され、
乗客26人が死亡、64人が負傷。
LTTEが停戦終了の日を狙って起こしたテロと思われます。
コロンボでは車両検問や通行止めなどの厳戒態勢が敷かれており、市民の間には「追いつめられたLTTEがテロを起こすのでは」との不安が広がっているとも報じられています。
また、17日には、政府軍は北部キリノッチで会合を開いていたLTTE幹部の潜伏先を爆撃し破壊。
攻撃とテロの応酬が激化しています。

現在、スリランカ政府軍は「LTTEを壊滅する」と強硬姿勢を示しています。
政府軍は昨年7月、LTTEの東部の拠点を制圧。その後、LTTEの本部がある北部のキリノッチを目指して、攻勢をかけている段階です。
政府軍は長年LTTEを抑えきれずにいましたが、ここにきてようやく力で“押し切る”状況が生まれています。

(これまで決着がつかなかったのは、LTTEと政府の双方が紛争から利益を得ており、ともに決着させる意思がなかったからだという意見もあります。
政府は政策の失敗も何もかも、「紛争のせい」と言い訳をする一方で、政治家たちはあいかわらず私腹を肥やしている。政府軍もまた、紛争状態のおかげで多くの予算を獲得し、武器をLTTE側に横流しして金を儲けている・・・そのような話もあるようです。http://www.asiavoice.net/awc/n200008.html )

この情勢の変化の背景には、06年にEUが、米国などに続いてLTTEをテロ組織に指定し域内の資産凍結を実施し、欧米のタミル人社会を主な資金源にしてきたLTTEの戦力が低下したことがあるようです。
LTTEの支配地域を直撃した04年のインド洋大津波も弱体化の要因となったとも言われています。
政府側には、多数派シンハラ人の民族主義政党の支持を得るため、強硬姿勢を維持せざるを得ない事情もあるとか。
【1月16日 毎日】

もちろん、仮にこのまま政府軍がLTTEを軍事的に押し切ったとしても、問題が解決する訳でもありません。
根深いシンハラ・タミル間の対立が一朝一夕に消えることもありませんので、むしろ今後戦局の終盤に向かって、あるいは軍事的には決着がついた後も、テロなどによる市民生活の不安は高まることも予想されます。

この両者の対立を緩和するには政府の時間をかけた施策が必要になります。
スリランカ政府は23日に、民族問題の政治的解決のための権限移譲案をまとめるそうです。
タミル人の多い北部や東部に自治権限を与え、多数派のシンハラ人優位の政治への不満を解消するのが狙いと伝えられています。
また、ウィクラマナヤケ首相は9日、「LTTEが唯一のタミル人代表ではない」と述べています。
これは、移譲案を材料に交渉する相手はLTTE以外のタミル人政党で、LTTEについては戦闘やテロをやめない限り交渉相手にしないことを示唆したものとみられています。

LTTEがタミル人社会でどのように受けとめられているのか、LTTE以外にタミル人を代表する組織があるのか(カルナ派と呼ばれるLTTE分派で政府軍寄りの組織があるということは聞いたことがありますが)・・・そのあたりの実情はよくわかりませんが、LTTEを軍事的に排除し、LTTE以外の組織を相手に民族融和を進めるという、これまでスリランカになかった新たな流れが動き出すようです。

先ずは、23日の“権限委譲案”の中身、それに対するタミル人社会の反応が気になります。
イギリス殖民地政策の問題もありますが、民族対立の激化は、1956年にバンダラナイケ政権が憲法を改正して仏教の国教化、シンハラ語の公用語化などを盛り込み、「シンハラ・オンリー政策」を断行したことから始まっていると言われます。
過去の教訓に鑑み、融和が期待できる内容の“権限委譲案”であってもらいたいものです。

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アフガニスタン  闘犬・凧揚げ復活、待たれる雪解け

2008-01-18 14:35:06 | 世相
アフガニスタンについては、相変わらずの話、ほっとするような話、懸念されるような話、不思議な話・・・いろいろありますが、先ずはほっとすような穏やかな話から。

アフガニスタンのカブールでは11日、闘犬のトーナメントが行われたそうです。
闘犬は、旧支配勢力タリバン政権下では闘鶏や他のスポーツ同様に禁止されていました。
また、同様に力タリバン政権下では禁止されていたたこ揚げを楽しむ人々の姿もみられたそうです。【1月12日 AFP】

イスラムでは犬は不潔な生き物とされていると聞いていました。
バグダッドなどでもペットや番犬に飼う人が増えており、宗教関係者が苦言を呈しているといった話も先日TVで見たような気がします。
イスラムも土地によって様々なバリエーションがあるのでしょう。

“闘犬”というのは馴染みのない人間には少し抵抗もありますが、犬にしても凧にしても、生活の楽しみに興じることができるというのは、人間らしい暮らしの基本に思えます。
そこまで暮らしを制限するタリバンに対しては、おそらくアフガンの人々の間でも抵抗があるのではないでしょうか。

戦闘のほうは、昨年1年間の米兵死傷者数が、843人(うち死者83人)と01年の戦闘開始以来の最悪を記録しました。
治安悪化に歯止めはかかっておらず、英BBC放送は現地紙の報道として、07年に起きた自爆テロが140件で、一昨年から倍増していると報じています。
今年に入って、14日には首都カブール中心部の最高級ホテル「カブール・セレナ・ホテル」を武装した男らが襲撃し、自爆などによって従業員や外国人らすくなくとも6人が死亡した事件が発生しています。

こうした事態を打開すべく、アメリカは海兵隊3200人の増派をブッシュ大統領が承認しました。
現在展開中の米軍約2万7千人の1割強の大規模増派で、今春行われる予定です。
増派部隊のうち2200人は国際治安支援部隊(ISAF)に加わり、アフガン南部に展開。
残りの1000人はアフガン治安部隊の訓練に当たるとか。
派遣期間は7ヶ月とされ、モレル報道官は、派遣終了後はISAFを率いるNATO各国が増派すべきだとの考えを示しています。【1月16日 朝日】

そのNATO軍に対し、ゲーツ国防長官は、「私は適切な訓練を受けていない者(軍事顧問)が配備されていることに危惧を抱いており、対ゲリラ活動作戦の方法を知らない部隊があることを懸念している」と述べています。
同長官は、NATO軍のほとんどは対ゲリラ活動に対する訓練を受けていないと、公にNATOを批判しました。
砂漠、山岳、ジャングル、市街地・・・あらゆる場所・条件で常に実戦経験を蓄積しているアメリカ軍に比べると、他国の軍隊は頼りなく見えるのでしょう。

昨年末の12月25日、イギリス国籍の国連職員とアイルランド国籍のEU職員が アフガニスタン政府によって、国内の治安を脅かすとして48時間以内の国外退去を命令されました。
2人は南部ムサカラ州を訪問した際にタリバンと接触していたといわれます。
国連側は誤解だと反論していました。

タリバンとの交渉には応じない姿勢を示していたブラウン英首相も難しい立場に立たされているとの報道もありました。
保守党で国防を担当するリアム・フォックス報道官は、「我が国の兵士を殺すような人々と交渉することはできない」と発言しています。

しかし、イギリスのマスコミ報道の論調は、タリバンの内部には強硬派と中道派があり、後者は調停に応じる可能性があるとして、タリバンとの交渉には好意的な見方をしているそうです。
常識的な見方でしょう。
以前も取り上げたように、カルザイ政権自体が地方職員に採用するなどタリバン穏健派の取り込みを図っています。
今回の“接触”がアフガニスタン政府の逆鱗に触れた事情がわかりません。

2週間にわたって大雪が続いているアフガニスタンでは、雪崩や寒さによる死者が120人に達し、家畜数万頭も死亡しているそうです。
災害対策当局によると、アフガニスタン北部での積雪は3.5メートルを記録しており、これによって山間の村や集落への道路が寸断され、数千人が孤立した状態になっているとのこと。
春の雪解けが待たれます。

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コロンビア  FARC人質の解放

2008-01-17 16:47:11 | 国際情勢
今月10日に、コロンビアの左翼ゲリラ「コロンビア革命軍(FARC)」は元副大統領候補クララ・ロハスさんと、元下院議員コンスエロ・ゴンサレス・デ・ペルドモさんを解放しました。

コロンビアのウリベ大統領は昨年6月初め、FARCの囚人約200人を一方的に釈放し、人質と囚人の「人道的交換」を呼びかけましたが、FARC側は応じませんでした。
同月下旬には人質だったコロンビアの元州議会議員11人が死亡、交渉は暗礁に乗り上げていました。

その後ベネズエラのチャベス大統領が人質約45人の解放に向けて仲介に乗出し、フランス国籍も持つ元大統領候補イングリッド・ベタンクールさんについても、「生きていると確信している」と述べるなど、フランスの関心も高まっていました。
しかし、昨年11月21日にはコロンビアの陸軍総司令官にチャベス大統領が直接接触したことを理由に、ウリベ大統領はチャベス大統領を仲介役からはずしました。

チャベス大統領は「わたしはベネズエラとコロンビアの関係を"冷凍庫”に入れることを世界に宣言する。コロンビア政府の人間は1人も信じられない。全身全霊をかけて平和への道を模索したというのに、(コロンビア政府は)われわれの顔に容赦なくつばを吐きかけた」と関係“凍結”を宣言しました。
一方のウリベ大統領は「あなたの発言や態度からは、あなたはコロンビアの平和に関心がなく、むしろコロンビアがFARC政権の犠牲になることを望んでいると考えられる。われわれはテロリストとの仲介役を必要としているが、テロリズムを正当化しようとしている人間は不要だ」と応戦。

反米左派のベネズエラと親米コロンビアということですが、両大統領は個人的には結構親交があるとも言われ、両者の関係はよくわかりません。
その後、12月18日FARCはベタンクールさんの同僚であるロハスさんなどを解放するとの声明を発表。
その交渉にまたチャベス大統領が出てきました。

当初、ロハスさんとFARCメンバーの間にできた子供も含まれていましたが、その後その子供はすでに解放されていることが判明したりしてゴタゴタしましたが、ようやく冒頭に紹介した結果に結びつきました。

「体を拭くときも洗濯するときも、食事のときも鎖につながれていた。夜には鎖はそれぞれのベッドのそばに置かれた丸太に巻かれた」といった解放された二人の証言が紹介されています。【1月14日 AFP】

「内地山岳部のジャングル内に点在するFARCの秘密キャンプで、他の人質約750人とともに拘束されていた。」
1箇所に750人もいたらすぐに発覚するでしょうから、おそらく総数で750人ということでしょう。

二人は5年から6年拘束されていましたが、随分と長い時間です。
FARCはこの人質をどうするつもりなのか?という素朴な疑問を感じます。
つかまった自分達仲間の交換要員でしょうか?
攻撃を受けた際の“人間の盾”でしょうか?
“ゲリラが軍の部隊と衝突したときには「非常に危険な状態」に直面させられたという。「自分たちが立っている数メートル先で爆弾が爆発する音が聞こえた。ヘリコプターからの機関銃掃射にも遭った」”といいますから、あまり“盾”の役は果たさないかも。

ゲリラに拘束された人質の様子、救出作戦を映画化した作品に「プルーフ・オブ・ライフ」があります。
以前も、南米で巨大産業となっている“誘拐産業”について書いたとき紹介したことがあります。
この映画は実際に11ヶ月FARCの人質だった方(2回にわたり身代金を支払い解放)の日記をベースに、その方の息子さんも製作に参加して作成された映画です。

“私は5カ所のキャンプで人質生活を送ることとなった。窓もなく、どうにか立てるものの動き回れないような狭い小屋に、何日も閉じ込められた。また、2カ月半は鎖に繋がれて暮らしていた。そして来る日も来る日も、結局は何カ月にもわたって、食べ残しを蓄え、暖をとるために焚き火をし、正気を失うまいと努めていた。他の人質が連れて来られたら話し相手ができるだろうにと、いつも空しい希望を抱いていたのだった。”
http://www5.plala.or.jp/cyao/bits/jt-hargrove1.html

もちろん映画と現実は多々相違がありますが、上記のような経緯もありますので、人質として暮らすことの雰囲気の多少は伝わる部分があるのではないでしょうか。
その印象は“悲惨”です。

FARCなど左派・右派の武装組織の活動実態、コロンビアにおけるコカ・麻薬産業、ベタンクールさんの現状等々興味が惹かれることは多々ありますが、日本のような国にいると、国内に国家・政府が容易に手が出せないエリアが存在するということ自体が、なかなかピンとこない部分もあります。
コロンビアの実情に関する知識が全くありませので、そのうち関係する本でも読んでみたいと思っています。

チャベス大統領は、FARCなどについて「テロ組織ではなく、正規軍。コロンビアで支配地を持っている」と述べ、テロ団体指定解除を要請したようですが、コロンビアにとっては自国政府の正当性を否定する “とんでもない”発言でしょう。
日本人の“生真面目さ”からすると、この2国がよく隣り合わせでやっていけるものだと不思議にも思えます。
気質の違いでしょうか。

ところで、イランで拘束された中村さんに関する記事を最近あまり目にしません。
すでに3ヶ月が経過しています。
この間、「イラン政府は本当にやる気があるのだろうか?」という思いを感じることもありました。
国内でも国外でも緊張した事態が続き、多くの血が流されるそんな国にあっては、ひとりの旅行者の命にかまっている暇はないのでしょう。
今もパキスタン側に逃げ込んでいると伝えられていますが。
冬場の寒さは厳しいものがあると想像されます。
無事でいてもらいたいものです。

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ウズベキスタン  強権的カリモフ大統領による“偽民主主義”

2008-01-16 14:46:06 | 世相
今日は中央アジアのウズベキスタンの話。
ウズベキスタンは、14世紀チムール帝国の都として栄えたサマルカンドをはじめ、古都ブハラ、ヒワなどが観光スポットとしては知られており、私も一度行きたい国のひとつです。
最近では、ウランの埋蔵量が世界第10位ということで、隣国カザフスタンと並んで、ウランの価格が高騰するなかで注目を集めている国でもあります。

そんなウズベキスタン政府による児童の権利侵害を批判するニュースが。

*******不買運動の呼びかけ、子どもの強制労働による綿花栽培*******
市民活動家のグループが子どもの強制労働によって栽培されているウズベキスタンの綿花の不買運動を呼びかけている。
他の開発途上国とは異なり、ウズベキスタンの綿花セクターの児童労働は貧困が原因ではなく、中央政府の強制政策によるものである。
毎年9月になると全国の学校は2カ月以上も休校となり、生徒たちは中央および地方当局の命令で綿摘みを強要されるのだ。子どもたちは時に何日も休みなく1日8時間以上の労働を強いられ、収穫前に使用された化学薬品、殺虫剤、枯れ葉剤の残留物で一杯の粉塵を吸い込む。
(中略)カリモフ大統領の一家が支配する商社3社だけに綿花輸出のライセンスが与えられている。
人権活動家によれば、綿摘みを拒否すれば、退学処分となってしまう。学校職員に殴打された事例もある。
ウズベキスタンの綿花栽培のうち半分以上が児童労働に頼ったものであり、子どもたちへの報酬はごくわずかである。【1月12日 IPS】
************************

この記事で思い出したのが、昨年6月放映されたNHKの“新シルクロード・・・激動の大地を行く 第3集オアシスの道は険し”。
この番組のなかで、国営綿花農場に綿花摘みのため労働者を他地域から動員する様子が出てきます。
摘んだ綿花の重量に応じて1日500円程度の賃金が支払われ、民族舞踏の慰問団が農場を訪れたり・・・といったソ連時代を彷彿とさせる統制経済が色濃く残る状態が紹介されていました。

番組では児童労働は出てきませんし、動員される労働者の表情は明るく、女性たちはわずかでも現金収入を喜んでいる・・・・そのようにも見えた記憶があります。
児童労働の実態についてはわかりませんが、ひとり児童だけでなく、国民全体を対象とした動員態勢があって、児童の動員はその一環なのでしょう。

また、ウズベキスタン経済についてはこんな報道もありました。

*****国民が過酷な生活 出稼ぎ先で奴隷扱いも******
ウズベキスタンでは、ロシアやカザフスタンなど周辺国に出稼ぎに出た人の割合は、人口(約2700万人)の1割以上とも言われる。
国内では失業が深刻なためだが、出稼ぎ先で奴隷同様の扱いを受ける人も少なくない。
強権体制の裏側で、多くの国民が過酷な暮らしを強いられている。
首都では高級ブティックが次々と建つ一方、一般市民の月収は日本円で5000円程度。
月2万円以上の「高給取り」は官僚や政府系企業関係者に限られる。
世界的穀物価格の上昇で今年、パンが3割値上がりするなどインフレも深刻化、市民生活を直撃している。
【07年12月25日 毎日】
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「ここ数年、南部などを中心に女性らが政府に生活改善を求めるデモが頻発している。失業が深刻で、働き手の男性がロシアなどに出稼ぎに出ているからだ。こうした国外移民は300万~500万人とされ、人口(2700万人)のかなりを占めている。」という報道もあります。
経済的に相当に逼迫しているようです。

このような統制経済色の強い逼迫した経済を生み出しているのが、強権的な独裁体制を続けるカリモフ大統領です。
カリモフ大統領は昨年末12月23日の選挙で3選を果たしましたが、この大統領選にはカリモフ大統領のほか、下院副議長2人と政府系人権センター長が立候補。
いずれもカリモフ氏支持を公言しており、民主的な選挙を演出するための対立候補と見られています。
徹底的な野党弾圧の強権政治のなかで、野党候補は事実上同選挙に立候補すらできませんでした。
まさに“儀式”としての大統領選挙でした。
国家転覆をもくろんだなどの罪で拘束されている市民は7000人とも4万人とも言われるそうです。

更に、憲法は大統領の連続3選を禁じていますが、カリモフ大統領は「憲法制定前の1期目の任期は数えない」との理屈で押しきっています。

国際的には05年5月に南部アンディジャンで起きた反政府暴動・集会鎮圧事件(死者数は公式発表187人、西側人権団体は500人以上と推計)をきっかけに孤立化を深めましたが、昨年EUがウズベキスタンの要人の入国禁止措置を一時見合わせ、米自動車企業が進出するなど制裁緩和の兆しが出ています。
ウズベキスタンで未開発の地下資源を巡り、ロシアが積極的に進出していることなどが背景にあるとみられています。【07年12月21日 毎日】

こうした政治体制はウズベキスタンだけでなく、中央アジア全般に共通して見られます。
新興石油大国のカザフスタンではナザルバエフ大統領がすでに17年間にわたり権力を維持しています。
06年2月、野党の共同議長が運転手とともに射殺体で発見されました。
反対派のアルマトイ前市長も射殺されています。
07年8月18日の議会選挙では、与党ヌル・オタンが、比例代表制による全98議席を獲得、その他9議席を大統領直属の国民評議会が指名するため、与党が107議席をすべて独占しています。
また、5月には憲法改正が行われ、ナザルバエフ初代大統領に限り、3選禁止の規定が除外されました。

タジキスタンのラフモノフ大統領も、03年憲法改正で大統領任期延長を可能とし、06年には3選、13年間にわたり権力を保持しています。
近年、権威主義的傾向を強めているとの批判があるそうです。

昨年12月16日に行われたキルギス国会総選挙については12月22日に取り上げました。
やはり強権的政治を行っていたアカエフ前大統領を05年に倒したバキエフ大統領が支持基盤を固め、翼賛体制に向かっています。

こうした旧ソ連・中央アジア諸国の政治情勢について、ロシアの日刊紙、独立新聞は「民主主義を恐れると同時に、民主主義のふりをしているのが特徴だ」と断じているそうです。
そういう国は中央アジアだけでもないように思えますが。

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2008年上半期、世界で注目される政治スケジュール

2008-01-15 15:29:04 | 国際情勢
いつも重箱の隅をつつくような話題ばかり取り上げているので、今日は、世界的に波乱を呼びそうな事柄のタイムスケジュールをここ数ヶ月の期間でざっと見てみます。

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先ず今月20日に予定されているのがセルビアの大統領選挙。
現職のタディッチ大統領と極右民族派、セルビア急進党のニコリッチ党首代行が有力候補となっています。
恐らくどちらも過半数はとれず、2月3日に予定されている決選投票に持ち込まれるのではないでしょうか。

一方、コソボは昨年末の総選挙で、かつてアルバニア人武装勢力「コソボ解放軍(KLA)」を率いていたサチ氏のコソボ民主党が第一党となり、今年大連立内閣で首相に就任しています。
サチ首相は恐らくセルビア大統領選挙後の2月6日に独立を宣言するのではと見られています。

セルビアはどの政党もコソボ独立を容認していませんので、誰がセルビアの新大統領になっても波乱は避けられませんが、特にセルビア急進党のニコリッチ氏が勝利した場合、一層の混乱が懸念されます。
同氏は14日の会見で「いかなることがあってもコソボを放棄しない」と語っています。

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この2月3日(セルビア大統領選挙決戦投票)と6日(コソボの独立宣言が予想されている日)の間の2月5日が“メガ・チューズデイ”で、アメリカ大統領選挙の民主・共和両党の候補が事実上ここで決すると言われています。
ヒラリーは貴重な“涙”で踏みとどまり体勢を立て直しましたが、今後注目されるのは黒人票の動向では。
ビル・クリントンは“初の黒人大統領”と言われるほど黒人層の支持が強く、ヒラリーはこの黒人票を引き継いでいると見られていました。
しかしオバマ候補の善戦によって、オバマ候補の大統領としての現実性が出てくるに従い、やはりオバマ氏へ黒人票が流れるのでは・・・とも言われています。
特に、ヒラリーの「キング牧師の夢がかなったのは、リンドン・ジョンソン大統領が1964年に公民権法を制定したのが始まりだ。実現のためには大統領が必要だった」という最近の発言が、黒人指導層の反発を招いているとも。
ぎりぎりの状況になるとやはり肌の色が問題になることも。
また、それに対する白人側の反応は?

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2月の18日にはパキスタンの総選挙が予定されています。
爆弾テロが止まない状況で、予定どおりおこなわれるのかは定かではありませんが、与党敗北の場合はムシャラフ大統領は辞任するとも発言しています。
パキスタンの情勢はアフガニスタン情勢、ブッシュ大統領言うところの“テロとの戦い”の今後に大きく影響します。

死亡したブット元首相の後任として野党第一党のパキスタン人民党(PPP)総裁に指名されたのが19歳のご子息。
当面は被選挙権がなく、しばらくはイギリス・オックスフォード大学での学業を優先したいとか。
大学周辺の住民からは、何か事件が起きた場合に自分たちにも被害が及ぶのでは・・・という心配、警備のための費用が税金で負担されることへの反発が出ているとか。
それもさることながら、流血すら珍しくない今のパキスタンの情勢を考えるとき、その中心に位置するPPP総裁が「在学中は私生活を尊重してほしい」とは・・・。
「だったら、総裁になるなよ!」と言いたくなります。
PPPがブット家の個人的支援政党であることは周知のところですが、ここまであけすけにブット家の所有物としての性格を公にされると、個人的には引いてしまいますし、恐らくPPPが政権をとっても責任者不在で事態は混迷するのではないかと懸念されます。

ブット元首相とは犬猿の仲の親戚筋で、生前も彼女を激しく非難していた“めい”か何かにあたる随分きれいな女性がいたかと思いますが、どうせなら彼女のほうが。
若くて美人だというだけでなく、野心にあふれた攻撃的性格が政治家に向いているかも。

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3月にはいると22日に台湾の総統選挙が予定されています。
総統選挙もさることながら、波紋を広げそうなのが同時に予定されている“台湾名義での国連加盟問題”に関する住民投票。
現在の東アジア秩序を支えている“ひとつの中国”という虚構を崩しかねない問題です。
先の立法委員選挙での国民党圧勝によって、この住民投票が不発に終わるのではという期待がアメリカなどにも出てきているようです。

台湾との国交破棄が懸念されていたマラウィ共和国を訪問するために外交部長が出発した後に、マラウィ共和国から受け入れ拒否を伝える通知を受け取るとか、グアテマラに誕生した左派系新大統領就任式に陳総統が出席するとか、台湾も外交関係維持に大変な苦労しています。

しかし、虚構とは言え、“ひとつの中国”に代わる枠組みが現段階で存在しない以上、“東アジアで騒ぎを起こして欲しくない”というのが本音です。
おそらく中台間の交易が更に拡大して中国経済圏が形成されていく、一方中国においても諸方面の改善が進展する、そういう流れのなかで、なんらかの方向性が出てくるのでは。

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春になって注目されるのはトルコのPKK討伐のためのイラク侵攻の動向。
冬の間は大規模な地上軍の活動が出来ませんが、春になってそれが可能になったとき、どうでしょうか?
どこまでやる気でしょうか?

一方で、昨年12月、キルクーク帰属をめぐる住民投票が半年延期されましたが、これもいつまでも先延ばしと言う訳にもいかないのでは。
クルド自治区への編入についてはアラブ系の激しい反発も予想されます。
トルコの侵攻とあいまって、この地域を一気に不安定化させる危険があります。

予定されている主な節目だけでも、以上のようにいろいろ。
なかなか平穏な1年とはいかないような。

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インドネシア  スハルト元大統領 危ぶまれる病状

2008-01-14 11:55:10 | 国際情勢
インドネシアの元大統領スハルト(86歳)の病状について、一進一退を伝えるニュースが連日入っています。
13日の医師団の発表では「病状はさらに悪化し非常に危険な状態にある。生存の可能性は五分五分だ」とのこと。
同日、シンガポール元首相のリー・クアンユー顧問相(84歳)がスハルト元大統領を見舞いましたが、元大統領は意識がなく、言葉を交わすことはなかったそうです。

在任期間をみると、スハルトは68年から98年の30年間大統領の地位にありました。
一方、リー・クアンユーも59年シンガポール自治政府首相就任、65年のマレーシアからの分離独立後も首相を務め、90年引退するまで30年余りシンガポールをリードしました。
その在任期間の長さも共通しますが、その時期もまたオバーラップしています。

それだけでなく、その政権の基本姿勢も、反対派を強権的に押さえ込みながら権力を集中させ、“効率的に”自国の経済発展を追及するという、いわゆる“開発独裁”という性格があったことでも共通します。
ながくアジアの“強いリーダー”を代表するふたりでした。

スハルトの経歴を、敢えて数行に圧縮すると、親共路線のスカルノ時代におきた左派系軍人のクーデター(65年 9月30日事件 詳細未だ不明)を陸軍司令官として鎮圧。
大規模な“共産主義者狩り”を断行し、翌年権力奪取。
東チモール、アチェの分離独立運動を力で封じ、公務員・軍人と一体となった政権与党ゴルカルを基盤に権力を集中、石油由資源を活用するなどインドネシアの工業化を進展。
アジア通貨危機の経済混乱のなかで、汚職・癒着・縁故主義への不満も高まり98年辞職。
その後訴追をうけるが、高齢・病気を理由に裁判は停止。

インドネシアで最大部数の新聞“コンパス紙”(1月7日)は、社説でスハルト元大統領の功罪について次のように述べています。

「スハルト大統領の時代にインドネシアの経済は発展を続け、ASEAN諸国などから一目置かれる地位を築いた。彼が成し遂げた食料の自給自足を持続することができなかったのは残念だった。欠点もあり、失敗も犯した。汚職・癒着・親族重用(コルプシ、コルシ、ネポティズム=KKN)で、政権の崩壊を招いたばかりか、今も弊害が続いている」
「1998年5月21日に退陣後、元大統領は自ら進んで自宅軟禁のような生活を続けてきた。……罰はもう十分に受けたようだ」

マルク諸島の宗教紛争やアチェ州の分離独立運動が続いていたころ、スハルト元大統領の「冷徹さがたまらない」という再評価する動きが、特に彼の時代を知らない若い世代に芽生えているという報道がなされたこともあるそうです。
(高取茂 http://www.news.janjan.jp/world/0801/0801070574/1.php )

高取氏は、「元大統領はいわば「目的のためには手段を選ばぬ」ことを鉄則としてきた。手続きを重んじる民主主義とは真っ向から対立する。とはいうものの、元大統領が個人として大悪人だったということでもない。ある意味、彼はインドネシアの文化を体現していた。バパ(親父)として絶対的な権力を握り、親父なりの「善政」を施しているつもりだが、反抗する者には容赦ない。32年間続いた「上の者が下の者の面倒をみる」制度が、現在の汚職まみれの社会を作ってきた。それだからこそ、10年前の「改革」の始まりは、スハルト氏個人の罪を断罪しながら、インドネシア人が自らの社会のありようを見直すきっかけになるはずだった。」と論じています。

“民主的”な政治のもとで、利害が衝突、社会が腐敗し、国民が“強いリーダー”を許容する。
その“強いリーダー”のもで権力が集中し、国民の権利が侵害される。
それに対する民主的な抵抗運動が起きる・・・。

アジア各地、世界各地で見られる事象は、この繰り返しのように思えます。
その過程で国民が経験を積み、ある一定のラインへ収束していく・・・ということであればいいのですが。
ときに発散のあげくカタストロフィーに至ることも。

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パレスチナ  “闇物資”運ぶガザ地区のトンネル、西岸のあだ花“分離壁の村”

2008-01-13 13:34:40 | 国際情勢
「歴史的評価」を意識するブッシュ大統領の初めてのパレスチナ訪問にもかかわらず、パレスチナ問題は進展していません。
大きな原因のひとつが、ガザ地区をハマスが実効支配しており、アッバス議長のファタハ政権がガザをコントールできず、ここからイスラエルに対しロッケット弾攻撃が続いていることがあります。
当然イスラエルはこの攻撃が止むまでは譲歩しないという対応になっています。

ガザの問題は、このようなパレスチナ問題のボトルネックになっていることの他、ガザ地区に対するイスラエルの経済封鎖強化によるガザ地区住民の生活が困窮してきていることがあります。
イスラエルは昨年9月以来境界を封鎖し、食料や医薬品など人道物資以外の出入りをほぼ全面的に禁止しています。燃料削減もその一環として実施されており、発電所の燃料不足による電力供給制限が深刻になっています。
ガザでは病院の停電をできるだけ防ぐため、一般住宅向けの電力削減に追い込まれており、6日から1日平均8時間、電力の供給を止める計画停電が始まりました。

こうした記事を見るにつけ、逆に不思議に感じるのは、「なぜこのような状態にもかかわらず、ガザ地区での生活がまがりなりにも続けられるのだろうか?」という点です。
この疑問に対するひとつの答えが、“トンネル”経由の闇物資の密輸だそうです。
http://www.asahi.com/international/update/0111/TKY200801110248.html?ref=goo
「ガザ支える闇トンネル 食料やたばこ、エジプトから密輸」【1月12日 朝日】
ガザ地区とエジプトの間に“トンネル”があるという話しは聞いていましたが、これだけ大掛かりなもだとは知りませんでした。

記事によると、500を超すトンネルがあり、ハマスは事実上黙認し、自らも利用しているそうです。
大半の大きさは縦横1メートル。
深さは40メートル、長さは約500メートルから最長で2キロにもなるとか。
最近は人が立って歩ける大きさのトンネルができたそうで、軌道が敷かれ、電動トロッコで物資を運ぶことも可能。
数千ドル払えば、人もガザを出入りでき、イスラエル軍の攻撃で重傷を負ったハマスの司令官が、この方法でエジプト側の病院に入院したそうです。
境界沿いのエジプト軍を挑発しないよう配慮して、イスラエル軍は侵攻してもトンネル集中地帯には近づきません。それもありトンネルが急増したそうです。
当然、密輸にはエジプト側で監視するエジプト軍兵士の協力が不可欠で、わいろが使われます。
この“トンネル”をめぐり、イスラエル・エジプトの関係がぎくしゃくしているそうです。

ガザ地区の問題と並んでパレスチナ問題を象徴するのが、イスラエルがパレスチナ側に入りこむ形で築いた“壁”や検問所の存在。
今回陸路で分離壁やチェックポイントを実際に通過したブッシュ大統領は、会見で「人々が不満に思うのは理解できる」と、パレスチナ人の苦境に共感を示したそうです。
また、将来のパレスチナ国家について「領土がスイスチーズ(穴の開いたチーズ)というわけにはいかない」と述べています。
“死に体”となってからでは、遅きに失した感がいなめませんが。

この分離壁が生み出した“あだ花”のような経済の活況についての記事がありました。
http://mainichi.jp/select/world/archive/news/2008/01/03/20080103ddm007030039000c.html
「パレスチナ:宙に浮く分離壁の村 イスラエルが「併合」、ヨルダン川西岸のバルタア」【1月3日 毎日】

ヨルダン川西岸北部にあるパレスチナ人の村バルタア。
村の西側を第3次中東戦争(67年)以前の軍事境界線が通り、本来はパレスチナ自治区。
しかし、イスラエルが治安維持名目で自治区内に食い込むように建設した「分離壁」によって、村は境界線と壁のはざまの「継ぎ目地帯」に入り込んでしまっています。
自治区から切り離され、イスラエル側にも自由に移動できない状況にあるそうですが、この地域がただならぬ経済活況に沸いているとか。

記事によると、バルタアではイスラエルの税制は適用されず、人件費はイスラエル側の5分の1、店舗の賃貸料も4分の1程度。
同じ商品をイスラエル側より3割以上安く買うこともできるそうです。
この“特殊環境”にイスラエル国籍を持つアラブ人たちが目を付けました。
売買目的で村外から大勢の“ビジネスマン”が流入し、バルタアを「商業拠点」に様変わりさせました。
現在、バルタアの商店数は約300。
大半が最近数年間に新規開店したもので、8割以上が村外出身者の経営。
「西岸内から調達するより容易で確実」と、最近では中国からの輸入が急増しているそうです。
しかし、地元民によると、商売であがる利益の9割は村外に流出しており、「バルタアは何の恩恵にもあずかっていない」との嘆きもあるとか。

ガザ地区の“トンネル”の話にしても、西岸地区の“分離壁の村”にしても、“目ウロコ”的な面白い記事です。
ただそれにしても話の本筋は当然ながら、ガザ地区住民の生活窮乏をどうするのか、ガザ地区問題をどうクリアしてパレスチナ問題を進展させるか、穴あきチーズではないパレスチナ国家を建設するためにこの壁や入植地をどうするのか・・・という根本的な問題です。

ブッシュ大統領はアッバス議長との会談で、「国が欲しいのか、現状維持か」と問いかけ、イスラエルの「安全保障上の懸念」に真剣に対応し、武装勢力を取り締まるよう要請。
一方、アッバス議長の支配下にある治安機関を弱体化させるような攻撃をやめるよう、イスラエル側にも求めています。

大統領は歴訪前にイスラエルによるパレスチナ自治区へのユダヤ人入植地拡大が和平交渉の「障害になる」と懸念を示しており、イスラエルが違法入植地を撤去し交渉を加速するよう促すものとみられていましたが、オルメルト首相との会見後、ブッシュ大統領は笑顔をほとんど見せず、「米国の役割は交渉を支援することだ。米国はパレスチナ国家がどのような姿になるかを指図することはできない」と語り、「仲介役」に徹する立場を強調したそうです。

「私が退陣する(来年1月)までに平和条約調印が可能だと思う」とのブッシュ大統領の見解ですが、まだ出口が見えない状況です。


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イラク・イラン  百年ぶりの雪と女性の凍死

2008-01-12 13:46:05 | 世相

イラクの首都バグダッドで11日朝、数時間にわたって雪が降ったそうです。
政府気象局によると約百年ぶりとか。
治安の悪さに悩む市民の中には「希望のしるし」と喜ぶ人もいたそうで、「これは希望のしるしだ。イラク人たちが心を清め、政治家たちも国民の繁栄のために働くようになれば」との地元の人の発言なども紹介されています。
記事は「人々は雪の純粋な美しさに、平和到来への希望を重ね合わせているようだ。」と終わっています。【1月11日 時事】

イラクというと中東、中東と言えば砂漠・・・という連想で“暑い国”というイメージがあります。
実際、世界最高気温は1921年にイラク南部のバスラで記録された58.8℃(!)です。
信じられないような暑さです。

しかし、砂漠地帯特有の大きな寒暖差があり、1日のうちでも夜間は冷え込みますし、1年でみると、冬場は寒くなります。
手元の記録で調べると、バグダッドの1月の平均最高気温13℃、平均最低気温4℃。
ちなみに私が住んでいる奄美大島の昨年1月が、最高18.0℃、最低12.5℃ですから、島の感覚で言うとイラクの冬は相当に厳しい寒さです。
なお、奄美でも05年の3月に500m弱の山頂付近で積雪があったということが話題になりました。
1901年以来ということでしたが、結局測候所職員による確認がされず、公式記録とはなりませんでした。

さて、イラクです。
非常にロマンチックな記事に水をさすようで恐縮ですが、寒さは住居・暖房施設が十分でない人々にはこたえます。
イラクでは国内難民が200万人を越えていると言われています。
恐らく十分な備えもない冬を向かえていると思われます。
彼らにとっては、100年ぶりの雪は厳しい現実をつきつけるものではないでしょうか。

寒さと地域つながりでイランからの話題。
イラン北部の都市アルデビルで、夫婦げんかの末に夫から家を追い出された妻が凍死したという事件。
夫が妻を追い出した9日夜は、今年の最低気温となるマイナス25℃まで冷え込んでいたそうです。
家を追い出された妻は、歩道橋の下に避難して夜を明かそうとしたようですが、翌朝になって遺体で見つかりました。【1月10日 AFP】

こちらの事件から思いつくことはイスラム社会における女性の地位・権利の問題です。
もちろん、この夫婦の場合がどういう事情・関係にあったかなどは全くわかりませんが、一般にイスラムの影響が強い社会では、外部の人間の目からすると、女性の権利に問題があるように思えます。

ただ、例えばイランもアフガンのタリバンもイスラム原理主義とくくられることがありますが、タリバン支配下では女性はひとりで外出することさえ許されません。
男手を失った女性は食べていくことも出来ません。
これは全くの想像ですが、イスラムの影響だけでなく、山岳地帯に暮らパシュトゥン人の部族社会の掟の影響が強いのではないでしょうか?

イランの場合は9日にも触れたように一度は西欧文化にどっぷり浸った社会であり、欧米的な民主主義も一応機能している国ですから、同じ女性の問題といってもタリバン支配下のそれとは全く異なります。
ただ、やはり夜間女性が1人で外泊するというのはなかなか難しい問題もあるのでしょう。
(一度観たイラン映画では証明書提示を求められ、それができない女性はホテルに泊まることができない・・・というシーンがありました。)

マイナス25℃の夜に妻を追い出した夫が、イラン社会でどのようにとらえられているのか、その点が知りたいところです。

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