明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



午前中、県立神奈川近代文学館より、江戸川乱歩像帰宅。  乱歩は寝床で寝転がって原稿を書いていたそうだが、あの作品は、次にどんな乱歩を作ろうかな、と思った時の私の体勢そのままである。『大乱歩展』では、会場に入って早々、寝転がっていたので可笑しかったが、私の場合は、あの体勢のまま本を読んでは、TV着けっぱなしで本を読むな、宿題しろ、はやく風呂に入れ、などといわれ続けた体勢なわけで、掃除の邪魔といわれても、本を持ったまま、箒ではかれながら、ゴロゴロ回転して移動し、さらに怒られていたわけである。父とTVでプロレスを見ていたら、まったく同じ格好だと、母が笑ったこともあったが、つまり私にとっては、ぐうたらを象徴した姿なのである。そういってしまうと大乱歩には申し訳ないが、きっと三人書房の二階その他で、あんな格好で、良からぬことを妄想していたに違いないと考えたのである。
人は15の時に好きだった物は一生好きなのだそうだが、確かに乱歩と現在制作中の作家は、中学生の時にハマッた二人であり、未だに好きかと訊かれれば1、2を争う作家である。そう思うと、あの頃ぐうたらしながら妄想していたことが、現在も創作のネタになっているのである。だから友人にも、息子が口を開けたまま遠くを見ているようなことがあれば、ロクなことは考えていないのだから、直ちに頭を叩いて、我に返らせないと、取り返しのつかないことになる、といっている。中には、私のように好きなことをやらせたい、などと愚かなことをいう人もいるが、12月になると世間は忙しそうにしているが、その理由が良く判らないまま、この齢まで来るというのは大変な努力が要ることを、なかなか説明できないのである。

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