この話も何度読んでも、我が先人の素晴らしさを思い知らされます。それに比べて今の教育界は日本の子供達にさえ真実の教育をせずに劣化させることをやっているのです。
教育に携わる資格があるとは思えません。恥ずかしいという気持ちは無いのでしょうか。
それとも、「日本に住んで日本国籍を持ち、日本語を話すけれど日本人でない者」達が携わっているのでしょうか。それなら日本消滅戦略として理解はできます。
そうであるなら、これは政府・自民党が第一に取り組むべき事です。それも出来ない政治家もやはり同じ穴の狢でしょう。
このねずさんが教えてくれた六士先生を何と考えるのでしょう。この方達は教育界の特攻隊と言っても過言ではないでしょう。
そんな人達の心意気を感じることが出来ない日本人は日本人とは言えない。
何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。
ねずさんの学ぼう日本より 2022/10/26
六士先生
・・・略
暴徒たちを力でねじふせても、また次の暴徒がやってきます。
いまの反日サヨクや在日と同じです。
力でねじ伏せても、また次のアホがやってくる。
そうではなく、人にはもっと大切なことがあるということを教化していく。
そのために台湾に渡ったのです。
そして渡ると決めたときに、すでに命は捨てていたのです。
けれど、仮に台湾の地で死ぬことがあったとしても、魂はその地に残り、台湾の人々の精神となって生き続ける。
だから、6人も死を選択したのです。
これが肉体は魂の乗り物という日本古来の武人の考え方です。
「その場で勝てば良い」ではない。
最終的な勝利とは、道を正し、斜めのものを真っ直ぐにしていくことです。
だから我が国では、武のことを古代には「たけふ」と言いました。
たけは「竹」でもあります。
真っ直ぐで、しかも節があって折れない。
その結果は、どうでしょう。
国家の力で歴史を捏造しようとする政権が、台湾で70年にわたって日本統治を消し去ろうと、六士先生の碑を撤去し、六氏先生とまで書き換えても、それでも台湾の民衆は六士先生の名前を「士林」として残しています。
そして士林市場は、世界的に有名な観光スポットです。
いまさら市場の名前を変えられない。
こうして正道を貫こうとしてきたのが日本人です。
そうやって我慢して我慢して、どうにもならなくなったとき、はじめて日本は兵をあげています。
戦後の日本では、すっかり洗脳工作にやられてしまって、そうやってこらえにこらえ、ガマンにガマンを重ねながら、最後に勇気をもって戦った私達の父祖を、いたずらに悪くいう風潮があります。
まことに残念なことに思います。
台湾では、現政権がこの「六士廟」を「六氏廟」と書き換えています。
士族の「士」、武士の「士」を、故意に「氏」に書き換えることで、歴史を葬り去ろうとしているわけです。
けれど、台湾の人たちは、市場に「士林」と名づけました。
そして「士林市場」は、いまや世界的な台湾の観光スポットとなっています。
そうやってしっかりと名前を残そうとしていてくれているのです。
日本人は、いったいいつまで、アホのままでいるのでしょうか。
今日のお話は、台湾人の李久惟先生のご著書からの抜粋です。
この『日本人に隠された真実の台湾史』には、こうした台湾と日本の関わりを示す様々なエピソードが紹介されています。
それにしても、我が先人の素晴らしさには感動するしかないですね。こんな日本人がここまで劣化してしまったことに原因はあるとは言え、それも日本人をもっと鍛える為に八百万の神々が試練を与えてくれているのかもしれません。
今こそ、日本人が目覚めるときです。