2024年(令和6年)5月28日(火)
5月15日と10月15日はお隣の長洲町の長洲祭です。子どもの頃は春と秋、お小遣いを貰って徒歩40分もかけて良く行っていました。カレンダーを見てふっと行きたくなりました。露店がほんの少し出ています。
農具売りの屋台が昔はひしめき合っていました。この日は1軒だけ出ていました。
猫も退屈そう・・・。
神社から正面入口を眺めました。昼前です。学校が終わってから子どもたちが寄ってくるでしょうか?。
表通りも閑散としていました。昔はこの道の両側も露店でいっぱいでした。さびれている長洲祭でした。
寒い1月には裸祭りで有名な「的ばかい」が催され、こちらは今も賑わっています。
また孫娘のNanaがチョコレートパンを作ってきてくれました。いらっいらっしゃいませ、コメント欄はオープンです。
幼い時やはりこのような環境で、ワッショイワッショイしながら祭りというものを味わいました。
・・・・がしかし、東京は、
「フリマ祭り」「西小岩祭り」成る祭りを1週間のうちに2回見させてもらいました。
道路を遮り、歩道に露天、屋台が出て祭りを賑やかにしていた。
どちらが良い悪いというので中やはり田舎と、東京ではこの様に違うのかと・・・・・、感じました。
長洲入ったことあるけど 知りませんでした。
的ばかい のほうは ずっとあったんですね。
勇壮なお祭りですね。
腰椎骨折してくすぶっていましたが 少しずつ復帰しています。
祭りに滅多には行けませんでしたが、親に連れられて行ったこくんどさんを思い出しました
長洲祭りちょっと寂しいですね
Nanaさんのパン
美味しそう
凄いです
そちらの雨はいかがでしょうか?
子供の頃のお祭りはとても楽しみでしたよね♪
お祭りに行けて色んな事を想い出された事でしょう
今も続いているだけでも凄いことだと思います👏
そちらの学校の廃校の事をテレビで観たばかりです
寂しさもひとしおですが時代と共に環境も変わって行くのですね・・・
的ばかい・・・聞いたことがありますが 長洲は遠くいったことがありません。
懐かしく長洲祭りを楽しまれたことでしょう。
お孫さんのパンはどんどん進化してますね。
いただきたいですね。
都会はお祭りでなくても
人々が集い、賑わっていますよね。
田舎は祭であってもたまに見かけるのは
おじいさんとおばあさんばかり・・・。
”よいしょ こら どっこい”!と
どんこも馳せ参じたしだいです。
いやいや再開されたのではなく、細々と続いていたようですよ。
農業が盛んな時期は、春、秋のこの祭は
鍬、鎌、ザルなど農具を求める人々でごった返していました。
農業離れ、老齢化、休耕田の増加、ああ無情ですよね。
南の長洲祭、北のこくんどさん、
子どもの頃は欠かさず行ったものです。
お小遣いの硬貨を握りしめて
何を買おうかと、物色するのも楽しいものでした。
がまの油売りや女相撲もありましたよ。
結構降りましたが、被害が出るほどではありませんでした。
このところ日照り続きでしたので、まあ恵みの雨でした。
朝夕の水やりからは解放されて、ホッとしています。
祭が細々と続いていることはありがたいことです。
長洲中は町の北外れ、中心部にある腹栄中と統合して新たな”長洲中”として発足しました。
あの番組、私も見ましたよ。
的ばかいは県外や外国からも応援に駆けつけて
若者不足の町をフォローして賑わっていますよ。
神社のそばに住んでいた高校の同級生も亡くなり、
神社の裏の小学校の先生のお宅や、遠縁の家もどこにあるのか変貌していて見つけられませんでした。