日本のお人好しを思い知らされた、22 日、第5986回の「朝日新聞が日本に植え付けた『ドイツ信奉』の呪縛」で、加瀬さんに教えてもらった、戦前からのドイツの日本に対する対応です。
それを、裏打ちしてくれるような本を、宮崎さんが書評で取り上げてくれています。これは、本当に、目から鱗です。
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」より 平成28年(2016)2月22日(月曜日) 通算第4822号
宮崎正弘の国際ニュース・早読み 書評
黄禍が源流にあって、日本人への軽蔑と中国の巨大マーケットの魔力
阿羅健一『日中戦争は中国の侵略で始まった』(悟空出版)
近現代歴史家の阿羅健一氏は「南京事件」の専門家である。本書は「日本人が忘れてしまった」上海での激戦、とくに1937年8月に中国は上海で何をしたかを緻密に克明に検証したもので、読めば日本人の歴史認識がひっくりかえる爆発力を秘めている。
なぜ日本の侵略なのか?
昭和12年8月13日、在留邦人3万人が逃げ込んだ上海租界。ここを五万の中国軍が襲いかかった。守りはたった四千の海軍特別陸戦隊だった。
本書は八年前に出た『日中戦争はドイツが仕組んだ』(小学館)に加筆、訂正をくわえての新版である。
さて、上海戦のディテールは本書をじっくりと読んでいただくことにして、評者(宮崎)が注目したポイントはドイツに関してである。
いまもドイツは中国幻想に取り憑かれて巨額の投資を繰り返しているが、一方でドイツのメディアは徹底的な反日路線、誤解、曲解の基づく日本報道がいかに出鱈目かは、拙著『なぜ、中国人とドイツ人は馬が合うのか』(ワック、川口マーン惠美さんとの共著)を参照されたい。
このパターンは戦前も繰り返された類似型の復元のようもに見える。
日清戦争で日本が勝つと欧州を襲ったのは黄禍論だった。アメリカも同様だったが、皇帝をいただくドイツは日本を軽蔑しきっていた。
三国干渉で遼東半島を返還した日本だが、ドイツはどさくさに紛れ、青島を租借した。
「そこを拠点に中国との貿易を拡げ、まもなくして(ドイツが)イギリス、アメリカに次ぐ貿易高になる。ドイツにとって極東と言えば中国であり、日本にはほとんど関心を持たなかった」(210p)。
第一次大戦で、日本はイギリスの執拗な要請にこたえ青島を攻めた。
しばらくしてドイツは中国への関心をふたたび抱き、ドイツ軍も、中国に軍事顧問団を派遣するほどに「中国に対する近親感を強くしていった。その一方、日本に対する反感は変わりなかった」
したがってドイツは日本と防共協定をむすびながら、他方では中国に軍事支援をつづけ、日本の抗議にあうと、密かに軍事顧問団をはりつけ、支援を背後に隠れて行っていたのである。
ところが、日本はヒトラーの日本接近に浮かれ、ドイツの真の意図を見抜けず、日独友好路線に傾斜してゆくのである。
まさに戦後の日独関係も同様ではないのか。ドイツ文学、音楽、哲学という芸術が日本人を惹きつけ、ドイツ語のブームがあった。一方的な思い入れが続 き、だからこそ、なぜメルケルのドイツが、破綻寸前の中国にいまなお『幻想』にでも捕らわれたたかのように執着しているかを理解できないのである。
ドイツが中国にのめり込むのは、本能なのかも知れませんね。こんな、ことを疑いもせずドイツを信じて来た日本人のお人好し振りは、民度の高さ故でしょうね。
やはり、日本は、国内と国外を別として考えるべきことを肝に銘じる必要がありますね。ところが、それが、一番必要な外務省が未だに、それに気がついてないのですから、日本が世界中から食い物にされる訳です。大東亜戦争も、外務省の責任は大きそうです。
それにしても、世界の腹黒さというのは、日本人には想像もできないものがありますね。あまりに、民度を高くしてきた日本の素晴らしさが、逆目に出てしまったと言うことでしょうね。
とは言いながら、やはり、民度の高さは、もう一度取り戻す必要はあります。その上で、内外を区別して考えることを身につけるべきでしょう。
最終的には、日本の素晴らしさを世界に広めることこそ、日本が目指すべき道であることは間違いないでしょう。もしかしたら、それは、地球が太陽に飲み込まれる終焉の時までにさえ無理なのかも知れませんね。
それでも、諦めずに進めるべき!