今日のねずさんの話は、2015年1月26日 (月)、第 246話の「7 つの日本」などで何度か教えてもらいましたが、何度読んでも、日本の凄さを思い知らされます。
特に、2012年8月29日(水)、第 4728回の「大 麻」で取り上げた、究極のリサイクルには本当に驚かされます。我らが先人は凄い世界を造り上げていたことに 驚かずにはいられません。その凄いシステムを完全に捨ててしまったのはGHQの工作とは言え、余りにも勿体ないことで す。
やはり、良いものは、もう一度復活させるべきでしょう。戦後の使い捨てを考え直す時が来ているのじゃないでしょう か。
何時ものように、全文はリンク元で読んでください。
小名木善行 ねずさんの ひとりごとより 2016年02月07日
神 話は民族のアイデンティティ
古事記の最初の方に、イザナキ、イザナミのお話があります。
二柱の神様は、天の神様から天の沼矛(あめのぬぼこ)を授かって、オノコロ島を作るのですが、ここは原文では、次の ように書かれています。
於是天神、諸命以、
詔伊邪那岐命・伊邪那美命二柱神
「修理固成是多陀用幣流之国」
賜天沼矛而言依賜也
読み下しますと、次のようになります。
「ここにおいて天の神様は、諸々の命もちて、
伊耶那岐命、伊耶那美命の二柱の神に
この漂える国をつくり固めなせと詔(の)り、
天の沼矛(あめのぬぼこ)をことよさせたもうなり」
現代語に訳すと、
天の神様は、様々な命令をもって伊耶那岐命、伊耶那美命の二柱の神に「この漂っている国を修理(つくり)固めなさ い」と述べられて「天の沼矛(あめのぬぼこ)」を授けました。
といった感じになります。
ここに「修理固成」という語が出てきます。
読みは「しゅうりこせい」ではなく、「つくりかためなせ」です。
他に「をさめかためなせ」と読ませる本もあります。
古事記を代表する有名な言葉のひとつです。
おもしろいのは「つくり」や「をさめ」に「修理」という漢字を充てていることです。
古事記は、序文で、
1 漢字の持つ意味と上古の言葉の意味が一致する場合は漢字で。
2 漢字の持つ意味と上古の言葉の意味が一致しない場合は漢字を音として用いていると書いています。
古事記にある「修理」が「つくり」と読むのが正しいのか「をさめ」と読むのが正しいのかはわかりませんが、いずれに せよ上古の大和言葉に「つくり」と「を さめる」という言葉があり、そのいずれか、もしくはその両方の意味が漢語の「修理」と一致するから、この字が充てられた というわけです。
「修理」は「いまあるものに手を加えてつくろい直すこと」を意味する漢語です。
ということは上古の人々にとって、大和言葉の「つくる」ことと「をさめる」ことは、何もないところからいきなり何か を生み出すのではなく、すでにあるもの を加工したり変形したりすることが「つくる」ことであり、それらを上手にきちんと使うことが「をさめる」ことだという認 識があった、ということであろうか と思います。
そもそも、何もないところから何かを生み出すのは神様の仕事です。
人間の仕事ではありません。
私たちは神様がおつくりになった様々なものを、加工して使わせていただいているだけです。
そうである以上、もともとはすべては神々がお生みになったものを使わせていただいているのですから・・・ 別な言 い方をすれば神様そのものを生活に便利なように変形して活用させていただいているわけです。
これはとてもありがたいことですから、手を加えて修理しながら、どこまでも大切に使わなければならないという姿勢が 自然とそこに備わります。
だからこそ「つくり」も「をさめ」も同じ漢字に訓として当てられているわけです。
しかもそれを「固成(かためなせ)」といっています。
「固成」とは、より使いやすい完成度の高いものにしていくということです。
最近では日本でも、なんでも「使い捨て」のがあたりまえになってきています。
しかしほんの百年前までの日本では、服装ひとつをとってみても、みんな和服でした。
洋服は体のサイズが変われば処分するしかなくなりますが、和服は糸をほぐせばもとの反物に戻ります。
しかもフリーサイズです。
人の体は、一生の内に大きくなったり、太ったり、しぼんだりしますが、都度、修理しながらいつまでも着られるように 工夫されているのが和服です。
しかも、古くなって擦り切れてボロボロになって、もう反物に戻しても、どうにもならない状態になれば、裁断して手ぬ ぐいや雑巾に用いました。
それもまたボロボロになれば、もっと細かく裁断して水に漬けて、布を紙にしました。
そうしてできた丈夫な紙は、障子紙やフスマ紙になりました。
その障子やフスマ紙も老朽化したら、また水で溶いて、今度は薄い紙にして、習字などの練習紙に用いました。
その紙もまた真っ黒になったら、これをさらに水で溶いてトイレなどで使うチリ紙にしました。
ですからこれは再生紙だったので、たいていは黒っぽい紙でした。
そして紙は汚物と一緒に肥溜めで発酵させ、畑の肥料に使いました。
その肥料は、地味を肥やし絹糸を取るカイコの餌の桑になったり、麻になったりしました。
一枚の布が、反物に仕立てられてから最後にチリ紙になるまでおよそ三百年です。
そして絹や麻の肥料となって、そこからまた復活・再生していたのです。
このようにあらゆるものがリサイクルできるように作られてきたのは、日本人が「修理固成」の民族であり、あらゆるも のは神々からの預かりものと考え、それ を加工して使わせていただいているのだから、最後の最後まで感謝の気持ちをもってどこまでも大切につかわせていただかな ければならないいう考え方が、日本 人の常識だったからです。
そしてその常識の根拠を、私たちは千三百年前に書かれた古事記に見ることができるわけです。
しかもこれは神話ですから、古事記が書かれたのよりも、もっとはるかに古い上古の時代からある常識であるということ がわかります。
つまり、何千年も(もしかすると何万年もの)昔から、私たちの祖先はそうやってあらゆるものに感謝の気持ちをもって 暮らしてきたのです。…以下略
やはり、修理というものを見直し、長く大事に使うことを復活させたいものです。経済界は反対するでしょうが、資源に 限界のある地球で、それは許されざることではないでしょうか。