真珠湾攻撃の潔さを知って、これぞ武士道を使った体外政策の最大の誤りだったことが分かりました。
当時の人達も内外の違いを知って、使い分けるという考えが無かったのでしょう。
だから、この真珠湾や後の戦いで武士道を貫き、そこを評価しない民度の低い敵に付け込まれたということでしょう。
その反省が戦後もなされなかったのは明で、現在の窮地を迎えているということでしょう。
しかし、当時もそれを分かっていた人もおられたようです。それが、今回ねずさんが取り上げてくれた山口多門中将と言っても間違い無さそうです。
山口さんの作戦で戦っていれば日本の楽勝だったのじゃないでしょうか。残念ですが、それも意味があったのかも。
何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。
ねずさんの学ぼう日本より 2021/12/14
名将・山口多聞 中将
・・・略
旧日本軍の将校の物語になると、必ずこうした「成績何番」という話がでてきます。
卒業時の成績が生涯ついてまわります。
戦後は、このことによる弊害ばかりが強調されていますが、当時の成績順というのは、もちろん単に学業の成績が良ければ事足り るというものではありません。
なにせ、ひとりの生徒に、教師が4人も5人もついて、徹底的に鍛え上げるというのが当時の兵学校です。
すべてを見極めた上で、序列が決められるのです。
ただガリ勉して学科試験の成績が良くなれば上位というものではありません。
栴檀は双葉より芳し。
その栴檀を、双葉から徹底的に鍛え上げていたからこそ、成績順が大事なものとして扱われたのです。・・・中略
ですから当初、軍令部(大本営海軍部)は、飛行機は他の空母に搭載して、この三艦は内地にとどめおくべし、と決定しまし た。
けれど、これを聞いた山口少将(当時)は、烈火のごとく怒り、即座に南雲中将に面会しています。
そして南雲中将の胸ぐらをひっつかんで怒鳴りまくったのです。
結果、山口中将の強い抗議と要望で、三空母が作戦に参加することになりました。
なぜ山口中将は、ここまで航空機にこだわったのでしょうか。
彼は戦争が「艦隊主義」から「航空戦の時代」に変わったことを知っていたのです。
ここにも、先例主義でない、あくまで合理性を尊ぶ山口の個性があらわれています。
理由の第二は、山口中将の標的は、真珠湾だけでなかった、ということです。
真珠湾にいる米艦隊は、日本が攻めて来ることを予期し待機しています。
だからこそ米艦隊は日米の中間点である真珠湾に艦隊を配備したのです。
もっとも真珠湾で米艦隊が、あれだけの大きな被害を受けたのは、米国の予想をはるかに上回るものでした。
これは日本が真珠湾で、「航空機による浅瀬での魚雷攻撃」という新戦法を、世界で初めて実用化したからです。
真珠湾は浅い湾です。
浅いから敵潜水艦は入れません。
水雷艇がやってくるには、ハワイはあまりにも日本から距離がありすぎます。
ということは真珠湾は魚雷攻撃の心配がないのです。・・・中略
真珠湾攻撃が、米国にとって、米国の欧州戦線参戦に際して必要なことであり、あえて日本を真珠湾に誘い込もうとしたという ことは、近年、様々な米国の公開資料によって明らかになってきています。
ルーズベルトの予想と政治は、あくまで真珠湾基地に日本を誘い込み、日本に攻撃をさせながら、逆にこれを徹底して撃退し、米 国の強さを世界にアピールするとともに、米国内の国民世論を開戦に向かわせようとするものだったと言われています。
ここは間違えてはいけないポイントです。
ルーズベルトは真珠湾を日本に晒し、攻撃を受けることを待ち受けましたが、そこで日本にやられるとは、まったく予期していな かったのです。
ところが日本は真珠湾で、米軍がまったく予期していなかった「航空機による魚雷攻撃」という、当時の世界の常識にはありえな い前代未聞の戦法をとり、真珠湾の米海軍の艦船を全滅させました。
あり得ないことが起こったのです。・・・中略
そしてもっと大事なポイントは、この真珠湾攻撃において、日本は「航空機による戦艦の壊滅」という当時の常識では考えられ ないほどの戦果をあげながら、真珠湾における他の周辺施設、すなわち、石油の貯蔵施設や、爆弾などの収蔵施設、あるいは非武 装の米兵たちがいる兵舎などに対して、一切の攻撃をしかけていないことです。・・・中略
神々のご意思は、人の身では計り知れないものです。
ただ、よく言われることですが、戦前の日本はたしかにいっぱい良いところがあったし、とてもつもなく強かったけれど、どこか で日本が、あるいは多数、もしくはほんのひとにぎりの日本人に、謙虚さを欠き、他の諸国の人々を見下す弊はなかったといいき れるだろうか。
そしてまた、もし仮に先の大戦で日本が勝っていたとするならば、そのことが日本にとっての成功体験となってしまったのではな いか。
明治維新から大東亜の終戦まで、わずか80年です。
そのわずか80年の間に、戊辰戦争、西南戦争、佐賀の乱、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、第一次上海事変、第二次上海 事変、日支事変、満州事変、大東亜戦争と、日本は11回もの戦争を繰り返しています。
その日本が先の大戦に勝利したとき、果たして戦後の70年間の平和は、日本に訪れたでしょうか。
戦後が良いと言っているのではありません。
戦前の良いところはたくさんあります。
けれど、戦後の良いところもまた、たくさんあるのです。
その良いところを組み合わせて、もっと良い未来を築いていくことが、今を生きる私達に課せられた使命だと思うのです。
それにしても凄い方が居られたものです。それが活かされなかったのも八百万の神々の意志だったのか。
もし、日本が勝っていれば日本人が図に乗っておかしな方向に行った可能性はありそうです。
やはり、ねずさんの言われる通りかも。