家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

ステンレス彫刻家に会ってきた

2012-10-08 10:20:12 | Weblog
ステンレス彫刻をしている早川榮二氏に会ってきた。

http://www.geocities.jp/fish_artist/index.html

彼は房総半島西海岸の鋸南町という所に住んでいる。

東京湾フェリーで久里浜を出航し東京湾を横断して着く金谷港から約10分ほどの場所だ。

彼も彼の奥さんも、もう顔なじみだ。

ばんや横丁という土産物屋の中でフィッシャーマンズテラスを経営する彼らと会い、そのまま漁協直営食堂「ばんや」でお昼を食べた。

安くて量が多いから店内は客でごった返している。

寿司にイサキの天ぷらにカワハギの刺身に海鮮丼。

珍しく食べきれずに天ぷらを数切れ残した。

満腹した後に工房を訪ねた。

工房には各種機械やら材料やらが置かれていて、まるで鉄工場の様相だ。

だが動物や植物の作品が並んでいるので、まさしく芸術家の工房だ。

製作途中の粘土細工の巨大な魚で作り方を教えてもらった。

たいへんな手間のかかる作業だし、どの作業でも芸術性が問われるので一般人には作れるはずもない。

鼻水が垂れそうな牛の象。

ガサゴソ音を立てて逃げ出しそうなヤドカリ。

ピッカピカのキャベツ。

工房内のどこを見ても感激した。

だいたい、この家も自分で建てたというからスゴイ。

今月は東京芸術センターで個展を開いているしシドニーにも行く。

その中で、ちょうど良いタイミングで会うことができた。

仲の良い奥さんは冗談好きだ。

亭主のことを「こいつ」と呼んだり「ボウズ」「社長」いろいろな呼び方をする。

いろんな側面を持つ相手の全てを気に入り、受け入れていることがよく分かった。

「質素な生活だがシアワセ」

そんな感謝に充ちた夫婦の姿を見られたので、この旅はもう成功だった。

明日は妻の出品した藍染め作品展に行く。

南房総白浜にあるホテルに移動した。

打ち寄せる波音を聞きながら露天風呂を楽しみ沖を航行する船を眺めた。

寒くも暑くもない季節の夕暮れ。

イセエビとアワビが付いているコースだが値段とホテルの建築年数を見て期待しすぎないことを考えた。

行く前 行っているとき 帰ってきてから

2012-10-04 06:53:18 | Weblog
モーガンで清里に出かける1週間前のことだ。

エンジンを掛けた。

一旦掛かるが、すぐに止まってしまう。

仕方なく、もう一度掛けなおす。

掛かるが、すぐに落ちる。

「変だな?」と感じているうちに液体がウイングを伝わって流れてきた。

臭いから「ガソリンだ」とすぐに分かった。

O氏の見ているところでエンジンを掛けようとするとガソリンが吹き出た。

ガソリンホースのつなぎ目のホースバンドが緩んでいたことと金属パイプの周りのホースが締めこんでも直らないほど変形しているからだった。

とりあえずシリコンで漏れを一旦留めて修理屋さんでホースを新しくしてもらった。

清里に向かっているとき車体の下に何かが見えた。

鉄板のような物だ。

鉄板には丸い穴が空いていて、どうやらその穴に通っていたであろうU字型の金属が見える。

とりあえずガムテープで貼り付けて走った。

帰りの高速道路で後から走ってきたO氏が「また外れそうだから」と知らせてくれた。

ガムテープの効きが悪いのは底の板と鉄板にタールのような塗装をしてあるからだ。

しかたなくコンビニでヒモとガムテープを購入して何とかごまかして走り終えた。

バッテリーを固定するための鉄板だった。

ジャッキで車体を上げて鉄板に固定用U字型ボルトを通し直して固定した。

バッテリー交換の時誤って外してしまったようだ。

台風でびしょ濡れになった車体を洗おうと思って車庫から出した。

右側後のタイヤがパンクしていた。

実はモーガンのタイヤ交換するのは始めてだ。

スピンナーをスピンナー回しをはめ込み、それをアルミハンマーで叩いて外す。

何本かのボルトを外すよりは簡単だ。

タイヤショップに持って行って見てもらう。

チューブの空気を入れるための部分が経年劣化を起こして空気漏れしていた。

今どきチューブの入ったタイヤをはめている人は、ほとんどいない。

チューブの在庫もメーカーすら置いてない場合があるという。

サイズ違いのチューブを入れてもらって、なんとか出しっぱなしのモーガンを車庫に戻すことが出来た。

経年劣化、振動、整備不良いろいろな要因で思わぬ出来事が起こる。

自分も車も無事であったことに感謝する。

台風17号の被害

2012-10-03 07:07:54 | Weblog
新東名の清水パーキングでトイレ休憩をしたあと本線に向けて走り始めた。

駐車場内で「台風が来るっちゅうに」と半ば呆れ顔で私に言うオヤジ。

ナンバーを見てもらえば地元に向けて走っているくらいの想像はつくはずだ。

モーガンは車体の構成に木材を使っている。

それが雨に濡れるのだから良いはずがない。

でもそれは台風の被害とは関係がない。

雨戸を締めあらゆる窓を締め切り外に出してある物のうち飛んでしまいそうな物は物置に入れた。

地震のように揺れる我が家の中で小さくなっていた。

でもビールは飲んだ。

停電の準備はテーブルの上に懐中電灯を置いただけ。

先の停電で、どこに何があるのかは分かっているから。

ところが停電は起きなかった。

翌朝水鉢の上に置いてあった金網が落ちオリーブの植木鉢が倒れていた。

朝顔その他の植物の葉っぱが枯れたようになっているのは、どこも同じだ。

自宅はそれだけ。

春野を見に行った。

「何ともないや」と思っていると1本コナラの木が倒れていることに気がついた。

木の下に穴があいている。

「これは,この木が小さい時に鹿に表皮を食べられたからこうなっているのだよ」と教わった。

風で大きく揺れると、この穴の部分の強度が不足して、やはり耐えられなくなってしまうのだろう。

道路に落下することはないようだ。

倒れているのを利用して先端から切っていく。

15分で切り終えた。

チェーンソーの準備と片付けのほうが手間取る。

切り終えた木片は棚に並べて薪という名前の物質に変化させた。

このところ薪は十分に足りているので少し細いものは放置という形の贅沢をする。

雨の害も風の害も、その倒木以外に見当たらなかった。

道路に散乱している杉の葉や枝はエンジン式の送風機で吹き飛ばした。

気田川の水が泥のような色をしているが水量は大したことがないから奥に降った雨は少なかったのだろう。

浅い濁流を見ながら帰路についた。

清里から逃げ帰った

2012-10-02 07:48:57 | Weblog
新東名森町パーキングでモーガンO氏と待ち合わせしていた。

決めた時刻より少し早く出発した。

以前は東名清水インターで降りて興津まで走り、そこから52号線を北上するルートを取っていた。

今回は、その52号線の街中を外れたあたりに作られた新清水インターを利用した。

山間地から山間地へ、しかも高速道路も広くてカーブが少ないしアップダウンも少ない。

これほど移動に楽なものはない。

特に古い車の場合一層ありがたく感じる。

萌木の村でメンバーたちと話しランチをしてラリーに興じた。

今回のラリーは2台の共同作業により順位が決まる。

私の努力というかズルで我々が3位に入賞した。

そりゃそうだ。

ゴール寸前に私がO氏を待ってからフィニッシュしたのだから。

2台のゴールする時間間隔によって勝敗が決まる。

それぞれ30秒間隔で出発するからパートナーのゴールのピッタリ30秒後にゴールしたら優勝だ。

「あんたの後をついて行くよ」と言ったO氏は表彰式の後まで、そのルールを理解していなかった。

宿には小さな風呂しかないので3台でパノラマの湯に出かけた。

水墨画のような富士山を見ながら少しぬるめ露天風呂は最高だった。

パーティーでは飲み食い放題で続いて宿での二次会も楽しんだ。

翌朝、朝食時よく晴れていたが台風が来ることは十分承知していたので、ここでののんびり感に緊張感を混ぜたような複雑な気持ちだった。

さてあとは台風に向かって走る我々と不気味な方向に流れる雲との戦いだった。

順調に新東名に乗り少しの安堵感が生まれた。

屋根もワイパーも要らなかったかなと思わせるほど晴天だ。

しかし電光表示板は「雨 走行注意」の文字が。

いよいよ来るかなと思っているとワイパーは必要だが、その後は晴れるというような調子だ。

浜松浜北インターでO氏と別れた。

天竜川堤防を走ると風が強く吹き少し車体がふらついた。

帰宅2分前に、とうとう雨に降られ結局びしょ濡れになった。

「雨のないモーガンミーティングはモーガンミーティングじゃない」と世界に向けて発刊されているMORGANという雑誌に先日載った。

MECJメンバーが投稿し写真も載せたのだ。

私もその一員としての写真と、その記事内容の走行状態として載っている。

雨の中を走って感じた。

雨のないモーガンミーティングは素晴らしい。

雨のモーガンミーティングは美しい。