「なにをかいわんや」と書くとき変換では「何をか言わんや」とは出ずに「何をか況や」と出るので思わずどちらが正しいのか解らなくなって悩む時があります。正解は「何をか言わんや」の方で、「況や」は発音だけで出てくるようです。この辺りがIMEが一太郎に及ばないと言われるところでしょうか。
兎に角、日本語は難しい。教養の無い身には辛いものがあります。
そんな事を思い出させる言葉がありました。
6月4日、読売新聞コラム「日めくり」より
やむを得ない ―― ため息と涙とともに
そうするよりほかにどうしようもないと、あきらめたときに口に出る言葉。「やむ」は、途中で行われなくなること。終わらずにいつまでも続くのが「やまない」。やめようとしてやめられないのは「やむにやまれぬ」。「やむを得ない」は、やめたくてもやめられず続けざるをえないというところから、不本意ながら、仕方ない、といった意味になったものだ。
明鏡国語辞典は、「やむおえない」「やむ終えない」「やもう得ない」は誤りと特記している。言葉の成り立ちを意識しないで使うと、こんな誤用もおこるのだろうか。
これなんかも私は方言では「やもうえん」なんて使い方をしていましたが間違っているのかもしれません。
それにしても、日本語はどんどん劣化していくのでしょうね。戦前の口語とか古典なんて殆ど勉強しなかったので、昔と言うか戦前のものさえ読めない私の様な人間が増える事によって日本の良さも失われているのかもしれません。ここでも、戦後教育の歪が現れているのでしょうね。
やはり、教育というものをいい加減に考えてきたことが戦後の日本の最大の失敗だった事は間違いないですね。
もう取り返しか付かないのかも!