2024年(令和6年)8月8日(木)
7月下旬の荒尾干潟です。子どもが自転車で走っています。
干潟で遊ぶ二人連れの姿がありました。
荒尾干潟水鳥・湿地センター主催のテーラー乗車体験です。
ボランティアガイドの案内で干潟の生き物の勉強をします。
別の日、8月初め、まが海岸の瓦礫などが散乱していました。
松林です。
駐車場には食事などを売る移動車がいましたが、暑さのせいか客はなく閑散としていました。
夕方の荒尾干潟。ここにも人影はありませんでした。いらっいらっしゃいませ、コメント欄はオープンです。
幌馬車隊も二台くわわり (縄)
東京と言うところに居りますと、この様な光景は見たくとも見られず、貴重な画像、
いつも感謝です!!
荒尾干潟の幌馬車隊に、八十路を過ぎた爺さんも、
どんなものかと乗り心地、乗ってみたいな・・・・。
我が家は高層なので揺れましたよ。
さて 荒尾干潟 広くて線を引いたみたいに 縞模様になっていますね。
素晴らしい景色 素晴らしい写真
テーラー乗車体験・・・いいなぁ~ 乗ってみたいです。
夕方ウオーキングがてらお買い物に行ってましたら
宮崎で大きな地震があり驚きました!
そちら熊本では大丈夫でしたか?
東南海地震に影響しているかと思うと本当に怖いですね
荒尾干潟水鳥・湿地センター主催のテーラー乗車体験、良いことですね〜👏
私も乗ってみたいです
そして海辺の生物のこと等色々も聞いてみたいですね
車は三池海水浴場めがけて走ります。
車を降りて砂浜を歩いてみます。
ジョリジョリと靴が砂浜にめり込んで・・・
あ~子供のころを思い出します。
なつ休みに家族で行った三池海水浴場。
裸足で歩いた砂浜の熱かったこと、ピョンピョンと裸足で走り回りました。
次女がカメラをかまえました・・・
夕日に沈む有明海、連なる雲仙の山影もみえました。
余りの暑さに 荒尾干潟の人影も少ないですね。
空の青さがとってもきれいです。我が家のあたりはこんなに青い日は余りありません。
一番下の 夕方の干潟の写真いいですね。好きな写真です。
昨日の宮崎の地震、荒尾も結構揺れたのではありませんか?
また起きないよう願ってます。
数年前までは良く荒尾干潟へ行き海を
見ていました。
荒尾干潟には瓦礫がたくさん散乱しているとか、
以前はきれいな砂浜だったのを思い出します。
風の音にぞおどろかれぬる 藤原敏行
この頃の暑さは平均で5℃くらい低かったいう説があります。
今より涼しかったのは確かなようですよね。
テーラー乗車,いらっしゃいませんか、予約しますよ。
テレビや携帯の地震情報の音にもびっくりしました。
こちらは震度3だったそうです。
暑さを除けば荒尾干潟、素敵なところでしょう。
テーラー乗車体験、縄文人さんと一緒にいかがですか。
大歓迎ですよ。
どんと音がして結構揺れましたよ。
テレビとスマホの緊急地震速報の音も
尋常ならぬ音がして、こっちの方にもびっくりでした。
テーラーにはセンターで用意されている長靴に履き替えて乗ります。
乗車してから10分くらいのところで降りて
干潟の生き物などの観察を楽しむのです。
親子連れに人気がありますよ。
次女さん、いい写真が撮れたことでしょう。
三池海水浴場も荒尾海水浴場も
全盛期は賑わっていましたよね。
荒尾海水浴場にはパチンコ屋やダンスホールもありましたよ。
南荒尾駅は大混雑で、積み残し客も多かったですよ。
マイカーなどない時代でしたからね・・・。
県境や大牟田の方でも空を汚す煙突の煙は吹き出てません。
工場からの汚水も今は流れていないようです。
青い空と青い水は宝物ですよね。
夕暮れの写真、スマホの広角で撮りました。
荒尾は震度3の揺れでした。震度3でも結構揺れますよね。
余震も続いるのかな。お互い気をつけましょうね。
荒尾干潟へも回ってきてくださいね。
荒尾干潟水鳥・湿地センターの職員さんの話だと
秋の渡り鳥たちがそろそろやってきているそうですよ。
予算がないのか、瓦礫はそのままになっているようです。
夏の有明海の風景は70年前の私が子供の頃とは
変わりましたね。
昔、海水浴場があって、海の家が並んで
おりました。
水着姿で海に入るまでの間に足の裏を
貝の殻で切った痛さは今も覚えています。
車もない時代のことです、どうやっていったのか
さえ覚えてません(笑)。
万事おおらかで、自分たちが貧しいなんて
まったく思っていませんでした。
市営バスが運行し始めたのが昭和24年(1945)
有明海水浴場(当時の名称・後に荒尾海水浴場と改称)の開設が昭和25年(1946)ですから
多分、市営バスを乗り継がれてこられたのでは?
裸足で砂浜を走り回っていましたが
ケガをした記憶はありませんね。足の裏も厚かったのでしょうね(笑)。
若い頃の”ばってん荒川”さんが砂浜の仮設の舞台で歌を歌いながら、皆を笑わせたことを覚えています。