何十年と使い慣れていた万年筆のインクの出が悪くなって、もう数年になる。メーカー品だから、修理に出せば直してくれるのは分かっているが、もういい、とそのままにしてある。
万年筆を使かわなくなってのしわ寄せは、手紙を書かなくなってしまったことだ。メモは水性ペンを使っているし、書類などはボールペンの方が役に立つ。連絡もほとんどメールで送っている。第一、漢字を忘れてしまっているので、書くたびに辞書をひかなければならない。その点、ワードなら変換してくれるから、もっとも誤変換が多くてそれなりに苦労はしているが、度の強い眼鏡をかけて辞書を引くよりは楽だ。そんな調子だから、万年筆は要らないだろうと思うと、さにあらずで不便している。
同世代の仲間で、PCをやっている人は少ない。だから仲間からは、まめに自筆のお便りをいただく。電話でごまかしてしまうこともあるが、やはり自筆の返事が出したい。そうなると、水性ペンやボールペンでは味気ない。字には結構、こだわりがある。私は和紙の便せんにブルーブラックのインキが少し滲んだ筆跡が好きなのだ。大きな文字なら筆でもいいのだが、小さな文字となると、ペンの方がいい。
そんなこともあって、手紙を書かなければと思いつつ、ずっと失礼し続けてきた。今年、珍しく水性ペンで手紙を書いた。必要にせまられてではあるが、見た目、美しくない、とぶすぶすぼやいている。もっとも眼鏡をかけて書いていながら自分の字が見えないのには驚いた。ほんとに視力が落ちているんだな。