2歳8ヵ月の愛息は、最近日に日に大人びて、いわゆる反抗的な態度を見せるようになってきました。「いけない」と言われているのに、図書館から借りてきた本の上に故意に乗ったりして、大人の反応を見るのです。
先日、私の留守中にこんなことがあったそうです。
プラレールのレールのはめ込みが上手く出来ないからと、愛息は、そのレールをテレビに投げつけました。前々から「物を投げちゃいけないよ。物だって『痛い痛い』って言ってるよ」と言い聞かせてきました。しかし、今回はその投げ方も尋常ではなかったため、ついにママの堪忍袋の緒が切れて、引っ叩いたとのこと。息子は、大声で泣き、いつもは優しいママの変わりように、咽び泣いたそうです。
ママはその後すぐ、なぜ引っ叩いたかをきちんと説明し、息子も納得して、叩かれたか理由を理解してくれたそうです。
教育と体罰は違います。自分の子供なら、手をあげる時があって然るべきです。なぜなら、それが家庭での教育だからです。しかし、そこには手をあげるに至る過程と理由がなければなりません。さもなくば虐待になります。やりすぎても虐待、しかし、やらなければ子供になめられて、我がままに育ってしまいます。
子供は説明すれば必ず分かってくれます。つまり、ただ手をあげるのではなく、そこにはコミュニケーションが必要なのです。その説明=コミュニケーションが往往にして欠如してしまうため、子供達は訳もなく叩かれたと思い、さらに反抗的な態度をとっていくのです。
さて、その日の就寝時、ママは息子に「今日は叩いちゃってごめんね。でもママはあなたのことを思って、怒ったんだよ」と言って、息子と笑顔でキスをして寝たとのこと。
ママにしてみても、人を引っ叩くのは人生で初めて。息子以上にママの方が心に痛手を負ったことでしょう。
翌日、ママが床においてあった本の片隅を少し踏んでしまいました。すると、息子は「本の上に乗っちゃいけないんだよ」と一言。わずか一晩で成長した息子を見て、親も一歩成長できたかなと思う出来事でした。
先日、私の留守中にこんなことがあったそうです。
プラレールのレールのはめ込みが上手く出来ないからと、愛息は、そのレールをテレビに投げつけました。前々から「物を投げちゃいけないよ。物だって『痛い痛い』って言ってるよ」と言い聞かせてきました。しかし、今回はその投げ方も尋常ではなかったため、ついにママの堪忍袋の緒が切れて、引っ叩いたとのこと。息子は、大声で泣き、いつもは優しいママの変わりように、咽び泣いたそうです。
ママはその後すぐ、なぜ引っ叩いたかをきちんと説明し、息子も納得して、叩かれたか理由を理解してくれたそうです。
教育と体罰は違います。自分の子供なら、手をあげる時があって然るべきです。なぜなら、それが家庭での教育だからです。しかし、そこには手をあげるに至る過程と理由がなければなりません。さもなくば虐待になります。やりすぎても虐待、しかし、やらなければ子供になめられて、我がままに育ってしまいます。
子供は説明すれば必ず分かってくれます。つまり、ただ手をあげるのではなく、そこにはコミュニケーションが必要なのです。その説明=コミュニケーションが往往にして欠如してしまうため、子供達は訳もなく叩かれたと思い、さらに反抗的な態度をとっていくのです。
さて、その日の就寝時、ママは息子に「今日は叩いちゃってごめんね。でもママはあなたのことを思って、怒ったんだよ」と言って、息子と笑顔でキスをして寝たとのこと。
ママにしてみても、人を引っ叩くのは人生で初めて。息子以上にママの方が心に痛手を負ったことでしょう。
翌日、ママが床においてあった本の片隅を少し踏んでしまいました。すると、息子は「本の上に乗っちゃいけないんだよ」と一言。わずか一晩で成長した息子を見て、親も一歩成長できたかなと思う出来事でした。