団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

大阪市との姉妹都市解消「残念」

2018年10月05日 | ニセ慰安婦(売春婦)・就職詐欺被害者問題

  ニセ慰安婦設置問題で大阪市に、3日、第1332回の「★大阪市がサンフランシスコ市との姉妹都市提携を解消」で、取り上げたように、なしのつぶてだったサンフランシスコの市長が残念とのコメントを出したようです。
  何と、人的交流は維持するかんがえだそうです。何とも虫の良い考えです。どうせ、大阪市との姉妹都市関係なんてへとも思ってないのでしょう。

  大阪市も、人的交流を続けるなんて姑息なことはせず、きっぱりと縁を切って貰いたいものです。
  
  産経 WESTより     2018.10.4

  大阪市との姉妹都市解消「残念」 米サンフランシスコ市長

 米サンフランシスコ市のロンドン・ブリード市長の事務所は3日、旧日本軍の慰安婦問題を象徴する少女像の寄贈受け入れを巡り、大阪市の吉村洋文市長から姉妹都市関係解消を通知する書簡を受け取ったと明らかにした。解消決定は「残念」とする一方、人的交流は維持する考えを示した。

 大阪市は寄贈受け入れに関し見解をただす書簡を送り、9月末までの回答を要求。返答がなかったとして関係解消を伝える書簡を送付したと発表していた。

 サンフランシスコ市の少女像は中国・韓国系の地元団体が昨年9月に民間地に設置し、市側へ寄贈。吉村氏は碑文の内容に不確かで一方的な主張があると反発したが、当時のエドウィン・リー市長が受け入れを決める文書に署名した。

 その後リー氏が急死したため、吉村氏は市長選で当選したブリード氏に見解をただす書簡を送っていた。今年9月には同団体が設置1年の記念集会を行った。(共同)

  さて、問題はこのニセ慰安婦像の始まりであるグレンデールとの姉妹都市を未だに続けている東大阪市です。もしかしたら市長は維新と同じことは出来ないとでも考えているのでしょうか。


★当選すれば違法テントにお礼参り

2018年10月05日 | 沖縄

  我那覇さんの沖縄・日本を思う熱いこころに対して新しい知事は、違法テントにお礼参りだそうです。
  この男には沖縄や日本という考えは全く無いのでしょうか。もしかしたら、頭の中は中国への忖度で一杯なのでしょうか。
  さて、沖縄はどうなるのでしょうか。我那覇さんが立ってくれる4年後にまだ存続しているのでしょうか。どうも怪しい。 


 https://t.co/qf9TB2AipT

安倍総理も何らかのアクションを起こしてほしい

2018年10月05日 | 政治の崩壊

  沖縄の知事選でも顕著でしたが、このところの政府自民党の国民に正面からぶつからない腰の引けた対応が目立つような気がするのは私だけでしょうか。
  反面、素晴らしい外交を見せてくれていますが、それも、ここに来てトランプさんが本気になっている台湾やウィグル問題でも全く動きが見えません。
  それでなくても平和ボケ経済界の中国寄りの動きなどでトランプさんの逆鱗に触れないかと心配しているのにこんなことで良いのだろうかと心配します。

  【虎ノ門ニュース】で有本さんもそんな安倍さんを心配してくれています。


 
 pic.twitter.com/q4huLtPVfG

  やはり、憲法改正を控えての匍匐前進だとは思うのですが、それでも余りに消極的過ぎるのじゃないでしょうか。
  今回の沖縄の敗戦もそんな腰の引けた対応が原因の一つだと思えて仕方無い。


★師匠と真子 の激論(やはり次は我那覇さん)

2018年10月05日 | 沖縄

  今回の、江崎・我那覇コンビの【沖縄の声】は、お二人の白熱の討論で驚きました。我那覇さんの芯の強さを改めて認識しました。

  と言うのも、9月17日、第 1292回の「★ 沖縄も憲法改正も、自民党の覚悟の無さが足を引っ張っている」などで、国民を説得せずに逃げてばかりの腰の引けた自民党のやり方では日本人の目を覚ますことは出来ない。もう本音で語りかけるべき時が来ていると書きました。

  今回のお二人の討論はまさにそれでした。我那覇さんが選挙の争点を誤魔化す方法は駄目だと主張するのに対して江崎さんは選挙手法として正論では勝てないとの昔ながらの自民党の姑息な方法を擁護して大激論となりました。

  我那覇さんの一歩も譲らない主張に、やはり、次の知事選挙は我那覇さんで戦うべきだと確信しました。
  問題は、あの腐りきった沖縄県連や自民党本部が我那覇さんを候補として擁立しないだろうということです。とは言え、それでは今までの選挙と同じです。ここは政党じゃなく県民のバックで立てる方法を考える必要があるかもしれません。
  もちろん、自民党が擁立してくれるのならそれにこしたことはありませんが。
  
  お二人のというより我那覇さんの熱い思いを見てください。


【沖 縄の声】沖縄県知事選挙を振り返る/師匠と真子の激論バトル[桜H30/10/3]


山下太郎に日本人の底抜けの明るさと七転び八起きの人生を学ぶ

2018年10月05日 | 誇れる日本

  本田宗一郎さん達戦前の教育を受けて育った方達が一線を退いて行った80年代から日本の凋落が始まったことは何度も書いてきました。
  それは、戦後教育を受け自虐史観に犯された人達が後を継いだということです。今や、世界が排除しようとしている中国にしがみつこうとしているのは日本の経済界だけというところまで堕落してしまいました。

  その見事な証拠をいつものねずさんが山下太郎さんという偉大な先人の話の中で書いてくれています。

  何時ものように、全文をリンク元で読んでください。ここでは、山下さんが立ち上げたアラビア石油が何故消滅状態になってしまったかだけを取上げさせて貰っています。  

  ねずさんのひとりごとより     2018年09月29日
  
  山下太郎に日本人の底抜けの明るさと七転び八起きの人生を学ぶ

  山下太郎の魅力は、お金ではなく、人としての魅力です。
それは彼が、どんなときでも、どんな苦境にあっても、めげず、くじけず、そして何より明るかったことです。
山下太郎は男でござる。
男の人生は、底抜けの明るさと笑顔での七転び八起き(ななころびやおき)です。

 山下太郎は、私たちが薬を飲むときに使うオブラートを発明した人であり、日本人としてはじめて中東での石油採掘権を獲得 し、日本の石油を守った人です。
この人の人生が、すさまじい。
まさに七転八起(ななころびやおき)なのです。…中略

 サウジでの交渉相手(パートナー)は、地質学者でもあるアブドラ・タリキ財政経済省石油鉱物資源局長(後の石油大臣)です。

 交渉は難航しました。
当時、サウジの石油利権を求めていたのは日本だけではないのです。
欧米の、実績ある大手石油会社が、こぞって利権獲得に乗り出していたのです。
実績のない日本に勝ち目はありません。
さりとて、露骨な利益誘導やワイロを送ったところで、実績豊富な西欧の資金力に、勝てるわけもない。

 どうするか。。。。

 山下は、細かな交渉の内容や、巨額の利益誘導やワイロではなく、相手との個人的信頼関係にすべてを賭けます。
それで何をするのかといえば、ひとつひとつはつまらないことです。

 約束を守る。
 時間に遅れない。
 悪口を言わない。

 そして彼は、アブドラ・タリキ局長の誕生日に、デトロイト(米国ミシンガン州)から十数台の特別仕様のキャデラックを購入してプレゼントしました。
十数台というのは、実は、アブドラ・タリキ局長の彼女の数だったのです。
山下は、彼の彼女の数を正確に把握していたのです。

 これにはアブドラ・タリキ局長が大笑いしました。
「ミスター、ヤマシタは、
 実におもしろい奴だ」

 金額からしたら、キャデラック十数台など、他国のワイロに比べたらタカがしれてます。
しかし、堂々と、かつ、あっけらかんとそういうことをする山下という男に、アブドラ・タリキ局長は、ぞっこん惚れ込んだのです。

 二カ月におよぶ長い交渉の結果、 サウジ政府は山下太郎氏との契約の大綱を10月に承認し、12月10日、双方は石油利権協定に正式に調印しました。
翌年2月、アラビア石油株式会社設立。
会長に経団連会頭の石坂泰三氏、山下は社長に就任します。

 続いて山下はクウェート政府との利権交渉に着手し、紆余曲折の末、同年7月にクウェイト政府と利権協定を締結します。

 こうして、日本初の海外における石油開発事業が始まりました。
 アラビア石油は昭和35(1960)年1月31日に採油に漕ぎ付け、この後、「日の丸油田」と呼ばれる日本の油田をサウジ や、クエートで掘削するようになりました。
「日の丸油田」の埋蔵量は莫大で、世界でも有数の一級油田でした。

 山下太郎は、昭和42(1967)年、心筋梗塞のため78歳で亡くなりました。
「日の丸油田」は、山下の死後も、安定した石油を日本に送り続けました。

 しかし契約から40年経った2000年2月にサウジ、2003年1月にクエートで、アラビア石油、つまり日本は、日の丸油田 の採掘権を、契約期間満了で失いました。
石油はまだまだ大量の埋蔵量が残っているのに、です。

 実は、山下亡きあと、アラビア石油には、次々と、官僚や銀行出身の役員が乗り込み、代表に就任しました。

 彼らは、なるほどパートナーの王族の誕生日に、300万円程度の壺を持参するなどはしています。
しかしそういう形式では、相手には何の感動も与えないのです。
まして、お金や財産ならあふれるほど持っているアラブの王族です。
値段が高ければ、それで満足するというものではない。…中略

 なぜこのような話をするかというと、要するに「日の丸油田」が消滅したのは、山下亡きあと、アラブの王族と、日本側代表者 に、お金ではなく、人としての心の絆を作ることができなかった、ということだからです。
それはとても残念なことです。

 3百万円の壺であろうが、30億円の壺であろうが、同じことなのです。
そういうことではなく、人と人との絆。
裸一貫の男としての魅力。
実は、世界を動かしているものは、ただお金だけではないということを忘れてはいけないのです。

 山下太郎の魅力は、お金ではなく、人としての魅力にあったと言われています。
それは彼が、どんなときでも、どんな苦境にあっても、めげず、くじけず、そして何より明るかったことです。

 山下太郎は男でござる。
男の人生は、底抜けの明るさと笑顔での七転び八起き(ななころびやおき)です。

  【参考】
 サウジアラビア大使館のHP
 経済技術協力

  これこそが、戦前の方達と戦後育ちの差なのでしょう。どこからこの差が産まれたかと言えば、やはり家庭や学校での育てられ方にあるのじゃないでしょうか。

  日本の再生は並大抵のことでは出来ないようです。やはり70年の空白は大きすぎるようです。果たして、日本は復活できるのでしょうか。それとも、消滅するのでしょうか。
  とは言え、日本が消滅すればいずれ世界も消滅するでしょう。どうせ太陽が消滅するまでの地球ですから、仕方ないのかも。


★隣国だから、といって友だちである必要はない

2018年10月05日 | 韓国

  韓国の旭日旗での大騒ぎが、9月30日、第1324回の「『旭日旗』掲揚自粛、日本は断固拒否」で取り上げた日本のきちんとした拒否で益々大きくなっているようです。
  どうぞ、思う存分騒いで、世界にも拡散して世界中で恥を書いてください。

  この問題に産経抄が面白い本を取り上げ、近隣国との付き合い方を書いてくれています。

   産経ニュースより    2018.10.1

 【産経抄】

 昔、新米記者は「トロッコ」と呼ばれていた。記者を「汽車」にかけて、トロッコもレールの上を走るものの、汽車にはほど遠いことからつけられたそうだが、言い得て妙だった。

 ▼トロッコ時代、どうしたら汽車になれるのか、大先輩に聞いたことがある。曰(いわ)く、「一生懸命取材し、記事を書くのは当たり前。大酒を飲んでも寝る前に10分は読書せよ。専門書だけでなくベストセラーは必ず読むこと」。その教えを守ることなくボーッと何十年も生きてきたが、「ベストセラーは時代の鏡だ」との声は耳に残る。

 ▼いま、新書で最も売れているのは「友だち幻想」(筑摩書房)である(9月29日付読書面)。「『みんな仲良く』という重圧に苦しんでいる人へ。」という惹句(じゃっく)通り、友人関係に悩む若者を意識して書かれている。

 ▼驚くことにこの本は10年前に出版され、著者の菅野仁さんは2年前に亡くなっている。テレビ番組で作家の又吉直樹さんが紹介したのをきっかけに火がついたが、友人関係に悩む若者の何と多いことか。

 ▼若者だけではない。昔に比べ人間関係に悩む大人が増えた気がする。「自分のことを百パーセント丸ごと受け入れてくれる人がこの世の中のどこかにいる」という思いは幻想であり、「人はどんなに親しくなっても他者」という意識を前提に信頼感を醸成すべきだ、と著者は訴えている。

 ▼人間の集団である国家同士のつきあいも同じ。戦後日本は、戦時中の反省が行き過ぎ、相手をおもんばかり過ぎてきた。その点、自衛艦が掲げる「旭日旗」に難癖をつけてきた韓国の自粛要請を防衛省が突っぱねたのは一歩、前進である。隣国だから、といって友だちである必要はない。外交は、国益重視の大人のつきあいでありたい。

  良いですね。まさに日本外交の間違いを見事に表しています。国内でもこれなのですから、民度の低い国外との付き合いはきちんとこちらの考えを主張する必要があります。それをせずになんでもごもっともで受け入れてきたことが相手を付け上がらせたということでしょう。

  その代表的なのが特亜3国だと言うことでしょう。この「隣国だから、といって友だちである必要はない。」こそが付き合いの基本でしょう。  

  この旭日旗問題だって、サッカー協会が弱腰で対応した事でここまで付け上がらせてと言うことです。

  特亜3国は、付き合い方を考えるより、やはり国交断絶すべきです。


★★日本語は胃袋が強い

2018年10月05日 | 素晴らしい日本語

  折角分り易い日本語があるのに、何で、ここまで分かり難い英語を使うのだろうと不思議でしたが、8月21日、第6897回の「★追い込まれると横文字に頼る『エリート』」で、産経の田村さんが教えてくれて目から鱗でした。

  確かに、便利な造語もありますが、最近のはやたら長いのが多くどうにも覚え切れないものが多すぎます。

  そんなおかしな風潮に産経抄が警鐘を鳴らしてくれています。これも、エリートがきちんとした歴史観を持っていないのも原因でしょう。やはり、政・官・財などのエリートさん達の教育が急がれます。

  産経ニュースより   2018.9.30

 【産経抄】

 神奈川県のある市役所で係長を「チーフ」と呼ぶことになった。20年ほど前である。世評はあまり芳しくなかった。「いつからレストランになったんだ」。非難が殺到したとの挿話を、井上ひさしさんが『にほん語観察ノート』に書き留めている。

 ▼今思えば、さほどに騒ぐことでもない。コンビニエンスストアよりコンビニが耳になじみ、アニメーションを縮めたアニメは「日本製の動画」を指す言葉として、英語の辞書にも載っている。「日本語は胃袋が強い」と書いたのは、英文学者の柳瀬尚紀さんだった。

 ▼右手に箸、左手にフォークのおおらかさは日本語の美質として、世界から千客万来の東京五輪が近いせいか、お役所の外来語だのみには見境がない。訪日外国人旅行を指す「インバウンド」や共同事業体を表す「コンソーシアム」に、かゆみを覚えた人は多かろう。

 ▼官公庁が使うカタカナ語に、「分からない」と答えた人が5割を超えた。国語に関する世論調査の結果である。意見公募で済むものを、「パブリックコメント」に言い換える手間は惜しまないらしい。略語の「パブコメ」を訳知り顔で使う鼻持ちならぬ官僚も多い。

 ▼徳川夢声は終戦直後の日記に書いた。「床の間が無くても生きては行けよう、だがそれでは吾々(われわれ)が考えている日本人の生活ではない」。日本人のアイデンティティー(同一性)と書かれるより腹に落ちる。日本語を端的に使いこなす方が、社会も滑らかに回ろうに。

 ▼いかに時代が流れても、ろくな身体検査もせずに舶来の言葉を受け入れるのは考えものである。何が必要で何が不要か。消化薬を飲みカタカナ語を整理する時期だろう。日本語の胃袋は強くても、このままではこちらの記憶の引き出しがもたない。

  この、「日本語は胃袋が強い」は、言い得て妙ですね。とは言え、その強い胃袋もここまで安易に使われると流石に消化不良を起こすでしょう。もしかしたら胃癌になってご臨終なんてことにもなりかねません。
  やはり、エリートの人達には幾ら追い込まれても節度を持って使って貰いたいものです。

素晴らしい日本語を大切に!