「がまぐち」はヒキガエル(ガマ)の口に似ているところから、その名前がついたらしい。
誰でも、その「がまぐち」をパチンと留めたことがあると思う。
最近「がまぐち」を使っている人を見かけない。
たぶん「がまぐち」よりファスナー(ジッパー チャック)やホックに取って代わられたのだと想像する。
ところが、その懐かしい「がまぐち」が今まだ生きていることを知ることになった。
1回目は大谷康子さんのヴァイオリンを聴いているとき。
小さなホールで、まさに彼女の体温を感じ取れるほど近くに寄って聞かせてくれた。
彼女のグァルネリの響きが豊かで暖かい唸りとして皮膚も通して感じられた。
その時向かい側の通路の女性が「パチン」とやった。
「こんな時に」
2回目は友人の父親の葬儀の時。
神式で行われた葬儀。
横笛と篳篥(ひちりき)と笙(しょう)が高貴な音(雅楽)を奏で友人達が弔辞を読んでいる、その時に「パチン」
全員が弔辞の一言一言を聞き逃さないように聴き入っていた。
亡くなった人を偲んでいる「こんな時に」
3回目は何人かの友人が舞台で歌っているとき。
浜松フロイデ合唱団がモーツアルトのレクイエムを歌った。
何度聴いても良い曲だ。
ところが、その途中で「パチン」。
「こんな時に」
思い出しても腹立たしい。
「あれ本人は慣れきっているから自分の発生させている音に気付かないんじゃないか?」
静かなときにはガマの音を放つな。
誰でも、その「がまぐち」をパチンと留めたことがあると思う。
最近「がまぐち」を使っている人を見かけない。
たぶん「がまぐち」よりファスナー(ジッパー チャック)やホックに取って代わられたのだと想像する。
ところが、その懐かしい「がまぐち」が今まだ生きていることを知ることになった。
1回目は大谷康子さんのヴァイオリンを聴いているとき。
小さなホールで、まさに彼女の体温を感じ取れるほど近くに寄って聞かせてくれた。
彼女のグァルネリの響きが豊かで暖かい唸りとして皮膚も通して感じられた。
その時向かい側の通路の女性が「パチン」とやった。
「こんな時に」
2回目は友人の父親の葬儀の時。
神式で行われた葬儀。
横笛と篳篥(ひちりき)と笙(しょう)が高貴な音(雅楽)を奏で友人達が弔辞を読んでいる、その時に「パチン」
全員が弔辞の一言一言を聞き逃さないように聴き入っていた。
亡くなった人を偲んでいる「こんな時に」
3回目は何人かの友人が舞台で歌っているとき。
浜松フロイデ合唱団がモーツアルトのレクイエムを歌った。
何度聴いても良い曲だ。
ところが、その途中で「パチン」。
「こんな時に」
思い出しても腹立たしい。
「あれ本人は慣れきっているから自分の発生させている音に気付かないんじゃないか?」
静かなときにはガマの音を放つな。