第115回の「GHQ焚書」に続くGHQが日本を二度とアメリカに牙をむかないようにする作戦の続きがありました。
草莽崛起ーPRIDE OF JAPANより 2013/09/10
日本における検閲: 「言論及ビ新聞ノ自由ニ関スル覚書」(SCAPIN-16)発令。連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が検閲を始める。
・・・略
GHQによる「大東亜戦争」使用の禁止
1945年(昭和20年)8月のポツダム宣言受諾後も、大東亜戦争の名称はしばらく使用されていたが、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)は、軍国主義、全体主義、極端な国家主義などを日本から排除する政策を行うことを占領政策の柱としていた。
1945年(昭和20年)12月15日、GHQは日本政府に対する覚書「國家神道、神社神道ニ對スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ關スル件」(いわゆる「神道指令」)[10]を発した。
この中で「『大東亜戦争』および『八紘一宇』などの、国家神道、軍国主義、国家主義に緊密に関連する言葉」の使用を公文書において禁止することが指令された。
これによって政府部内の「大東亜戦争調査会」などは「戦争調査会」と改称され、関連法令にある「大東亜戦争」の語句もすべて「戦争」に置き換えられた。
また1945年9月10日には「ニューズ頒布についての覚書」、9月19日には「プレス・コード(新聞規約)」が発出され、マスコミに対するGHQの規制も強化された。
GHQはさらに「プレス・コードにもとづく検閲の要領にかんする細則」を発して新聞・雑誌がGHQの検閲を受けること、さらに「『大東亜戦争』『大東亜共栄圏』『八紘一宇』『英霊』のごとき戦時用語」の使用を避けるように指令した。
12月7日には朝日新聞が「太平洋戦争」の語を初めて使用し、12月8日(開戦4周年)には新聞各紙が民間情報教育局(CIE)作成の「太平洋戰爭史」の掲載を開始した。
さらに翌日からは日本放送協会から「眞相はかうだ」のラジオ放送が開始された。
こうした経緯から、「大東亜戦争」という用語が強制的に「太平洋戦争」に置き換えられていった。…以下略
第4579回などで取り上げた八紘一宇が消されたのもやはりGHQの仕業だったのですね。こうして見るとアメリカは余程日本が憎かったのでしょうね。というか先人の凄さを恐れて、もう二度と立ち向かってこないようにと工作したんでしょうね。
上からの命令には素直な日本人の特質がこんなところにも発揮されてアメリカが思った以上の効果があったということじゃないでしょうか。これに味をしめ て、同じことをイラクでもやろうとしたが全然上手く行かなかった。そこには日本人の民度の高さがあったことに考えが及ばなかったのでしょう。同じ作戦を やってもこれだけの効果のあるのかきっと日本だけなのでしょう。
それが、日本人の良いところでもあり、欠点でもあるのでしょう。日本人も考えどころですね。