家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

婚外子

2011-01-29 07:27:12 | Weblog

婚外子が母方にいたらしい。

 

おじさんと母の話を聞いていた。

 

墓参りにいって来た、とおじさんが話している。

 

私は聞き耳を立てて運転していた。

 

母の祖父は役場務めをしていて、その連れ添いは寺子屋で教えていたそうだ。

 

その二人が恋愛の末養子になる形で婚姻した。

 

明治7年生まれの祖母の親は当然江戸時代の生まれ育ちだ。

 

おじさんの小学校の父兄会には、その祖母が来たそうだ。

 

「皆の親と違って後で見ているじゃねえだ。オレの横に座って教えるでぇ。先生なんか無視だよ。女だてらにキセルでタバコ吸って」

 

その人が産んで育てた子供達は、それぞれ個性的に育ったという。

 

その中に、つまり母の親の兄弟の中に、婚外子を産んだ人がいる。

 

母の親は長男なので百姓を継いだ。

 

そこに毎年集まって来るおじやおばたち。

 

夜の明けるまで議論をしていたそうな。

 

そこに嫁いだのが母の母つまり私の祖母だ。

 

自分の婚姻と期を同じくして嫁ぎ先の母の出産があった時代の嫁さんだ。

 

そして祖母より3歳上の小姑が婚外子を産んだというわけだ。

 

そうとう辛かったであろう祖母の生活は想像に難くない。

 

話を戻そう。

 

その婚外子は戦死したという。

 

現在の墓に名前がなかったらしい。

 

ひっそりと生まれ戦死して墓に名もないというと気の毒に思えるが実は彼の人生は楽しかったのだろうと想像する。

 

明治時代に婚外子を産む母親だから、きっと強い意志の人で、ものごとの本質を教えたに違いいない。

 

哲学のしっかりした人は苦しい中でも人生を楽しいものにしていったであろうと思うのだ。

 

それに引き換え戦争もなくバブルも経験した私の人生。

 

子孫達は私の評価をどのように下すのだろうか。

 

「能力はなかったがノウノウと楽しい人生を送ったようだ」

 

ぐらいかな。