家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

無料の枝払い

2011-01-15 07:06:33 | Weblog

去年の9月のことだ。

 

私が春野の家に到着する寸前に一台の軽自動車を見つけた。

 

我が家の前を行ったり来たりしている。

 

何かをメモしているようだ。

 

「怪しい」と感じた。

 

私が庭にいると声を掛けてきた。

 

電線に差し障りのある木や枝を取り除く仕事の人だった。

 

全く怪しくなかった。

 

我が家のケヤキも電線に接触していて少し心配だったところだ。

 

先日電力会社に電話をしたら「ご自分で処理をお願いします」との答えだったので弱っていたところだ。

 

ケヤキの木は既に脚立では手に終えないほど成長してしまっていた。

 

この怪しくない御仁は「無料で伐採します」とのことだ。

 

私が飛びついたことは言うまでもない。

 

その後何も起きない日々が続いた。

 

シビレを切らした私が電話をすると

 

「書類を作成して回し、それからになります」とのことだった。

 

と、先日私が、またまた春野の家に到着する寸前。

 

それらしい作業員とクレーン付きトラックと普通トラックの3台が止まって作業していた。

 

やはり庭で作業していると、さきほどのクレーン付きトラックがやってきた。

 

我が家のケヤキを切りに来てくれたのだ。

 

クレーンを伸ばし電線を潜り抜け、また伸ばして更に器用に内側に回りこむ。

 

枝払いをするのに安全でやりやすい場所を瞬時に選ぶ。

 

カッコ良いし嬉しくて写真を何枚も撮った。

 

切り取った枝を下に落とすと別の作業員達がナタで細かく切って捨ててくれる。

 

慣れた人たちの作業は見ていて飽きない。

 

無駄がないしテキパキとしていて、それでいて落ちがない。

 

電線とは無関係の所も切ってくれた。

 

樹形を整える意味もあるのだろうが作業員の趣味もあるのかもしれない。

 

「これで終わったら形が良くない」というように職人的に見逃せないような。

 

あっというまに終了して次の場所に移動していった。

 

もう一箇所我が家の敷地内で切ってもらう場所があった。

 

道路にはみ出した枝が大型トラックの走行のたびに邪魔になるだろうなと困っていたところだ。

 

見に行ってみると崖から伸びていた木々が、きれいさっぱり切り取られ裁断されて我が家の敷地に捨てられてあった。

 

道路は何の障害もなく通行できるようになった。

 

明るくなった道路のように私の心も明るくなった。

 

遠くで作業員のチェーンソーの音が聞こえてきた。

 

「おー。次の所始まったな」

 

離れたところから応援した。