明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



円朝が眠る谷中の全生庵は、圓朝が亡くなった8月の円朝忌、円朝祭りに、圓朝が集めた幽霊画の数々を虫干しをかねて1ヶ月公開している。今まで2回見学したが、応挙から晴雨から様々有り、私はどちらかというと血生臭い作品より、白装束でなければ寂し気な美人画、のような作品が好みであった。全生庵を建立したのは江戸城無血開城の立役者、山岡鉄舟である。勝海舟に先んじて、まず西郷隆盛に会見したのは鉄舟であった。身長188センチあったというから181センチの西郷をも上回る。剣の達人でもあったから、かなりの迫力だったろう。 ところで円朝を作りながらブツブツ書いていたが、何を読んでも円朝は心優しい人格者として描かれているが、子供の頃から付き合いのあった鏑木清方が描く圓朝像の目つきを深読みし、円朝のどこかに何かささくれ立った部分がありはしないか、と細かい所も見逃さないよう評伝を読みまくったが、やはり結論は人格者なのであった。清方作の目つきは、捧げ持つ湯飲みの影で、ちらっと覗く芸への執念を表したものであろう。 そうなってくると、円朝が何故それだけの人格をそなえるに至ったか、といえば師と仰ぎ、禅と剣術を習った山岡鉄舟の影響だったのであろう。何しろ子供の頃、各所に奉公に出されて長続きしなかったことと、円朝となり人気絶頂。弟子の肩につかまり、赤い襦袢をチラチラさせ、コホコホと咳なんかをして気障な目立ちたがり、という面はあったが、何を読んでもヘンだったのはそれくらいである。 ところで今月、全生庵の御住職にお会いできることになった。出かける時と、帰った時は私の顔つきが違う、なんてことを期待しているのだが。

HP

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