2020年(令和2年)6月12日(金)
この記事を竹馬の友・故松尾誠志君に捧げます。松尾君とは同じ小学校、中学校で学び、終戦後の混乱期を野球を通じて仲良くなりました。彼は明治大学を卒業後家業の豆腐屋を継ぎ、奥様共々仕事に精励、二人の息子さんを立派に育てました。ご長男は医師となりレディースクリニックの院長、次男さんは事務長として活躍しています。二人とも中学時代の私の教え子です。
松尾君は馬主となり西城秀樹にちなんだヒデキと言う名の馬は駿馬でした。その後も数頭の馬を持っていました。彼のツテでいつも2階の特別席から楽しむことが出来ました。
荒尾競馬最後の日も彼と一緒でした。この日は肥後赤牛のステーキなどが無料で振る舞われ、長い行列が出来ていました。
最後の日とあって、前回の武豊騎手の来場と同様テレビ局も取材に大忙しでした。
馬券売り場もご覧の状況でした。
何でもそうですが最終日には人が押しかけてくるものです。パドックも人だかりです。
大勢の観衆です。
2階の特別席です。
この姿もきょうが最後です。
向こうは場外の取り付け道路。
青い海が西に広がっています。
荒尾競馬終焉のセレモニーです。
数年前、松尾君が亡くなった時、友人代表として弔辞を読ませていただきました。いつも彼が言っていた「オレ、競馬は自分お小遣い銭の範囲でやっている。店の金には一切手を付けない」と言う話を紹介しました。葬儀が終わって二人の息子さんがやってきて「センセイ、見事親父からだまされてましたね。おふくろはいつもこぼしていましたよ。」と耳打ちしました。私は今も彼を折に触れてなつかしく思い出しています。
・ どんこさん特別席は競馬場
恩師と生徒どんな話や (縄)
冠・言葉「さらば海の見える競馬場よ」12文字
いいですね!!
ドンコさんが、「海の見える競馬場」にて特別席、
おどろ木、モモノ木、サンショウの木
さぞかし万馬券が・・・・・・・!?
社会見学、実践編と言うことでしょう。
≫葬儀が終わって二人の息子さんがやってきて「センセイ、見事親父からだまされてましたね。おふくろはいつもこぼしていましたよ。」と耳打ちしました。
馬のことで喧嘩になっても、豆腐が飛び交う程度では大したことはない、傷は出来ない良かった良かった。
竹馬の友・故松尾誠志さんに合掌。
、
本当に キャッチフレーズ通り海が見えて 馬券買わなくても・・・
名残を楽しむ大勢の人が主役ですね。
武豊騎手がセレモニーに花を添えた。
そういえば 以前、小倉競馬に武豊騎手が来たという記事
をどんこさんのブログで見たことを思い出しましたたよ。
東京アラート とやらが解除され もうすぐ自由
北九州市も何とか落ち着いた・・・かもしれません。
おはようございます~♪
どんこさんは、特別席で観戦されていたのですか?
凄いですね~お小遣いで足りてました?
私は競馬場には行ったことがないのですが、馬は綺麗ですね~美しいです。
岡山にもかつて後楽園の近くに競馬場があったらしいのですが、私はしりません。
近くに岡大の農学部を出られて競走馬の調教をされていたお家がありましたが・・・
竹馬の友との想い出をこうして記録に残されるのはいいですね!
松尾様の息子さんたちもお喜びのことでしょう。
荒尾競馬場最後の様子テレビで見た記憶が有ります
競馬には全く縁が有りませんでしたがそれでもなんだか寂しい気がしました
最後となれば人出も多くなりますね盛況でしたね
ご親友との特別なかかわりで特別席で観戦されていたんですね
馬の全力疾走の姿良いですね
迫力ありますね
荒尾競馬どんこさんには親友との特別な思い出も重なるんですね
いつも松尾君の顔で、無料で入っていましたよ。
入口のガードマンにちょいと手を上げるだけでパスでした!
ところが馬券、ここではほとんど負けでしたね。
大勝ちの記憶は全くありません。{/kaeru_shock1/
}松尾君の奥さんとは地区のグランドゴルフでたまに顔を合わせていますよ。
息子の院長さんは大会にはスポンサーになってくれています。
仲良く梅雨入りしましたね。
いいネーミングで親しまれていました・・・。
そう言えばわが家も「海の見える草庵」ですね。
全く走路などが埋め立てられた現状を見ると
しばし”強者どもが夢の跡”という感慨に浸ります。
女性騎手の大半は佐賀競馬場などに移籍したようですが
男性騎手や厩舎の従業員の大半は引退したり
転業に追い込まれたと聞いています。
どうして「警報」と言わずに「アラート」と使うのですかね。
コロナ以降、あたカタカナ表記が増えたようですね。
はい、馬券は小遣い銭の範囲で、家のカネには
絶対手を出していませんでしたよ。
これ、誰か弔辞で読んでくれないかな。
確かに!岡山にも競馬場があったと検索したら出てきました。
九州では大分の中津競馬もなくなっています。
今は中央競馬・小倉競馬、地方競馬・佐賀競馬のみです。
小倉競馬場へは行きましたが
近くの佐賀競馬には言ったことがありません。
以前は腹巻きのおっちゃんたちがいて
ちょっと雰囲気も悪かったのですが
近年はレジャー化して親子連れや
若いカップルなども増えていて、雰囲気も良くなっていました。
荒尾競馬は亡き祖父とも良く出かけたし
こうして最後の日は親しい友人と楽しむことも出来て
ラッキーでしたよ。
梅雨入りで 荒尾も雨でしょうか。こちらも夕べから降っています。
竹馬の友 松尾さんはいいお友達だったのですね。
立派に成長された息子さんたちがどんこさんの教え子とは 深い縁。
これでは荒尾競馬場へは 顔パスですね。
競馬は ギャンブルの中でも頭と体を使うと思います。歩数は結構行きますよね。
懐かしい思い出をお分けしていただきありがとうございました。
夕方から雨脚が強くなり、雷鳴も響いていますよ。
中学生の頃は早く遊びたいために、運搬用自転車で豆腐の配達を手伝ったこともあります。
でこぼこ道を長洲まで配達していました。
豆腐が壊れないように気を使ったものです。
早く配達できてから、一緒に野球をしていましたね。
松尾君がくれた2006年12月24日第51回有馬記念の単勝4⃣ディープインパクトの馬券は
今も手元にありますよ。もちろん武豊騎乗、で配当は120円でした。換金していません。