2024年(令和6年)9月10日(火)
16年前の2008年に生徒数減少で閉校した荒尾第五中学校の旧家庭科室に「廃校CAFE ANAN」が出来ていました。
「福岡市で飲食店や不動産業を営む牛島淳嗣さん(35)が22年に校舎を訪ねた際、「付近に食事ができる場所が少ない。飲食店が入ることで、入居に弾みがつくのではないか」と思い付いた。経営するお好み焼き店の店員だった喜瀬碧斗さん(23)を「校長(店長)」に抜てき。5月上旬から喜瀬さんが2カ月半かけて自身で室内を改装した。」(地元熊本日日新聞より)
その模様を喜瀬さんが毎日SNS発信、反響を呼んだようで土日のランチ時などには予約でいっぱいだそうです。料理の写真は拝借しました。
学校の体育館も残っています。
広い運動場は昔は「万田グランド」と称して、ノンプロ野球などの試合もあっていました。西側には炭坑社宅が建っていました。
かつて賑わっていた生徒の声もなく、静まりかえっていました。
学校の正門。昭和61年の看板も残っていました。いらっいらっしゃいませ、コメント欄はオープンです。
調べた、万田との地名、地図を開くと世界遺産旧万田坑施設が有りました。
炭鉱閉山で、廃校ですね。
了解しました。
廃校の自由を知りたかったのは、東京の我が町にも、近くにも廃校が有ります。小学校です。
これは昭和の中頃団地群がニョキニョキ建設され子供達も団地内に溢れるほど!!
その近くに小学校が出来ましたが団地は1代で居住者はお年寄りに、爺さんばあさんにだけに~~小学校は廃校と相成った。
東京には此のような廃校があちこちに!!
2,「廃校CAFE ANAN」大成功
➡廃校の『事由』 を知りたかったのは、東京の我が町にも
◎最近は行こうと言う言葉をあちこちで聞くもので➡児童数の減少
失礼しました・・・。
二中から 別れたんですよね。三小とどこかが一緒になったのかな?
炭鉱の歴史とともに 荒尾の学校は変わりましたね。
廃校の跡が レストランなんて いいですね。
きっと近隣の方の憩いの場所になるでしょう。
近くの団地で 廃校になったところがありますが そのままのようです。
第一回卒業生です。
一年生時は緑が丘にあった三中に通いました。
1クラス55人が10クラスあって、
教室が足りず、工作室を急遽教室にした
団塊の世代です。
2年次、二中からの生徒と一緒に五中創立。
昭和35年のことです。
写真の建物はその後新しく建て替えられたもの
でしょうか。手入れが行き届いていて、
とても綺麗に残っていて嬉しいです。
閉校になった五中にカフェ!
その名も「廃校カフェ」。
いいですねぇ。
近くに住んでいたら毎日でも通うのに。
五中時代の友人たちにこの記事を早速転送
いたします。
嬉しい情報をありがとうございました。
無くなってしまうよりは いいですね。
繁盛しますように・・
中学 というのは 一番懐かしいですよね。 校区内だから家族まで知ってるし・・
メニューも なかなか 美味しそうです。
天ぷらそば🦐 おねがいしまーす。
天領小学校になりました。
また不知火小学校も笹林小学校と合併して大牟田小学校に
なりました。
中学は市立の方に進学せず私立の方に進学したので詳しい
事は分かりませんが右京中学校は延命中学と合併して
宅峰
中学と名前が変わりました。
今は廃校になった不知火小学校の跡地は市民会館が建って
います。
延命中学の跡地は延命動物園の駐車場となっています。
市の人口が減って行けば学校の統廃合は致し方がありませんね。
こんな立派な学校の建物があって廃校は寂しいです・・・
その学校の建物が素敵なカフェになってとても嬉しい事ですね👏
メニューも美味しそうです!
近かったら私もランチにお邪魔したいです
きっと地域の皆さんの憩いの場になることでしょう♪
どんこさん、今日のランチは何にしましょうか?!
荒尾市の人口は40年ほど前は6万1千人を超えていました
今は4万人そこそこです。
地方都市は軒並み人口減少、その一環で
本市の中学校も5校あったのが今は3校のみです。
東京も廃校されているのですか?
一極集中で、人口は増えているのに
子どもの数は減っているのでしょうかね・・・。
廃校CAFEは繁盛しているようですよ。
確か、三小、四小が校区になったと思います。
今は両校とも廃校になり、建物だけが残っています。
残った校舎を生かしたCAFEはすごいですね。
あまり目立たない所にあるのに
繁盛していると聞いて、正直驚いています。
SNSやFacebookの影響は大きいですね。
三中がまで通われていたのですか。
スクリールバスなどない時代、大変だったことでしょうね。
昭和35年と言えば、私が大学を卒業した年です。
平成2.3年頃はまだ旧校舎でした。生徒数が百を切る予想でしたので
建て替えには慎重意見が多かったのですが当時の市長が地元に押し切られたと記憶しています。
こういう形で脚光を浴びて、蘇ることは素晴らしいですね。