どの程度の感染拡大かと言うと、全国約5千カ所の医療機関からの報告を基にした国立感染症研究所の統計で、最新の1週間(8月3~9日)に受診した1医療機関あたりの患者数は0.99人、流行開始の目安の「1人」に限りなく近づいていて、地域別では沖縄が20.36と突出、奈良1.85、大阪1.80などと上位に顔を連ね、この1週間に医療機関を受診した全国の患者数は6万人と推計されているそうだ(asahi.com)。
確かに憂慮すべき状況なのだろうが、舛添の言っていることには矛盾があり、自身の厚労相としての責任を棚に上げて国民に責任を転嫁する、責任逃れを絵に描いたような薄汚いこじつけ・強弁に過ぎない。
舛添の「国民の慢心」感染拡大説に民主党の菅直人代表代行が噛みついたそうだ。
「国民の責任にするような発言であれば、もってのほかだ!・・・、舛添さんは常に自分の存在をアピールすることが前に出る。“行政は頑張っているのに国民はやっていない”というのであれば、とんでもない」(サンスポ)と、その国民への責任転嫁を批判したという。
そう、菅直人が言うように舛添は国民の生命・財産よりも「常に自分の存在をアピールすること」を前に出す。
全国すべての医療機関が把握患者数を国立感染症研究所に報告するだけではなく、それぞれの地方自治体の担当部署にも地方自治体としての対策に向けた情報提供の必要性から年齢別や性別の患者数及び感染状況を報告しているはずだし、報告を受けた各地方自治体は国としての対策に資する情報提供を目的に厚労省に報告する体制ができていたはずである。
いわば厚労省は刻々と報告を受けていた。舛添は厚労省のトップとしてその報告を常に把握していなければならない。把握することによって前以ての見当である「予想」はその正否が裏付けられて、その時点で「予想」が外れていた場合、「予想」からの対策は実態に応じた対策へと軌道修正を受ける。
つまり報告を把握していく過程で感染拡大の推移が理解でき、その推移に応じて対策は手当てされていくという経緯を踏むだろうから、予想できた場合を除いた外れた「予想」は対策上の阻害要因として排除しなければならない。
言い換えるなら、報告に伴わせて感染拡大が予想以上だなとか、予想以下の感染拡大だなと実態が把握できていただろうから、その面からだけではなく、感染対策の責任者である立場から言っても、「予想できなかった」と言うこと自体が無責任な上、矛盾することになる。「予想できなかった」などと言うのは、自身の予想のみに任せて、報告を受けていなかった疑いが出てくるだけではなく、自身の予想に反した場合の対策を頭に入れていなかった疑いも出てくる。
もし報告を受けていなかったということなら、担当部署に報告を指示していなかった、担当部署も報告をしなかったことになり、職責上、怠慢の謗(そし)りを免れない。「予想できなかった」からと、予想の範囲内の対策にとどめていたということなら、もやは責任者の資格を失う。
また「予想できなかった」は手がつけられない状況にまで感染拡大したときの責任の免罪符ともなり得る。そのような免罪符を手に入れるために「国民の慢心」をこじつけた可能性もある。
阪神大震災のときの政府の対応遅れを批判されて、ときの村山富一総理大臣は「初めてのこととだったから」と責任の免罪符とした。
麻生内閣は世界的な流行の兆しを受けて、4月28日(09年)から「水際対策」と称して海外からの帰国者に対し旅客便を空港内にとどめて機内検疫を行い、感染の疑いある者を隔離・治療する防疫方法を取った。あるいは船で帰国する者を船内にとどめて検疫を行った。
その11日後の5月9日(09年)に厚労省は機内検疫によってカナダの短期留学から帰国した大阪府在住の男子高校生2人と男性教諭1人の計3人の新型インフルエンザ感染が判明したと発表。実際には生徒1人は機内検疫の際に症状がなく、一旦機外に出たところで体調不良を訴えて検査の結果、感染が判明したと言う。(47NEWS)
最初から機内検疫が万全と言うわけではなかったわけである。
舛添要一厚労相は厚労省内で緊急記者会見、「入国前に確認されたもので、(政府の)対処方針上いわゆる『国内で発生した場合』には当たらない」(同47NEWS)と述べたと言う。
いわば、これまでどおりの機内検疫の「水際対策」を有効対策として継続、国内感染拡大に対応させた対策を取る必要はないと表明した。
5月16日になって、神戸市内で16歳の男子高校生の感染を国内で初めて確認。その生徒に渡航歴はなかった。渡航歴ある者からの感染なら、機内検疫、あるいは船内検疫の「水際対策」をすり抜けた者が存在することになる。感染者がどのくらいの数か分からないが、例え最小限の1人であったとしても、野放し状態になっていることを示している。
その後の神戸市内での高校生などの集団感染の発生は菌保有者が野放しになっていたことを証明している。
麻生首相は国内初感染を受けて記者会見で次のように述べている。
「政府は、これまでの水際対策に加え、患者の行動や濃厚接触者に対する調査を徹底し、その結果を踏まえて国内での感染拡大を防止するための措置を講じていく方針です」――
「国内での感染拡大を防止するための措置を講じていく方針です」と感染拡大の大枠を政府が担うことを約束した。基本は国民一人ひとりが心がけることだが、そのための広報等は国及び地方自治体が担うべき事柄であろう。修学旅行の中止だ、海外渡航の自粛による航空会社の旅客減少、人ごみに出ることを避けることからの消費活動の低迷といった状況が社会的に発生し、国の経済に関わっていく問題である。実際に「国民の慢心」からの感染拡大であったとしても、それだけで済まないことを計算に入れる責任が政府・厚労省、さらに地方自治体にはある。
政府及び舛添“厚労省”が採った「機内検疫」、「水際対策」の一辺倒対策に手抜かりのあったことを伝える記事がある。
6月4日の「asahi.com」記事――《新型インフル国内初発症は5月5日 検疫で確認より早く》が、厚労省は5月9日に成田空港での水際検疫で確認された感染者を国内初としてきたが、5日にインフルエンザの症状を発症し、翌6日に同市内の医療機関を受診、簡易検査で季節性インフルエンザと診断された神戸市内の高校生の5月5日が確定できた最も早い発症日だと発表したと伝えている。
但しこの高校生も渡航歴がなく、渡航歴がないと新型インフルを疑う対象とはしない厚労省の方針通りに遺伝子検査を行わなかったために感染者とカウントされなかったが、〈神戸市の調査の一環で、男子高校生の検体を保管していた医療機関が市環境保健研究所に遺伝子検査を依頼、20日に感染が確認された。 〉と後手の感染確認であったことを同記事は伝えている。
別の「asahi.com」記事も伝えているが、新型インフルエンザの診断基準が「発熱などの症状と渡航歴」を大きなポイントとしているとのことだが、高熱を訴え、渡航歴ある者なら、機内検疫・船内検疫をすり抜けた者として新型インフルエンザの可能性があるから、遺伝子検査を行うべし、渡航歴がなければ、その必要はないとの基準設定をしたのである。
いわば海外での感染はあっても、海外渡航者からの渡航歴のない者への国内感染はないと見ていた。
それだけ「水際作戦」と称した機内検疫・船内検疫を絶対と見ていたということであろう。これが日本人は優秀だとする日本民族優越性から生じた自信過剰ではないと誰も断言できまい。渡航歴があったとしても、海外感染ではなく、機内感染で家に帰ってから発症、そこで海外渡航歴のない者への感染は考えなければならない感染経路だからである。
論理的には絶対的とすることができないことを絶対的としていた。絶対的とする根拠は優越意識しかあるまい。
政府、舛添“厚労省”のこのような手抜かり、油断は舛添が言う「国民の慢心」では決してなく、麻生内閣及び舛添“厚労省”の無策、あるいは慢心が原因した結果であろう。
だから、「国内発症日」が二転三転することになる。上記「asahi.com」記事は厚労省の発表として「国内発症日」を5月5日としたとしているが、厚生労働省の調査で既に4月の時点で感染が始まっていた可能性のあることが分かったと6月16日の「NHK」記事が伝えている。
厚生労働省のこれまでの調査で最も早く新型インフルエンザを発症したのは神戸市の男子高校生で、少なくとも5月5日には症状が出ていたとしていたが、その後の調査で、神戸市内の高校の職員が4月1日の時点で発熱などインフルエンザの症状を訴えていたことが新たに分かったというものである。
この職員も直前の渡航歴がないが、厚労省は既に4月の時点で新型インフルエンザのウイルスが国内に入り、感染が始まっていた可能性があると分析しているとのことだが、これが事実とすると、麻生内閣の「水際対策」と称した「機内検疫」は万全とは程遠いまるきり後手の対策と言うことになる。
感染の疑いのある乗客のシート近くに席を占めていた者の感染を確認するためにホテルに隔離して行う7日間の健康観察をあれだけ大騒ぎしていたが、何のためにそこにのみ重点を置いていたのかと言うことになる。
医療機関の方も厚労省が示したインフルエンザの症状に渡航歴を加えた診断基準を後生大事に守って行った診断は下は上に従う権威主義の行動様式から発した杓子定規だろうが、ものの見事な一律対応としか言いようがない。
5月24日の「asahi.com」記事――《集団感染の「予兆」大型連休明けにあった 西大倉高校》はその尺時定規の一端を伝えている。
関西を中心に高校生に新型が感染拡大していた。海外渡航歴のない男子高校生が国内初感染者だとする5月16日の報道に接して、大阪府の男性医師が前の日の15日に診察した中学1年の女子生徒のことが頭をよぎった。
女子生徒は39度近い高熱と頭痛を訴えて来院したが、高校2年の兄も12日に似たような症状で受診し、簡易検査で「A型陽性」と出ていたが、厚労省が示していた診断基準に従って海外渡航歴も渡航者との接触もなかったため、季節性のインフルエンザと診断した。
大体が渡航歴の有無は確実に確認できるが、街中の人混みの中で顔見知りでない渡航者との接触ということもあるのだから、確認不可能のはずだが、面談で接触はなかったと簡単に決めてしまう。
女子生徒も15日の簡易検査の結果はA型陽性。同じように渡航歴はない。「お兄さんのがうつったんやな」。兄と同様、リレンザを投与して帰宅させたという。
そこで急遽女子生徒を再診断。喉と鼻から検体を採取、遺伝子検査のために保健所経由で府公衆衛生研究所に検体を回したところ、同日深夜、感染が確認された。
記事は〈「海外渡航歴」が思わぬ足かせになっていた。〉と解説している。
いわば舛添“厚労省”の誤った診断基準が招いた感染拡大とも言える。言ってみれば、少なくとも感染拡大の素地は国が準備したと言えるのであって、その責任に気づかずに、舛添は「病原性が低いこともあり、国民に慢心が出てきたことも感染拡大につながった可能性がある」と国民に責任転嫁している。
舛添は記者会見で「政府の専門家諮問委員会から『感染力、病原性等の性質から見て、(新型は)季節性インフルエンザと変わらないという評価が可能』と報告を受けた」(《機内検疫を週内にも終了…政府、感染拡大防止に重点》YOMIURI ONLINE/2009年5月19日03時09分)、「検疫に人的資源を集中することから、国内対策にシフトすることは必要だ」(同YOMIURI ONLINE)として、「機内検疫」から国内感染防止に軸足をシフトさせることを表明したが、海外渡航帰国者の感染初確認が「5月9日」、それを1カ月程溯る4月初旬に既に国内感染者が発生していた可能性が機内検疫・船内検疫の「水際作戦」に綻びを与えたことからの国内感染防止への撤退に過ぎないだろう。
上記《機内検疫を週内にも終了…政府、感染拡大防止に重点》記事は国内感染防止への対策シフトを〈政府のこうした対応は、地方自治体や企業が強く要請したためだ。政府はすでに強毒性の鳥インフルエンザを想定した行動計画を弾力的に運用し、「外出の自粛要請」「企業への業務縮小要請」などは見送っている。それでも、18日に厚労相を訪ねた大阪府の橋下徹知事が「国が方針を出してくれると自治体はやりやすい」と訴えるなど、政府により柔軟で具体的な対応を示すよう求める声が強い。〉としている。
経済に及ぼす悪影響が動かした「外出の自粛要請」、「企業への業務縮小要請」への「見送り」だと解説している。これは国民が関与しない場所で政府と地方自治体、企業が決定した対策であろう。
この決定は「asahi.com」記事――《インフル対策、社会活動への影響考慮し緩和へ 労省》(2009年5月19日2時31分)によると、現在の感染拡大状況は〈基本的に政府の対策行動計画の第3段階(蔓延=まんえん=期)にあたるが、第3段階にすると社会活動への制限が大きいため、現在の第2段階(国内発生早期)にとどめ〉たものだと解説している。
いわば麻生内閣及び舛添“厚労省”が決定した感染防止緩和策であって、国民関与の決定ではないことは「asahi.com」記事も伝えている。
舛添の新型インフルエンザ感染拡大の原因が「国民の慢心」は薄汚い国民への責任転嫁(2)に続く
橋下知事「季節性インフルエンザへの対応と同様に、普段通りの生活を呼びかけていく。25日からは全力で都市機能の回復に努めたい」
具体的には、〈大阪府の橋下徹知事は23日、現時点で、新型インフルエンザ(豚インフルエンザ)感染の急速な拡大を防止できたとして、府庁で開いた新型インフルエンザ対策本部会議で「都市機能回復宣言」を行い、25日から社会・経済活動の再開に取り組むと明らかにした。府内の全中学、高校に求めている一斉休校や、屋内施設、高齢者施設などの臨時休業、イベント自粛といった感染拡大防止措置を24日限りで解除。今後は重篤化のリスクが高い、基礎疾患を持つ人などへの感染防止など、重症化を防ぐことに重点を置いた対策に転換する。〉とし、〈18日未明に発令した「流行警戒宣言」を「警戒宣言」に引き下げ、「(抗インフルエンザ治療薬の)リレンザ、タミフルの備蓄も十分ある」と住民に冷静な対応を呼びかけた。〉という。
そして休校措置中の市立幼稚園、小中高校など計522校園を25日に再開することに決定。同じような状況にあった地方自治体が相互に右へ倣えすることになるのだが、もう安心だ、普段どおりの生活に戻ってくださいと国、地方自治体、企業の側から国民に太鼓判を押したのである。
国民が国や地方自治体の制止を無視して勝手に「普段通りの生活」に走ったわけではない。
それを舛添は「病原性が低いこともあり、国民に慢心が出てきたことも感染拡大につながった可能性がある」と言う。「慢心」は国、地方自治体、企業側にあったのではないのか。
さらに言うなら、国の指示に杓子定規に従うだけの医療機関に。
5月23日の「NHK」記事――《外来サーベイランス 機能せず》も感染拡大の責任が国や地方自治体にあったことを教えてくれる。
国は海外で新型インフルエンザウイルスの感染が確認された際、日本国内での感染をいち早く察知するために全国のおよそ7500の医療機関が高熱や倦怠感などのインフルエンザに似た症状を訴えた患者の人数を毎日国に報告することを義務付けた「外来サーベイランス」なる監視システムを整備、立ち上げた。
その狙いは空港や港で感染が発見できない場合に備えたシステムだということだが、5月1日にシステムの運用の開始を都道府県に通知、だが、感染が数多く見つかった兵庫県や大阪府を含め全国の殆んどの自治体で医療機関に運用開始を知らせず、システムが機能していなかったと言う。
記事は二つの声を伝えている、
東北大学の押谷仁教授「システムが機能していなかったことが、感染拡大の発見の遅れにつながった可能性もある。感染の広がりを検知する仕組みを早急に整える必要がある」
厚生労働省「十分な準備ができていなかったと言われればそのとおりだが、システムが機能しなかったから感染者を見逃したとは思わない。早期に感染者を発見するため、このシステムを含め、さまざまな監視システムを機能させるようにしたい」
教授は「感染拡大の発見の遅れにつながった可能性もある」と言い、厚労省は「システムが機能しなかったから感染者を見逃したとは思わない」と「システムが機能しなかった」ことの責任を否定している。
厚労省の抗弁を裏返して言うと、「システムが機能しなかった」こととは別の要因で「感染者を見逃した」ということになり、そうであるなら、「このシステムを含め、さまざまな監視システムを機能させるようにしたい」と言っているが、「外来サーベイランス」なる監視システムそのものは必要ないシステムということになる。
この厚労省の役人は自分がどういうことを言っているのか気づいているのだろうか。
いずれにしても国民は「季節性インフルエンザへの対応」を求められたものの、国・地方自治体から「普段通りの生活」をするお墨付きを貰った。国民が自由度を求めて「普段通りの生活」に重点を置いたとしても人間の自然性から発した態度と言えよう。
文部科学省は空港以外で初めて国内で感染が確認された16日に「自粛を求める情勢ではない」としつつ、「発生場所や今後の発生動向を踏まえ、都道府県の保健部局と相談して適切に対応を」との文言を入れて、一定の慎重な対応を求めたものの、全国で修学旅行のキャンセルが相次ぎ、その影響を受けた旅館業界や交通機関関連の企業救済をも含めていたに違いない、表向きは楽しみにしていた修学旅行がキャンセルとなってしまった児童、生徒の気持ちに配慮するよう求めてはいるが、中高校の修学旅行の後日再開を求める文書を各都道府県教育委員会に送っている。(《中止の修学旅行、文科省「後日実施を」 子の気持ち配慮》asahi.com/2009年5月27日6時52分)
「臨時休業の学校を除いて自粛を求める状況ではない」
「修学旅行の教育的意義や児童生徒の心情も考慮し、とりやめる場合も延期としたり、とりやめた学校も改めて実施を検討するなどの配慮を」
これも「普段通りの生活」に対応した「普段どおりの」修学旅行というわけなのだろう。
舛添は首都圏で初めて新型インフルエンザの感染者が見つかったとき、「関西とは違って、国内感染というよりはニューヨークからの帰国者でもあり、東京都と川崎市の教育委員会が適切な対応を取っている。今後も正確な情報を国民に伝えるので、油断することなく、冷静に対応していただきたい」(NHK/09年5月21日 12時34分)と海外感染に拘って、国内での人から人への感染に注意を置いていない。
政府の新型インフルエンザ対策本部長は麻生首相だが、実務方のトップの舛添のこの万全を欠く認識能力、あるいは状況把握能力はどう説明したらいいのだろうか。
認識能力、あるいは状況把握能力を欠く人間は当然の成り行きとして責任の所在がどこにあるか把握する認識能力、把握能力も欠くことになり、そういった人間が「病原性が低いこともあり、国民に慢心が出てきたことも感染拡大につながった可能性がある」と言う。
民主党の蓮舫が舛添要一を評して、「舛添要一厚生労働相は『民主党政権で2万6千円の子ども手当を配ると親がパチンコなどに使ってしまう』と批判した。国民を信頼していない冷たい政治です」(「スポニチ」)と批判したということだが、石原伸晃も言っていた「親がパチンコなどに使ってしまう」は一部の親のありようを疑って制度そのものを否定する「疑わしきはすべてを罰する」に属する非合理性の発揮そのもので、ここにも認識能力、あるいは状況把握能力の欠如を見て取ることができる。
同じことを言うが、認識能力、あるいは状況把握能力を欠いた人間に満足な責任意識は育つはすがない。「病原性が低いこともあり、国民に慢心が出てきたことも感染拡大につながった可能性がある」と国民に責任転嫁ができたのも、認識能力、状況把握能力の欠如の上に築いた歪んだ責任意識からの転嫁なのは断るまでもあるまい。
こういった人間が産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)の合同世論調査で、「今、日本の首相に一番ふさわしい政治家は誰か」を聞いたところ、自民党の舛添要一厚生労働相が「政権交代」を掲げる民主党の鳩山由紀夫代表の12.8%(前回2.4ポイント)を4ポイント程上まわる16.9%(前回6月比6.2ポイント増)だと言うから、驚きである。
8月11日の記者会見では舛添は次のように発言している。
「(総選挙の情勢は)極めて厳しい。もっと厳しいのは、その厳しいのを理解していないわが党の候補者が多すぎることだ」
「子どものままごとをやっているんじゃないかという感じの選挙をやられている方がいる。『人気のある大臣が来たら、おれだって受かるだろう』と。そんな甘いもんじゃない。・・・・そういう状況を執行部がきちんとみて、しかるべき指導をしないと(いけない)」(《「ままごと選挙やってる」 舛添氏、自民の運動ばっさり》asahi.com/2009年8月12日0時3分)
その人気から、自民党候補者の応援に引っ張り凧だそうだ。
自民党にとって総選挙の情勢が「極めて厳しい」のは世論調査に現れているだけではなく、各候補者自身が選挙運動の中で有権者の態度を通して肌で実感していることだろう。いわば舛添がわざわざ言わなくても自民党候補者、自民党支持者の誰にも分かっている「極めて厳しい」であって、それをわざわざ言う。
ここには支持率が低下している自民党を「その厳しいのを理解していないわが党の候補者が多すぎることだ」と叩くことで、そういった候補者に反して自分は「厳しいのを理解して」いると裏返しの能力をそれとなく発信して間接的に自身の評価を高める巧妙な企みが潜んでいる。自分だけ偉そうに構えていられるのは参議院議員という総選挙に関係のない場所に自分を置いているからだろう。当事者の一人であった場合、「(総選挙の情勢は)極めて厳しい。もっと厳しいのは、その厳しいのを理解していないわが党の候補者が多すぎることだ」とか、「子どものままごとをやっているんじゃないかという感じの選挙をやられている方がいる」などと批判したなら、仲間の足を引っ張ることになって、逆に自分の評価をさげることになる。当事者の一人でないから叱咤激励となり、自身の評価も上げることできる。
要するに自身が自民党に所属していながら、「自民党をぶっ壊す」と言うことで他の自民党議員と自分は違うことを示して、自身の評価を上げた小泉もどきを演じているに過ぎない。
もし自民党が政権を失い、麻生政権が崩壊した場合、自民党の次期総裁に認識能力、状況把握能力、責任能力を欠いた舛添要一がなるとしたら、滑稽である。まあ、口先の勢いだけで総裁の地位を保つことになるだろう。麻生太郎が口達者だけで総理・総裁を維持してきたように。