岩海岸正面が建設現場
山あり、海あり、歴史あり、美しい景観のある真鶴町がバブルのころ、リゾートマンションの攻撃を受け、なんとか自分たちの町を守りたいと作ったのが「真鶴町まちづくり条例」(美の基準)だった。10年余り前のことである。経過は「合併問題①」に書いてある。
「まちづくり条例」は国の内外から高く評価され、国土交通省のお墨付き、中国語や韓国語にも訳され、公民の教科書にも取り上げれている。国も建築基準法だけでは地方の美しい景観や地域の特性は守れないと去年景観法を成立させている。
その施行までの隙間を縫うようにして、真鶴町岩海岸に赤浜マンション計画が県に申請され、確認が行われてしまった。
この赤浜マンションはまちづくり条例が出来る以前、宅地指導要綱しかなかったときに確認を受けたものであるが、その後なにもせずに放りっぱなしだった土地である。建設者の環境企画設計の山崎進社長は、その間社名を三回も変更している。専門用語ではねぎりもしていないのだからと、赤浜マンションの建設は、町は新規事業だとまちづくり条例を遵守することを求めたが、事業者はこれに従わず、県に確認申請を出し、確認を受けた。町への説明も、地域住民へ説明も、どういう建物ができるのかも知らされなかった。
去年16年5月24日、まちづくり条例に基づく届出書が環境企画設計から真鶴町に提出された。その時14項目が協議された。13項目は合意できたがただ1点、高さ制限、条例では10mのところ22mを主張する業者と同意ができなかった。当然のことである。
そこで町は「まちづくり条例」に従って、10月15日、住民公聴会の開催を決め、公告した。ところが10月19日、山崎側は計画取りやめの文書を町に提出した。したがって、10月28日、町は公聴会中止の公告を出した。ところが11月9日、県に確認申請書を提出。それを知って、住民たちはそれぞれに県知事に町と協議することを求めるようにと嘆願書を送った。県からは言い逃れのような回答を貰った。
ヤマザキのいうように町との協議は必要ないと考えるなら、なぜ町に申請書を出したのだろうか。また計画取りやめの文書を出したのだろうか。
12月3日、県は確認済証を交付。平たく言えば、許可を与えてしまったのである。小田原土木に抗議したのはいうまでもない。公聴会の中止をした町が再び公聴会を再開することはできない、町民からの要請なら開くことができる。そこで町民の署名をつけて町に公聴会開催を求める文書を提出した。かくして1月30日、条例にもとづく初めての公聴会が開かれることになった。
縦覧に行くと、県に申請が出されたので、町には設計図は渡されていない。簡単な概要しか見ることは出来なかった。県に設計図の公開を求めると、秘密事項だからと設計図は町にもよこさなかった。そこで知り合いの県会議員に情報公開の今、なぜ設計図が公開できないのか、聞いてもらった。設計図には著作権があるので公開できない、公開後盗賊の原因になるかもしれないから公開後できない、というのが県の回答だった。まさか、細かい設計図をほしいと言っているのではない。外観のわかる立面図がほしいのだけなのだ。町に公聴会までに建築主に提供するように求めてくれと言っておいた。おかしな話だが、どういう建物ができるか わからずじまいの意見書提出となった。意見書は出しても、抽象論でしかない。
30日15時から、真鶴町まちづくり条例に基づく公聴会が行われた。意見書提出者は7人。立面図は山崎社長が提供してくれ、はじめて全体図にお目にかかることとなった。会の進行の打ち合わせのとき、事業者が説明するから40分必要と言ったが、30分にしてもらった。
まず経過の説明が町からあり、7人の提出者が次々と意見を述べた。7人とも建設には反対の意見であった。つづいて山崎の説明となった。当然今回のマンション建設計画が知らされるものだと思っていた。ところが秘書に読み上げさせたものは、なんと法律論に終始し、「真鶴町のまちづくり条例は憲法違反、自治法違反、等々法律違反、お願いします、のパンフレットにすぎない、だから遵守する必要はない」と開き直った。計画は変更しない、そんなに大事なところだったら、町が買っておけばよかったのだ、地域住民に温かく迎えてもらわなくてもいい、コミュニティはマンションの住民同士が交流すればいい、同じマンション内でも各階でコミュニティを作るのが現実、それでも地域に配慮したから、この規模にしたんだ、でなければもっと巨大な物をつくるとうそぶいた。つくって売れば、後のことなんか知らない、という儲けそれだけの姿勢である。水も自分のところに井戸はあるが、将来住民が真鶴町の上水を使いたいと言うかもしれない、だから確約できないと。一見理論的なようだが、考えると論理に合っていない、矛盾がいっぱいある。こんな悪質な業者は初めてだ。
さて、問題はいっぱいある。先ず、条例を憲法違反と決め付けられては、地方はまったくならず者に支配されてしまうことになる。条例はどこでも自分たちの愛する町を守るために力をあわせて作り上げているものである。憲法や自治法違反というなら、なんで省庁がお墨付きを与えるのか。地方自治は発展させなければならないもので、後退させてはならないものだ。その根幹に住民がある。国があって、国民がいるのではない。憲法の精神は主権在民だ。住民があって、国があるのだ。