明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

一日  


先日、名張市内を中相作さんにご案内いただいていた頃、母が長谷寺でお相手いただいていた僧侶の方は、中さんのご親戚の方だったことが判明。乱歩の話から、母は大乱歩展の図録やアダージョなどお送りする約束をしたそうで、私にすれば、先方にはご迷惑だろうし、また余計なことを、と思っていたのだったが。不思議な巡りあわせであるが、これも大乱歩のお導きか、あの辺りの人口がそれほど少ないということか。いや単に母のお喋りが招いた偶然であろう。私の制作した物が長谷寺の門をくぐる、などと喜んでいる。
午後、神奈川近代文学館に出かける。出掛けにT屋で昼食。主人のHさん「朝も来てたじゃん」。朝6時に出かけ、かみさん相手に、お湯で割った物を2杯ほど飲み、何か摘んでいたら腹の虫がおさまり、朝食は食べなかったのである。誰が来たか、帳面をみるだけで判るらしい。「来ちゃ悪いのかよ」。 
2時に約束していたコクトー関係の藤沢健二さんと、藤沢さんのご友人の皆さん10人程と会場で待ち合わせている。私はレセプションを加えて4回目。それは予定だったので、毎回ふんわりと観ていたのだが、今日は仕上げにじっくり見学することにした。改めてみても、文学館の催事は、かくあるべし、といった内容で、デパートの催事とは趣が違う。ビデオのコーナーに、今制作中の作家のものがあったので、ついでに眺める。この人物は作るのが2回目なので、スムーズに進行しているようなことを書いた私であったが、2回目だろうと関係なく、あいも変わらず紆余曲折である。“あの感じが出るまでは”と思っているのだが、あの感じとはどの感じだ、といわれても良く判らない。こんな曖昧模糊とした、実在するのかどうかもはっきりしないイメージを相手に、よく長年作っているものである。  文学館を出て、写真家、ライター、声楽家など、バラエティーに富んだ方々と中華街にて楽しい食事。ここでも偶然というべき人の繋がりが判明し、面白いことに発展する可能性もありそうである。  帰りに結局、台所の絶妙な所に置かれたゴキブリホイホイのようなT屋に寄ってしまう。「また来たっていうなよ」。

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早朝5時前に目が覚める。長谷寺には手続きを済ませてあるので、7時までに本堂に行けばよい。入口の仁王門から本堂までは399段の石段。旅館では途中まで車で送ってくれることになっていたが、母はせっかくだから歩いて行きたいという。駄目なら後で考えることにして6時に出発。屋根つきの登廊はなだらかな石段で、杖をつき、手すりにつかまりながら、なんとか本堂にたどり着いた。広がる絶景。若い僧侶が、椅子の手配その他、すでにしてくれており、案内のまま本堂に入る。目の前には1018cmの御本尊、木造の十一面観世音菩薩。母と二人坐り、周りを数十人の僧侶の読経。終了後案内され、裏に回って御利益があるという御身足に触る。説明を受け、目近で本尊を見上げ、壁の絵、様々な木像を眺める。永代供養をお願いしたので、母も安心した様子である。 陽も高くなり、五重の塔など周辺で記念撮影しながら、朝食をとるため旅館に向かう。例によって、土産物屋に引っかかっては、話し込んで出てこない母を外で待つ。どうせならゆっくりしようと帰りのチケットを変更しており、朝食後室生寺へ。 ここの石段は手すりはないし、急で凸凹なので、母の手をとり一段づつ登る。笹川良一の如し。母と手をつなぐのは、おそらく小学校の低学年以来であろう。そうこうすると天候が一変。雨が降りはじめ引き返す。ザーザー降りの中、時間だけはやたらとある。食堂で1時間ほど過ごし名張へ。名古屋でゆっくりしようと考えていたが、チケットの変更はできない。母は行きの名古屋駅の味噌カツ弁当が頭にこびりついているらしく、名古屋はいいからここで時間をつぶそうという。駅員に頼んで改札を出て、名張シティホテルの前にの喫茶店でしばらく過ごし、選択の余地もなく、5時開店の『魚民』に入り落ち着くことに。それにしても、乱歩の生誕地で母と3時間近く過ごすことになるとは、『大乱歩展』が始まった時には夢にも思わなかった。これも大乱歩のお導きか。
膝関節症の母が登った階段は2日で600段ほどであろう。下りるほうがきつかったようだが、怪我もなく無事帰ることができた。母は念願を果たし嬉しかったのだろうが、ハイになって喋りっぱなし。おかげで私の記憶に残るべき奈良の風景の40%は失われているだろう。次は何処に、というので、少し黙っていてくれるなら考えないでもないと答えておいた。

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