安倍晋三の歴史認識

2006-03-26 06:38:16 | Weblog


 06年2月14日の衆議院予算委員会で民主党の前代表岡田克也氏が、「60年前の戦争責任は誰が負うべきなのか」を、「『ポスト小泉』有力候補の麻生外相、安倍官房長官、谷垣財務相の3人に投げかけた」(06.2.15.朝日朝刊)そうだ。その主旨は「『次のリーダーの歴史認識を問う』狙いだった」と記している。

「戦争責任は誰が負うべきなのか」

 安倍氏の答弁は、「連合国との関係では、極東軍事法廷(東京裁判)でそれぞれA級、B級、C級(戦犯)の方々が裁かれ、責任を取った。それは明確だ」――

 「連合国との関係では」ということは、インドネシア現地でのオランダや中華民国といった対戦国現地での裁判を含めずに、メインたる東京裁判に限った結末を語ったものだろう。「連合国」の告発を受け、裁かれたことで「A級、B級、C級(戦犯)の方々が」「責任を取った」。

 これは事実の経緯を発言したまでで、安倍氏本人の認識とは異なる。問題は「連合国との関係」と「責任を取った」との間の因果性をどう捉えているかであろう。

 そのことは次の安倍氏の答の中から窺うことができる。

 「サンフランシスコ条約で東京裁判を受諾してことについて『その結果、冤罪の人もいたかもしれないが、B,C級で獄中で亡くなった方もいた。しかし、受入れなければ独立を果たせなかった。苦渋の判断の上に我々の現在がある』」

 「冤罪の人もいたかもしれない」は憶測の域を出ない物言いだとすることができるが、単なる推測ではなく、気持の上では確信にウエイトを置いた〝憶測〟と言うことだろう。

 いずれにしても憶測であることによって誰が「冤罪」か特定することが不可能であるために、そのことによって裁判全体の正当性への疑義とすることができる。

 もしも特定できたなら、その者の裁判は不当だと訴えることはできても、冤罪が比較的多数を占めない限り、全体の裁判まで不当とすることはできないばかりか、逆に全体的な正当性を認めることになりかねない。

 いわば安倍氏は「冤罪」を憶測することで、裁判の正当性に疑義を与えている。――もっとはっきり言うなら、裁判は不当なものだと見ているということだろう。安倍氏の心情は憶測を基点として、すべての被告を「冤罪」としたい衝動を蠢かせているのである。

 それと同じ文脈で、「B,C級で獄中で亡くなった方もいた」という発言を読まなければならない。「獄中で亡くな」るのは一般的にもあることで、そのこと自体は批判の対象にはならない。「獄中で亡くなった」「B,C級」に「冤罪の人もいたかもしれない」可能性を関連付けると、裁判の不当性をより強く印象づけることができて、安倍氏が望む〝文脈〟に寄り添わせることが可能となる。

 以上が安倍氏の「東京裁判」に関する正直な認識であり、正直な歴史認識といったところだろう。

 それにしても日本人全体が何らかの形で負わなければならなかった戦争に対する責任を、「連合国との関係」に限った「A級、B級、C級(戦犯)」の命運のみで片付けている安倍氏の感覚は見事なまでに侘しい心の風景とは言えないだろうか。

 安倍氏の認識は一人安倍氏自身限ったものではなく、多くの日本人の心を占めている。その根拠となっている立脚点は、1955(昭和30)年7月19日の衆議院本会議で行われた「戦争受刑者の即時釈放要請に関する決議」の趣旨説明で言っているところの、「戦勝国の一方的な戦争裁判なるものが果して国際法理論上正当なものであるか疑問だ」といった主張だったり、「平和に対する罪とか人道に対する罪とかは当時の国際法上準拠すべき法律は何もなく、刑事法上の遡及(「法律や法律要件の効力が、法律の施行や法律要件の成立以前に遡って及ぶこと」・『大辞林』)、すなわち事後法であって」、それらの罪状の設置自体、謂れがないといった主張であろう。

 このことは同じ衆議院本会議での岡田氏の質問と安倍氏等の答弁の模様を伝えた別の朝日の記事(「時時刻刻 戦争総括「小泉後」は 有力閣僚、「侵略」には留保も 『歴史家の判断待つ』」06年2月22日朝刊)の、「『まさに戦勝国によって裁かれた点において責任を取らされた』と述べ」ている安倍氏の言葉に最も集約的に表れている。連合国が戦勝国の力でそう仕向けた裁きであり、「冤罪」に過ぎない。しかし、「受入れなければ独立を果たせなかった」から、自分たちの思いを曲げてまでして、仕方なく受入れた。独立獲得のための背に腹は代えられない代償であったというわけである。

 しかし、この答弁を裏返すと、「戦勝国によって裁かれ」なかったら、誰がどう「裁」き、どう「責任を取」ったかという問題が生じる。それがなかったなら、全体として「戦勝国によって裁」き・裁かれること自体に矛盾はあっただろうか。

 あるいは連合国による裁判の存在自体が否定されるべきだとの主張を正しいこととして受入れたとしても、軍属も含めた日本軍の兵士約230万人、日本の民間人約70万人、アメリカ兵約9万人、それに他の連合国が約17万人といったそれぞれの死者と、中国、朝鮮のアジア各国の軍民合せて少なく見積もっても2000万人の死者を出し、内外の国土を破壊し、荒廃させた戦争は、例えそれが欧米列強と伍して生きていくために日本に残された唯一の方策であったとしても、日本が引金を引いて誘い出した結末である事実は否定することはできず、その事実に付随して発生する責任は当然負わなければならない。日本政府は日本国民を除いて外に対しては、確かに北朝鮮を除いて、金銭的賠償を済ませた。

 その線上で戦争責任の遂行を終わりとした。極東軍事裁判(東京裁判)の結果受諾は「連合国との関係」で生じた強制された「責任」遂行に過ぎない。

 なぜあのような戦争になったのか。なぜあのような残虐行為ができたのか。虐殺・虐待、人体実験等々――少なくとも日本人自身が自らが起こした戦争と戦争行為に対して、日本人自らが裁くことはしなかった。日本人自らが検証することはしなかった。

 東京裁判がなかったなら、果たして戦争責任を追及する日本人自身の手による法廷を設置しただろうか。戦争を検証するための何らかの機会を設けただろうか。一切設けはしなかっただろう。そのことの証明に、「歴史家の判断を待つ」、あるいは歴史の問題は後世の学問に委ねると言うばかりである先延ばしを当てることができる。

 ドイツは連合国によるニュルンベルク裁判と被占領地域に於ける各占領国による裁判以外に、ドイツ自らが各種戦争裁判を設けて、戦争犯罪者を裁き、教育その他を通じて、戦争の検証・総括を行っている。 

 極東軍事裁判を不当とする議論はあっても、そういった議論をする側から、日本人自身の手で検証しよう、検証すべきだと主張する意見は存在しない。このことは〝戦争〟を検証の対象とはしていないからに他ならない。対象とはしないと言うことは、間違った戦争ではない見ているからだろう。警察が取調べの対象に犯罪の容疑がないと見ている人間を除くのと同じ構図である。そこから、『時時刻刻』の見出しにある「『侵略』には留保も」という認識が出てくる。

 最初の記事で、「一方で麻生、安倍両氏は、95年の村山談話、昨年4月の小泉首相演説に触れ、アジア諸国に『痛切なる反省と心からのお詫びの気持を表明する』との政府見解を繰返した」と出ているが、自らが戦争を検証しないで、ときには、侵略戦争ではなかったといった否定発言、あるいはべてが侵略戦争とは言い切れないといった「留保」発言が跡を絶たない状況と東京裁判に対する「冤罪」レベルの認識を考え併せると、「痛切なる反省と心からのお詫びの気持」は、東京裁判が「独立を果た」すための止むを得ない選択であったのと同じく、そのように「表明」するしかない止むを得ない選択に過ぎないのは明らかである。いわば気持(認識)とは裏腹に使い分けていると言うことだろう。

 使い分けた戦争認識だからこそ、安倍氏は、靖国神社は「次の世代の総理も当然参拝すべきだ」などと言える。もし安倍氏が次の「総理」となった場合、一度口にしたことは守るべきで、「当然参拝すべき」だろう。その結果に対しては、勿論、安倍氏自身が責任を負わなければならない。

 「市民ひとりひとり」

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