花鳥風月・・・気ままな写真日記

ようこそ、どんこの小部屋へ。ゆっくりくつろいでください。
日常を出来得れば自然と融合したいと思っています。
 

向島 また来る日まで

2009-05-27 | 上京編
 平成21年5月27日(水)

 「すみだ郷土資料館」を見てから、三囲(みめぐり)神社でひと休み。ここのコンコンさんは心が和む風貌です。



 境内には多くの碑が建っています。そのうちの其角の句碑です。原文は「遊ふた地や田を見めぐりの神ならば」と刻まれています。分かりやすくどんこが表記し直しました。



 こんな珍しいものを見つけました。「路地尊」と記してあります。



 高級料亭をちらり。



 見番もあります。



 桜橋は人専用の橋です。川向こうは浅草です。



 隅田川を渡ると向島にある有名な「うんこビル」が黄金色に光っていました。



 浅草側から見た吾妻橋です。歩いても向島へ行くことが出来ます。向島、ほんの一部しか散策出来ませんでした。またいつかここを歩きたいと思います。

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向島界隈を歩く (一)

2009-05-23 | 上京編
 平成21年5月23日(土)

 姪の結婚式(今日23日)で首都圏に20日から来ています。富士山がくっきり見えました。



 21日は向島界隈をひとりで歩きました。向島は隅田川を挟んで浅草の東側にあります。上野駅から東武伊勢崎線で一つ目の業平駅で降りました。
 お目当ては「屏風博物館」です。墨田区にある伝統工芸などのお店の一部を開放して展示してありミニ博物館です。お昼の休み時間でしたが親切に対応していただきました。
 店内です。許可を得て写しました。



 ベテランの職人さんと社長のお嬢さんです。



 お礼を言って外に出たら「工事中の新東京タワーが見えますよ」と教えてくれました。もう40米の高さまできているそうです。



 他にも小さな博物館があります。その中の2軒です。



 有名な「小梅やぶそば」です。小梅とは地名です。



 牛嶋神社の「狛牛」(こまうし)です。向島の寺院では一番の古い歴史を誇っています。



 小梅小学校の運動場では運動会の練習があっていました。ネットが張り巡らせてあるのも都会の学校らしい!?ですね。



 名物二つの店です。桜もちはお土産に、言問団子は店内でいただきました。

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もんじゃ焼きの街 月島

2008-05-16 | 上京編
 平成20年5月16日(金)

 築地市場で腹ごしらえをして、海産物の土産も買いましたが、せっかくここまで来たので、もんじゃ焼きの街・月島をぶらつくことにしました。通りにはこんな横断幕が見えました。4月16日のことです。



 さすがもんじゃ焼きの街です。



 至る所に店の看板が見えます。



 こういう細い路地の店のが旨いと人が教えてくれました。でもビールとお寿司でまだお腹が減りません。



 ああ、懐かしい下町のにおいが伝わってくる風景です。



 今度行ったときには本場のもんじゃ焼きを食べましょう。その時はも飲めるようになっているでしょうから(笑)。
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横浜 馬車道界隈で

2008-05-10 | 上京編
 平成20年5月10日(土)

 末娘は横浜の繁華街・馬車道界隈に住んでいます。婿殿はちょうど外国出張中でした。熊本へ帰る前に一晩だけお邪魔することにしました。ちょうど馬車道は歩行者天国になって大道芸人ショーなどの催し物で賑わっていました。4月19日のことです。

 横浜開港150周年を来年に控え、日本吹奏楽発祥の地ということでミュージアムコンサートも県立歴史博物館前で開かれていました。



 大道芸人ショーは馬車道から伊勢佐木町方面まで各所で人垣を集めていました。



 一輪車の曲芸は中国の女性です。足に乗せたお椀を頭に振り上げて載せるという技でした。



 ミュージシャンは写真撮影はOKでしたが、ビデオ撮影は注意されていました。



 関内駅付近はご覧の人だかりでした。


 
 末娘お勧めの店に寄り、ランチを三人でいただきました。



 【ご心配おかけしたが痛風は快方に向かっています。まだ薬の世話にはなっていますが、大丈夫でしょう。好きなビールは良くないとのこと。ただ今、真面目に禁酒中です】
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築地市場界隈

2008-05-04 | 上京編
 平成20年5月4日(日)

 4月16日のことです。築地市場に着いたのはもう11時過ぎで商いもすんで一段落しているところでした。



 真向かいの朝日新聞東京本社です。この道を北へまっすぐ進むと銀座へ出ます。



築地場外市場には海産物店、新鮮な魚貝類を提供してくれる寿司屋や食堂などの店々が所狭しと立ち並んでいます。



 狭い路地はリックや買い物袋を提げた客で活気があります。



 有名卵焼き店の前には人だかりがしていました。



 こういう店頭もどこか懐かしさを感じます。



 「つきじ寿司」で人気メニュー・特上にぎり(2,100円)を食べました。



 お土産に高一、中一の孫たちが大好きな大トロを買いました。



 市場界隈にはみなぎる活気があり、歩いていても飽きが来ません。
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いつもと違う浅草

2008-04-26 | 上京編
 平成20年4月26日(土)

 入谷ふれあい市場前から「北めぐりん」と言う巡回バスに乗って浅草まで出ることにしました。100円均一という値段も嬉しい乗り物ですね。
 今回はいつもと違うところを歩いたり見たりすることにしました。お馴染みの雷門です。この底には彫り物があります。ソコまでは知らなかった!。知る人ぞ知る松下幸之助さんの寄進です。



 せっかく浅草まで行ったので、宝蔵門と五重塔の見える一枚を紹介します。



 この宝蔵門、本堂観音堂の東側の境内には参詣の人々があまり見向きもしない句碑などがひっそりと建っています。その幾つかを紹介します。人物・業績についてはリンクでご覧ください。
 初代市川猿翁の句碑です。



 久保田万太郎の句碑。俳句も読み取れます。



 川口松太郎の句碑。女優三益愛子の夫、俳優川口浩の父親としても知られています。左上の写真は今の浅草風景をセピアに仕上げてみました。



 これは才媛の誉れ高かった吉原の遊女・粧太夫の献碑です。柿本人麻呂のこの歌が万葉仮名で記されています。



 本堂の裏に回ると九代目・市川團十郎銅像がそそり立っています。迫力ある銅像です。





 花屋敷遊園地前を西に歩き、ひさご通りを右折し、しばらく行くと「江戸下町伝統工芸館・ギャラリー匠」があります。驚くことに年中無休、入場無料、写真撮影自由なのです。



 内部を一部紹介します。ここは一見の価値があります。お勧めです。



 今回の浅草紀行は人があまり行かないようなスポットをほんの少し紹介しました。4月15日の紀行です。首都圏紀行、まだまだ続きます(笑)。
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根岸を歩く (二) 終章

2008-04-20 | 上京編
 平成20年4月20日(日)

 15日は汗ばむ陽気でした。「笹の雪」の道路一つ隔てた向こうに台頭区立根岸小学校があります。小学校とは思えない校舎の壁面に「御行の松」のレリーフが豪快に飾られています。



 通りの一角に庚申塚があり花が手向けられていました。変わらぬ信仰の証でしょう。


 
 初代「御行の松」が安置されている不動尊です。現在の松は三代目だそうです。ここにも子規の句碑があります。

  松一本根岸の秋の姿かな  子規



 汗を拭き拭き歩きながら見かけた懐かしい感じのする店々です。福助せんべい店で醤油焼き、海苔巻きせんべいを買ってきました。


 
 路地裏です。



 小野照崎神社の富士塚です。



 最後は言問通りにある入谷鬼子母神です。子規の句。

   入谷から来る朝顔の車哉

 近くには「入谷朝顔発祥之地」「入谷乾山窯元之碑」が建っています。



 根岸探訪記はひとまず終わります。説明が冗長になりますので、要所はリンクさせていただきました。ご参照くださればありがたいです。
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根岸を歩く (一)

2008-04-18 | 上京編
 平成20年4月18日(金)

 子規庵のある根岸に行ってみたいと前々から思っていましたが、やっと実現しました。ひとり歩きです。山手線の鶯谷駅を降りると先ずびっくり。ラーメン屋さんの上に鳥居が乗っかっている光景が飛び込んできます。れきっとした「元三島神社」です。



 後ろから回ってみたら閑静な普通の神社でした。境内には正岡子規の句碑が建っていました。



 子規庵はひっそりとして、訪ねる人も少なくようでした。塀の貼付け画像は民家の至る所に掲示されていたものの一つです。



 八畳間でビデオを見て、子規が臥せっていた六畳の間で記帳をしました。展示の品々をじっくり見ました。35歳の若さで亡くなった偉大な足跡を垣間見ました。子規が病床から眺めたさほど広くない庭に降りて一回りしました。モンシロチョウが舞っていました。

  はるばると訪ねし庭に蝶の舞う   どんこ
 
 室内はもとより庭も撮影禁止で内部の画像をお届け出来ないのが残念です。

 次に落語家の林家三平ゆかりの三平堂へ行きました。水、土、日の三日間しか開放されず「どうもしません」との掲示がありました。



 昼は豆腐料理の老舗創業314年前と言う「笹乃雪」へ寄りました。ここでは豆腐を「豆富」と言っています。江戸で絹ごし豆腐を最初に作ったのもここだそうです。



 メニューにも子規の句がありました。この町は子規一色の感じです。私は「うぐいす御膳」と生ビールをいただきました。



 腹ごしらえも出来ました。もうしばらくあちこちと迷いながら歩き続けます。続きは、また次回へ・・・。
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赤坂サカス akasaka sacas

2008-04-17 | 上京編
 平成20年4月16日(水)

 13日、上京の翌日話題のTBS周辺のアカサカサカスへ行ってきました。今回は学校が始まっているのでチョロ・ツーは連れてきませんでした。こちらの孫二人が同行です。小雨交じりで肌寒い天気でした。
 赤坂駅からの玄関口には縦8m、横24mの「四季樹木図」(千住博作)が飾られています。陶板で出来ています。



 もうイベントもほとんど終わり、客足は多くはありませんでした。



 イベント広場です。



 ショッピングや食事が出来る店々が入っているBizタワーです。



 われわれはギネスブック認定の店、ベルギービールが売り物の「デリイウムカフェ レゼルブ」でランチを食べました。



 ランチメニューはパスタと肉料理の二種だけでしたのでこちらの肉料理にしました。



 まあまあでしたが、孫たちには今一のようでした。赤坂を後にして原宿ー新宿へ回ってきました。この3年で表参道ヒルズ、東京ミッドタウン、アカサカスのオープン時を訪ねたことになります。
「あんたももの好きですね」と言われます。間違いないので
「はい、好きですよね」と笑って答えています。
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みなと 横浜

2007-05-21 | 上京編
 平成19年5月21日(月)

 春の紀行は横浜編で締め括ります。
 万国橋は昭和15年(1940)に作られました。石橋と思っていたら、コンクリート橋でした。良く映画やテレビドラマで使われるそうで、ごく最近では「どんど晴れ」で夏美が女将になる決意をするシーンが映りました。今朝も映っていたようです。



 コスモワールド。右がチョロ・ワンで左がチョロ・ツーです。横浜へ来るとここで必ず遊びます。



 汽車道です。旧国鉄の廃線を生かして桜木町駅ー赤レンガ倉庫間の約500米の散歩道になっています。ちなみに下の娘は馬車道と呼ばれる所に住んでいます。



 ロイヤルウィング。一度はこの船で食べてみたいな。ロイヤルプランお二人様で250,000円です。ロールスロイスが自宅(横浜市内)まで送迎してくれるそうです。宝くじにでも当たらなければ・・・。高嶺の花です。



 大桟橋は好きな場所です。国際旅客船ターミナルでみなとみらい21方面と反対側のベイブリッジが一望できます。



 ジャンプ!有名ホテルよりも高く跳べたよ。



 こんな看板が見えました。早期解決は政治の力でしか出来ないはずです。



 追録:県立歴史博物館の屋上にあります。この塔が回転します。マンションの窓から見えるのでチョロ・ツーは夜が怖いと泊まりたがりません。







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牧水の滝・秩父仲見世通り・満願の湯

2007-05-15 | 上京編
 平成19年5月15日(火)

 一気に「秩父編」をしめくくります。お付き合いください。

 羊山公園から急な坂を下りていると「牧水の滝」という標識が見えました。人工の滝と言うことです。松戸の伊藤左千夫に次ぎ二つめの歌碑です。

   秩父町出はづれ来れば機をりのうた聲つゞく古りし家並
 
 大正9年(1920)、牧水が秩父町から妻恋峠を経て名栗へ向かう途中の光景を詠んだものです。まだ養蚕をしている各家々には機織機があり、機を織る音が聞こえていました。我が家でも終戦直後までは蚕を飼って、母が夜なべ仕事に機を織っていた記憶があります。



 小さな池には石橋もありました。


 
 牧水の滝からさらに西へ1キロ以上歩くと秩父仲見世戸通りです。西武秩父駅の前から百数十メートルぼ長さに立ち並ぶ商店街です。特産品、名物の品々が売られています。結構賑わっていました。



 帰りは埼玉県最大の湯量が自慢の名湯「満願の湯」で疲れを癒しました。浴槽は思っていたほど広くはなく、芋の子を洗うように混雑していました。



 枠内の写真は入口の前にある「長命泉」です。ご利益を願って一杯ずついただきました。
 数回に亘った秩父紀行、ご愛読ありがとうございました。春の旅紀行の総集編を最後にアップしたいと思っています。






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シバザクラの羊山公園

2007-05-13 | 上京編
 平成19年5月13日(日)

 これも4月5日の続きです。途中昼食のため「道の駅ちちぶ」に立ち寄りました。名水の誉れ高い「ちちぶの水」です。
 この水は大正13年、県下で初めて建設された橋立浄水場から引いたもので、荒川の源流・浦山川と武甲山の地下水が元になっているとのことでした。緩速濾過方式にこだわっているので美味しいと自慢の水です。無料で汲めます。



 シバザクラはまだ三分咲きでした。



 武甲山が間近に見えます。「山のてっぺんのところがノコギリのようになっているのはなぜ?」とチョロ・ツーが聞いたら、チョロ・ワンのパパが「セメントの元になる石を取ったあとだよ」と教えてくれました。
 まだ残雪が見えます。



 今でもこんなにきれいなのだから満開の時はすごいでしょうね。



 ちょっと小高いところから見下ろしてみました。見物の人も腰を下ろして眺めていました。



 この一帯は養蚕の盛んな所でした。「秩父一揆」の歴史上の闘いを武甲山は長い歳月、どんな気持ちでみつめてきたのでしょうか。農民一揆のことについては、ブログ仲間の縄文人さんの記事をご参照ください。私も更に理解を深めることが出来た内容でした。勝手ですがリンクさせていただきました。
 


 沿道にはまだあちこちに桑畑に桑の切り株が見られます。

 
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東京ミッドタウン

2007-05-11 | 上京編
 平成19年5月11日(金)

 オープンして間もない4月4日のお昼、話題のミッドタウンへひとりで出かけました。おう、おう着きました。「中央街」とは言わずに「ミッドタウン」と呼ぶのです。
 物好きで好奇心旺盛な人間のことを、熊本では「わさもん」と言っています。



 まだ桜が満開の頃でした。



 む、む・・さすがに東京の匂いがします。



 お上りさんらしく上から下を眺めやりました。私と同じ下を眺めている女性がいました。人間、似たような行動をするものですね。



 箸を売っているお店です。有名な老舗とか聞きました。



 こちらはバッグ類の店舗。高そうです。店の名はなぜか横文字が氾濫していました。



 タウン(「街」とは言いません)には芸術作品がいたるところに設置されています。これも「アートコーナー」とカタカナでした。
 フラグメントNo.5はフロリアン・クラール(独)の作品で外の芝生の庭にでんと設置されていました。HPには次のように紹介されています。

『月のパビリオンをテーマに、11個の基本パーツを組み合わせて制作されています。周囲の風景とは異なる、非日常的な空間を体験してもらえる作品です。この作品が長い年月を経て、周囲の環境の一部となり、自然の洞窟か未知の希少生物の化石のようになることを願っています。』

 “希少生物の化石のように”はならないと思いますが、当事者はマジメにそう願っているのでしょう。




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鎌倉紀行

2007-05-05 | 上京編
 平成19年5月5日(土)

 鎌倉へは3度目という中3の孫の曹操(ニックネーム)が私たち夫婦に同行してくれました。昨春は誘っても、どこへもついてこようとはしなかったのですが、中学生活にも慣れて余裕が出てきたせいだと密かにカミさんは喜んでいました。
 降りた鎌倉駅はすでに賑わっていました。



 行きはちょっと狭いですが「小町通り」を歩くことにしました。



 古都の観光地ならではの土産物店です。

 

 鶴岡八幡宮の本殿です。亀山上皇が奉納されたという品々などが展示されている鶴岡八幡宮宝物殿(有料)も見学しました。



 樹齢千年以上と言われる大イチョウ。三代将軍実朝を暗殺した公暁が隠れていた
と言う話が伝えられています。



 本殿を振り返ると外国人など参詣・見物の人でいっぱいでした。



 段葛(だんかずら)。頼朝が妻政子の安産を祈願して作らせた参道です。葛石で一段高くしたのでこういう呼び名が付いたそうです。桜並木が続いて見事。



 桜吹雪の若宮大路を歩き、駅まで戻りバスで大仏殿まで行きました。
 鎌倉のシンボルの大仏は浄土宗高徳院の阿弥陀如来像。高さは12.38m、総重量は121トン。



 鎌倉の大仏遠望。一角に与謝野晶子が詠んだ歌碑が立っています。帰りはバスを使わずあちこち眺めながら歩いて駅まで行きました。曹操得意の平家物語の暗誦を聞きながら・・・。

  鎌倉や御仏なれど釈迦牟尼は美男におわす夏木立かな



    【4月1日の記録。プライバシー保護のため写真は一部修正しています】
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帝釈天の彫刻・5月のポストカード

2007-05-01 | 上京編
 平成19年5月1日(火)

 柴又帝釈天に参詣して、是非見ていただきたい彫刻です。大人一人、わずか400円の観覧料でシックな由緒ある庭園共々見ることが出来ます。

 最初に紹介する彫刻は「塔供養の図」です。次のような説明がされています。





 次は「三者火宅の図」です。三者とは羊、鹿、牛が引く三つの車のことです。火宅は文字通り燃える家のこと。火宅の中で遊び戯れる子どものために父親が用意した車です。



 3番目が「慈雨等潤の図」です。仏の慈悲深い教えは地上を潤してくれる慈雨と同じだと言っています。天人もこの世に舞い降りてきています。

です。

 4番目はインドの洞窟で厳しい修行をする「法師の図」。象に乗った普賢菩薩が激励に来ています。




 五番目の「病即消滅の図」です。僧たちの敬虔な祈りがひしひしと伝わってきます。思わず襟を正したくなります。
 まだまだ素晴らしい彫刻の写真はたくさん撮っていますが、ひとまずこれで紹介を終わらせていただきます。



 これは大庭園(邃渓園・すいけいえん)の石橋です。これ以上は立入禁止で入ることが出来ませんでした。



 5月ポストカード。庭のケヤキ、桜、柿、桃、ツゲの新緑にベニカナメが彩りを添えています。




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