行き過ぎたリベラルの気持ちの悪さに驚かされますが、どうやらああ言う人達とは根っから気が会わないようです。
そんな証拠が、ヒッグデータから読み解かれるようです。
何時ものねずさんが取り上げてくれています。その検証を読んでみると見事に当たっています。なる程、あの人たちとは気が会わないはずです。
ネットのお陰で目が覚めたと思ってましたが、どうやら根っからの保守だったようです。
何時ものように全文はリンク元で読んでください。今回は短い。
ねずさん のひとりごとより 2019年 09月30日
ビッグデータ が暴く自称リベラルの正体
・・・略
論考を通じて、
保守系の人には周囲を気遣う傾向が見受けられ、
リベラルの人には相手を欺罔してでも自己の意見を通そうとする傲慢さがある
という事実が客観的に明らかにされています。
おもしろいのは、映画のレビューの分析で、
保守系の人は人間ドラマを好み、
リベラル派は好色的内容や猟奇的内容の映画を好む
という点です。
また文中に「末尾表現を見ると、リベラル派の方が断定的、命令的な表現を用いている。それを人間の意識に残らないように 行っているのが、リベラル派の巧みさである。」とありますが、これを古い日本語でいえば「狡知(こうち)に長(た)けた 人」です。
もっといえば、人ではなく、人でなしです。
しかし人でなしと対立するならば、それは人でなしと同じレベルに下がることを意味します。
そうではなくて、人でなしにとって住みにくい世の中にしていくことが大事です。
対立ではなく、まったく次元の異なる社会を築いていくこと。
理想に思えるかもしれませんが、朱に染まれば赤くなります。
そまらない社会を築くことこそが大事だし、それは意思をもたなければ永遠に実現できないことです。
周囲の人を気遣うについては自信がないですが、他はほぼあっているような気がします。それにしても、やはりリベラルの人達とはあいそうもない。
となると、あの人達は人の意見を聞いて考えを変えるということは無い人達なのかも。となると、どうしても一定の反日売国左翼・在日は無くならないということでしょうか。
面白いものですね!