麻生の「カネがねえなら、結婚しない方がいい」発言に見る“若者理解度”

2009-08-25 08:52:29 | Weblog

 昨24日(09年8月)の「スポニチ」記事――《麻生首相「金がないなら結婚するな」発言》が次のようなことを伝えている。

 日本の偉大なる麻生首相が学生主催イベント「ちょっと聞いていい会」に出席。学生から次の質問を受けた。

 「結婚資金が確保できない若者が多く、結婚の遅れが少子化につながっているのではないか」

 いわば若者の低収入が晩婚化を招いて、少子化の原因の一つになっているのではないのかとの質問を受けた。

 学生はこの短い質問の中に今の若者が置かれている雇用状況や生活環境、その先にある人口動態に関わる様々な社会風景を含んでいたはずである。例えば日本には年収200万以下の非正規雇用者が、2006年の段階で1284万人も存在すること。

 2006年時点での国内雇用者数は5115万人、そのうち非正規雇用者(パート、アルバイト、派遣、契約社員など)は1707万人で、全体の33.4%を占めていて、このうち年収200万以下・1284万人の非正規雇用者が75%に達しているといったこと。(以上の統計は『日本総合研究所 寺島実郎の発言』から)

 さらに総務省02年調査「就業構造基本計画」を基にした厚生労働省外郭団体・独立行政法人「労働政策研究・研修機構」が調査、05年8月に発表したことが示している、15歳~34歳男性で正社員の結婚率40・4%に対して非正規労働者は13・5%、無業者の結婚率は6・8%といった結婚状況。

 年収を加えた結婚率は、20歳~24歳男性年収150~199万円が7%に対して年収900万~999万は62%。

 25歳~29歳男性年収150~199万円が17.47%に対して年収900万~999万は42.3%。

 30~34歳になると年収150~199万円でも約倍近い34.0%となるが、対して30~34歳・年収900万~999万は65.1%。(以上)「しんぶん赤旗」から)

 このような職業や年収が影響した、未婚男女の9割が結婚したいと考えていながら、その希望を満たすことができない非婚状況といった問題。

 また大学格差をも含めた学歴が職業選択に影響して、年収や結婚問題につながっている状況。

 こういった社会の姿を背景として学生の質問はあったはずである。

 豊かな社会を創る責務を担う総理大臣の立場上、順当に答えるとしたら、次のような発言となるはずである。

 「少子化問題を解決するためにも、若者に多いワーキングプア問題、あるいはなかなか就職できない状況を解決して結婚資金が確保できるようにしなければならないと思っている」

 実際の麻生首相の答。

 「金がないのに結婚はしない方がいい。オレは金がない方ではなかったが、43で結婚した。稼ぎが全然なくて(結婚相手として)尊敬の対象になるかというと、なかなか難しい感じがする」

 「(結婚は)金があるからする、ないからしないというものでもない。人それぞれだと思うから、うかつには言えないところだと思う」

 「asahi.com」記事は、「金がねえなら」と、例のべらんめえ口調で言ったことになっている。

 若者を取り巻く雇用問題等の今ある社会の姿、その矛盾を取り上げずに年収の低さが結婚に影響している状況を逆手になぞらえて、「金がないのに結婚はしない方がいい」と、結婚したいという希望を収入が打ち砕いている現状の打破に何の助けにもならない、若者を理解しない解答となっている。

 「(結婚は)金があるからする、ないからしないというものでもない」云々もカネ(=収入)の面からのみ若者の結婚を論じ、雇用、あるいは労働に見合った報酬――現在問題となっている同一労働同一賃金といった面からのあるべき切り込みは一切見せていない。

 記事は〈首相の発言は一定の生活力が必要との趣旨ともとれるが、〉と一応の理解を示しているが、その理解は形式で、〈不況の影響で就職先がなかったり、ワーキングプア状態にある若者たちに対する配慮を欠いた発言との批判を呼びそうだ。〉と批判にウエイトを置いている。

 例え「一定の生活力が必要との趣旨」からの発言であったとしても、「生活力」は社会の就職状況や雇用形態(必ずしも経済状況ではないことは戦後最長景気時代に非正規雇用者が増加したことが証明している)に裏打ちされるのだから、先ずは解決すべき課題は結婚問題よりも雇用問題であったはずである。

 記事は最後に次のように締めくくっている。

 〈選挙戦中も相変わらず失言を繰り返す麻生首相。解散後の先月25日には、横浜市内での会合で「高齢者は働くことしか才能がない」などと話したため、河村建夫官房長官からは「首相にはオウンゴールだけは避けてもらいたい」とイエローカードを突き付けられたばかり。さらに、前日の22日には、豪雨災害に見舞われた兵庫県佐用町の現場を視察した際、2人の行方不明者について「遺体が見つかるように」などと心ない発言をしていた。〉――

 「オレは金がない方ではなかったが、43で結婚した」――

 麻生太郎は1940年9月20日生まれ、政界入りを果たしたのは1979年10月、40歳のなり立て。それから3年後の「43で結婚』するまで麻生財閥の息子・金持の息子として独身貴族を謳歌したはずである。独身貴族を謳歌したいがために結婚を遅らす男の例が映画やテレビドラマ、小説等で取り上げられるが、麻生がその例に当てはまらなくても、低収入が障害となって結婚できない若者を比較対象とすることはできないはずで、自分の境遇と「結婚資金が確保できない若者」、そのことが理由となって「結婚の遅れ」を来たしている若者の境遇と比較すること自体が若者を理解していないことの証明となる象徴例であろう。

 麻生太郎は23日(09年8月)の『NHK日曜討論―2009衆議院選挙 迫る“政治決戦” 党首に問う』の冒頭で司会者の問いを受けて次のように答えている。

 司会者「政権選択をかけた衆議院選挙があと1週間、選挙結果次第では私たちの生活が大きく左右されるのではないのか。そう感じさせる政策路線を巡る対立も浮かんできた。そこで今朝は衆議院選特集として各党首に集まっていただいて選挙戦の争点について討論していただきたい。

 麻生さん、報道各社の事前の予測ではかなり苦戦と伝えられていますが、そう感じているのか?」

 麻生「あの、センケイ、あの、選挙ォーになりましてから、各地方遊説させて頂く機会を得まして、先月よりは今月、先週よりは今週、昨日よりは今日、と、段々尻上がりによくなってきているのではないかと、そう、思っております。

 有権者の方々が、暑い中、立ち止まられたら、そのまま立ち去られない。また、若い人の数が今までの選挙に比べて圧倒的に多いかなあ、という感じがいたしておりますんで、私自身としては、それ程、今新聞で書かれているというような形にはならず、きちんと追いつきたいものだと思っております」

 麻生が若者に人気があり、若者に支持者が多いことは知られていたことだが、麻生はここでも自身の選挙遊説に集まる聴衆世代を内訳して、「若者が圧倒的に多い」と若者人気を強調している。

 だが、若者が真に麻生を支持しているが事実の若者人気なら、「カネがねえなら、結婚しない方がいい」の御託(「自分勝手の偉そうな言葉」『大辞林』三省堂)が曝している若者を真に理解していない麻生をその若者理解度に反して若者は麻生を支持する矛盾した光景を見ることになる。

 若者人気が麻生のまるきりの思い込みなら、麻生の若者に対する無理解は思い込みに対応した無理解と言うことになって頷くことができるが、若者に人気がないのに人気があると思い込む麻生自身の客観的判断能力の優秀さは逆に如何ともし難くなる。

 「Wikipedia」が上記「ちょっと聞いていい会」で学生が質問したうちの若者の“結婚事情”に関係する、2008年10月26日の自民党秋葉原街頭演説会での発言を紹介している。非正規社員が正規社員に転換されたことで婚姻率が上昇したという九州での事例を取り上げた上での発言だそうだ。

 「女性がもう、結婚する相手が、なんとなーく、食いっぱぐれそうな顔してると、こりゃちょっと、結婚したらあたしが一人で働かないかんと。そら、なかなか結婚したくないよ。そら、女性のほうも選ぶ権利がある」

 言葉は違えても、「金がないのに結婚はしない方がいい。オレは金がない方ではなかったが、43で結婚した。稼ぎが全然なくて(結婚相手として)尊敬の対象になるかというと、なかなか難しい感じがする」と趣旨は同じと言える。

 「Wikipedia」は「前後の文脈から『食いっぱぐれそうな顔をしている』というのは非正規雇用の男性を指していることは明白であり、非正規雇用の男性を差別する発言だとしてインターネット上で話題になった」と解説しているが、非正規社員が正規社員に転換されたことで婚姻率が上昇したという例を挙げていながら、ここでも先決課題としなければならない雇用問題を差し置いているばかりか、女性の収入上の好みの点からのみ結婚問題を取り上げる偏見まで見せている。

 これは「ちょっと聞いていい会」の回答同様に問題解決の視点から述べた発言では決してなく、世の中の現象を表面的に把えて表面的に解説して完結させる発言でしかない。こういった発言ができることから判断すると、若者を真に理解しているとは言えないのだが、麻生が演説を終えると、若者の間から「麻生コール」が起こったそうだ。

 「稼ぎが全然なくて尊敬の対象になるかというと、なかなか難しい」にも若者理解度を窺うことができる。2006年時点で国内雇用者数5115万人のうち年収200万以下の非正規雇用者が1284万人も存在し、年を追ってさらに増え、今回の金融危機で多くの非正規雇用者が首切りに遭った事実からしたら、麻生のように「尊敬の対象」をカネという価値観に限った場合、多く存在する低所得の若者には一種の心理的な死刑宣告に当たるはずである。

 「お前は稼ぎが全然ない、カネがないから、結婚相手として尊敬の対象にはならないよ」と宣告したも同然なのだから。

 河村官房長官が24日の記者会見で釈明している。 

 「表現は直截(ちょくさい)的だが、むしろ若者の就職対策を進めなくてはいかんという思いが出たのではないか」(asahi.com

 「就職対策を進めなくてはいかんという思い」からの発言なら、「稼ぎ」(=カネ)を「尊敬の対象」にする必要はあるまい。

 上記「スポニチ」記事が〈前日の22日には、豪雨災害に見舞われた兵庫県佐用町の現場を視察した際、2人の行方不明者について「遺体が見つかるように」などと心ない発言をしていた。〉と伝えていたことを書き記したが、「日テレNEWS24」の動画から文字に起こしてみた。

 麻生「引き続き、捜査、捜索、とういうものにカン、関して、当たっておられる方々、色々努力しておられるんだと思いますが、是非、遺体が見つかるように、今後とも、努力していただきたい――」

 ご丁寧にも、「遺体が見つかるように」と一段と言葉を強めている。

 先の戦争で戦死したと伝えられても、どこかで生きているのではないかと微かな希望を持って生きていることを願う家族が少なくない数で存在した。例えこれが息子さんの遺骨ですよと届けられても、他人の遺骨ではないかと疑い、生きていることに一縷の望みをかけていた家族も少なくなかったろう。

 発見が長引く程にもう生きていないかもしれないと思っても、やはり一縷の望みを捨てきれないのが近親者としての自然な感情であろう。遺体として発見されて、やはりと思う。

 それを遺体が発見されないうちから、「遺体」と言って家族の一縷の望みを逆撫でする。

 麻生は靖国神社の戦没者を「国のために尊い命を捧げた」と言うが、眼前の家族の気持ちを察することができない人間が60年前の戦死した兵士の気持など察することなどできるはずがない。そんな人間が「尊い命を捧げた」と言うのは国家の立場から国民を下に見ているから言える言葉だからだろう。

 若者理解度を欠く人間は当然のように若者だけではなく、他の世代に対する理解も欠く。数々の失言がそのことを証明している。

 国民の気持を理解できない政治家が日本の総理大臣を務めている。

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