上田市真田町は、真田氏の居館や本城があったところで、真田氏歴史館(上田市営)が設けられていて、真田氏に関する展示を行っています。
チラシ
(展示の概要)
真田信綱、昌輝兄弟は真田幸綱(幸隆)の長男と次男。主に上野(群馬県)方面の最前線で活躍し、天正三年(1575)頃には、三河・遠江方面に転戦しています。武田軍と織田・徳川連合軍が戦った長篠の合戦で武田軍は大敗。信綱、昌輝共に戦死しました。
2025年は長篠の合戦から450年が経過する節目の年で、これを機に、信綱の首級を包んで持ち帰ったとされる「血染めの陣羽織」や、上田小県地域に残る最古の検地帳である「真田氏給人知行地検地帳」など、信綱・昌輝に関連した資料を紹介しています。
(真田氏系図)
今回の企画展は、真田昌幸の兄の信綱、昌輝に関するものです。
(真田幸隆、信綱、昌輝について)
(今回の主な展示品)
血染めの陣羽織。長篠合戦で戦死した真田家当主、信綱の首級は、家臣の白川勘解由兄弟によって戦場から持ち帰られ、信綱寺に葬られた。その際に首を綴んできたのが、本陣羽織であったと伝えられる。
四阿山奥宮社殿扉。第4次川中島合戦の翌年、幸綱と嫡男、信綱は四阿山奥社を連名で修築。そのことがこの扉に記されている。
黒漆塗仏二枚胴。江戸享保年間(1716~36)に位牌所である信綱寺を移築した際に、信綱墓伝承地の土中から発見されたもの。
信綱の首級を持ち帰ったと言われる白川勘解由兄弟所用と伝わる白四方の旗指物。真田本家当主の旗は、中世以来「黒四方」であった。
真田氏給人知行地検地帳。真田昌幸が真田本原で行った検地を記帳したもの。信綱からの代替わり検知と思われ、信綱ならびにそれ以前の検地を「古検知」として反映させている。上田小県地域に残る最古の検地帳で、天正6~7年(1578~9年)頃に行ったもので、現資料は、江戸期の写本のもよう。
(企画展以外の展示の中から)
これが最も興味を惹きました。天正13年(1585年)真田昌幸宛 豊臣秀吉の書状。本物です。
(展示は撮影不可です。他をちょっと撮影しました。)
周辺の案内図
真田氏歴史館入り口
真田幸村の彫刻
館内
TVドラマ「真田太平記」のポスター。
すぐ隣にある「真田庵」。食事や喫茶ができます。
今回は時間の関係で入りませんでしたが、次回は、この「くるみおはぎ」を食べてみたい。また、真田氏居館跡や砥石城址、真田本城跡などにも出かけてみたい。
【真田氏歴史館】
住所:長野県上田市真田町本原2984番地1
電話:0268-72-4344
ホームページ:真田氏歴史館 - 上田市ホームページ (city.ueda.nagano.jp)