団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

小さな暴力に屈した

2010年06月12日 | 日本再生

  6月4日、読売新聞香川版に、久し振りに中坊公平さんが載っていた。取り組んでいた豊島の産廃問題の調停から10年が経ったのを取り上げているものです。
  その中に、こうした問題が起こった原因について書いていますが、それは、今の日本の凋落の原因にも通じる戦後の日本の問題でもあるようです。

  豊島の産廃問題

  公害調停から10年 豊島産廃問題 下 
  暴力の容認から始まった

  …略

  1975年、業者が産廃処理の許可を県に申請した時に始まった。中々許可が下りないことから、業者は翌年、県庁内で担当職員のネクタイをつかんで振り回した。業者は住民にも暴力を振るい、78年3月には暴行罪で有罪判決を受けた。
  住民は刑事告訴するなど毅然とした態度で業者に立ち向かったが、県は業者の暴力を恐れるあまり、同年2月、業者が不法投棄をごまかすために申請したミミズの養殖事業の許可をだした。小さな暴力に屈した。このことから豊島の問題は始まった。
  だが、県だけが悪いわけではない。暴力を悪いとする認識が社会全体で麻痺し、結果として暴力をようにんしていたことが豊島の問題が起きる一因になったことも否めない。…以下略

  暴力に立ち向かうだけの腹の座った人というのは殆どいないのじゃないでしょうか。斯く言う私も、暴力には滅法弱い軟弱人間です。なるべくなら関わりたくないと見てみぬ振りをすることも度々です。その度に、自己嫌悪に陥り、今度、こんな事があったらその時こそ腹を据えて立ち向かおうと考えるのですが、どうも実践できているとは言えそうもありません。
  実際、殆どの人がそうなのじゃないでしょうか。その弱さが悪をはびこらせている事は間違いないのですから、個人個人が強くなることも必要ですが、それは不可能に近いでしょう。
  ここでも言われているように社会全体が暴力を許さないという強い認識が必要でしょう。そして、その暴力をきちんと取り締まる警察の力もバックアップとしてなければとてもじゃないが個人では太刀打ちできないでしょう。
  今や、その警察もあてにならないところがあるように、日本中が堕落してしまっているのが現実の様な気がします。
  マスコミなどを外国人が押さえてしまったのも同じ様に暴力に屈したのが最初のようです。
  ここまで落ちた日本を立ち直らせるのは並大抵の事では無理でしょうね。この辺りも、戦後の教育も関係しているのでしょうか。

もう立ち直れないのかも!