麻生の愛知・岡崎市の謝罪に見る正直・誠実さ

2009-08-27 07:03:31 | Weblog

 昨年(08年)9月14日の名古屋市・名古屋駅前で行った自民党総裁選の街頭演説で麻生立候補者はほぼ2週間前の8月28日から29日未明にかけての記録的な集中豪雨で2人が死亡、家屋の床上・床下浸水2916件の被害を受けて災害復興活動の最中(さなか)にあった岡崎市、そして似たような状況下の安城市を引き合いに出して「防災のためには、都市部でも公共工事や社会資本整備が必要だ」との趣旨で演説を展開、次のような勇ましい発言を行った。

 「あそこ(岡崎市)は140ミリ(1時間雨量)だぜ。これが、安城もしくは岡崎だったからいいけど、あれ、名古屋で同じ事が起きたらこの辺全部洪水よ」

 「140ミリだぜ」の「だぜ」は大きな被害につながったことも含めて事の重大さを知らせ、その重大さを相手にも共感させようとする「だぜ」ではなく、雨量の凄さだけを伝える「だぜ」であって、岡崎市や安城市及び両市民の苦労など全然頭になかった。だから、「安城もしくは岡崎だったからいいけど」と続けることができた。

 その麻生太郎が総裁に選出されて日本国総理大臣と立場を変え、衆議院選挙の自党候補者の応援演説で岡崎市に入った。「毎日jp」記事――《麻生首相:まず陳謝を失念 愛知・岡崎で演説》/2009年8月26日 17時26分)が伝えているが、衆議院解散後の遊説では、「私の言動とリーダーシップのなさが自民党の混乱や政治不信を招いた」と謝罪から始めたが、頭を下げ続けても選挙情勢が好転しないためか、この演説スタイルを26日から封印して、実績をより強調する手法に変えたという。

 聴衆の反応がなければ、それが支持率となって現れなければスタイルを変更するというのは、謝罪が選挙作戦に過ぎなかった、心からの反省ではなかった、選挙用のポーズに過ぎなかったということなのだろう。

 このことを今回の岡崎市での遊説が図らずも証明することとなった。「中日新聞」Web記事――《首相「豪雨失言」で陳謝 岡崎で演説、周辺支持者に促され》/2009年8月26日)によると、応援を受けた自民前職は昨年の発言について事前に陳謝するよう首相側に申し入れていたという。当然、例え内容は違えても、一度は封印したという謝罪から入るスタイルを取るはずだった。

 ところが、我が麻生首相は人間が正直・誠実に出来上がっているから、事前に申し入れがあった謝罪を失念、上記「中日新聞」によると、〈演説の終盤。周囲に肩をたたかれて一瞬戸惑った後、「一番最初に言おうと思っていたが、すっかり忘れて、すいません。昨年の豪雨の話、ちょっと今あわてて思い出しました。申し訳ありませんでした」〉――

 「ちょっと今あわてて思い出しました」ではない。「周囲に肩をたたかれて」、一瞬何のことかといぶかったのち謝罪の件を思い出して、忘れていたことに内心「あわて」たという経緯が正直なところに違いない。

 上記「毎日jp」記事は――

 「昨年の豪雨の話は一部で誤解を得た。申し訳ありませんでした。・・・・最初に言う予定が、すっかり忘れて申し訳ありません」

 事前の申し入れを簡単に忘れることができたということは謝罪から入る遊説スタイルが選挙作戦からの形式だったから、あるいは選挙用のポーズに過ぎなかった何よりの証明であろう。

 「一部で誤解を得た」は「時事ドットコム」記事では、「一部誤解を与えた。申し訳ありませんでした」となっている。

 「一部で誤解を得た」はマスコミや国民などの情報の受け手側の「一部」が麻生の発言を誤解した、と言うことで、「一部誤解を与えた」は麻生の発言の「一部」が誤解を受けたということであろう。

 どちらの「一部」であっても、「誤解」を最小限とする意図を働かせた「一部」であって、そこに責任薄めを感じ取ることができる。

 これも人間が正直・誠実に出来上がっているからこそできる責任薄めに違いない。

 また自身の発言を「誤解」だとしているのは、情報の受け手側の「誤解」(誤った解釈=思い違い)だと位置づけているということで、麻生自身は間違ったことは言っていない、周囲が誤解したに過ぎないと受け止めていることになる。周囲の「誤解」に過ぎないのに、自分は間違ったことは言っていないと主張するのではなく、謝罪するのは矛盾行為ではあるが、麻生は「誤解」だとしつつ、謝罪した。

 当初の謝罪から入る遊説スタイルが選挙作戦、あるいは選挙用のポーズに過ぎない形式だったからという理由だけではなく、この自分は間違っていない、周囲の勝手な「誤解」だというホンネが謝罪を失念させた理由にもなっていたに違いない。

 当然のことで、岡崎で見せたこの謝罪も選挙作戦、選挙用のポーズに過ぎないということである。

 このように正直・誠実な政治家を日本国民は約1年近く、総理大臣としてきた。今後とも総理大臣としておくことができるだろうか。

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