明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



私の新手法はここ何年間か、浮世絵や日本画に興味を持ち、これをなんとか写真に生かせないか、とずっと考えていた。経験上、身も蓋もなく撮れてしまう写真にかかると、頭の中のイメージそのまま描く訳にはいかず、断念することが多々あったからである。そこで陰影を消す、あるいは減らしてみたらどうか。結果、画のような写真になった。手漉き和紙にプリントされていることも拍車をかけているが、想定外であったのは、私自身が目を皿のようにしても、絵にしか見えない。写真っていったい何なの? 制作当初ブログに書いたが、作った私にも正体が分からなかった。 96年に始めて自分の作ったジャズミュージシャンの人形を撮影し、人形と写真の個展を開いた。そこで某編集者が、被写体が目の前にならんでいるのに、写真は人物を撮った実写だと勘違いしたのである。この時も想定外のことであったが、これがきっかけとなり、私が作ったと一目瞭然なモチーフを、と翌年作家シリーズに転向した。 実写に思わせるために撮ったわけではないし、絵と思わせるために撮ったわけでもない。どうも私はずっと自ら惑わすようなことをしておきながら、なんで惑わされてしまうの?私の本当の意図までたどり着いてくれない感が残るのである。 と本日のブログはネガテイブな話になるところであった、しかし、実写に見えてしまう件はともかく、絵に見えてしまう件は、一つには被写体が作り物である、人間の実写と違う、という点が絵に見える大きな要因だろう、と今思った。となると、作り物でなければ出来ないことを私はやっていることになる。であるなら、何に見えようがそれで良いのだ。 頭が追いつく前に作品は出来てしまう。自分は何をしようとしているのか?後で理由を考えるのが常だが、その検証作業にこのブログは役に立っている。読んでいただいている方にはブツブツと迷惑なことだと思うのであるが。


HP

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