頂相で描かれるのは、絵も彫刻も、袈裟を着けて曲彔(きょくろく)という椅子に座り沓は脱いで揃えて置かれる。すでに在る物作っても仕方がない。ありそうでない坐禅姿にしたのだが、壁を背にする対面坐禅である臨済宗も。江戸時代以前は壁に向かう面壁坐禅だった、と知ると、坐禅の時に、袈裟を着けない臨済宗も、七百数十年前もそうだったのか?という気にもなる。臨済宗関係の方に聞いていただいているが、明らかになるまで制作はストップしている。すでに在る物と違い、存在しない物を作るには覚悟を要する。 蘭渓道隆は、死後に制作された肖像画、彫像よりも生前描かれた国宝の坐像がもっとも実像に近いと判断したのだが、建長寺の重文の木像も、頭の形が違うし、全体的に骨太である。しかしもっとも特徴的なのは、より細い顎と、小さく垂れた目と、目と目の間が離れていることである。それは肖像画にしかない特徴である。斜め45度の肖像画を立体化して、それを正面に向けてこそ、その特徴を表に出せる。